忍者ブログ
自由主義と共産主義の間、グローバリズムとナショナリズムの間の今は何処? <外道たちの最中で> 切ない事情 
[371] [370] [369] [368] [366] [367] [365] [364] [348] [363] [362
Posted by - 2024.05.18,Sat
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

Posted by 残心 - 2017.06.10,Sat
女系天皇を推進したい強い勢力が存在するようです。
しかし足元では、我々一般の家庭を見てみれば、戦前までと比べると、とんでもなく破壊は進んでいると考えられます。
―――――――――――――――――――――――――――――――
家族観を取り戻せ(女系天皇の意味する恐怖の時代)  (ねずさん)

《 勝手に要約 》
親戚のひとつひとつに名前がついていますが、名前があるということは、日常的に親族が意識されているということです。
西欧ではここまでの名称はありません。
親族は日本における三親等、五親等のように、順番に番号をふるだけです。
番号だけなら、ルーツをどこまでもさかのぼることができるからです。
つまり相続権を失いません。
つまり個人主義と言いながら、相続権だけは放棄しない。
逆の言い方をすれば、個人主義だから相続権への欲があるわけです。

さらに西欧型の特徴は、上下と支配の関係からは、妻方の親戚といえども、配下になるならファミリーです。
つまりこれは、一族の長の権力機構の拡大を意味します。

これに対し、もともとの日本は、家族主義です。
家族という集団がひとつのかたまりとなって、家督が相続されていきます。
これは農地や領地を失わないために必要なことですし、また高齢者や子の成長にあたって必要なことでもありました。

なぜ明治のはじめにそのような造語が生まれたかには理由があります。
日本型家族主義を維持するためです。
図に示した以外に、大おじの子とか、はとこの子、はとこの孫、姪の子、姪の孫、高祖父の父などと言った言い方がありますが、これらは明治のはじめに西欧式の「Family(家族)」の概念と、もともと日本にあった家族主義の概念を融合させるためにつくられた造語だからです。
もともとは日本にそのような単語はなかったし、西洋社会にもありません。西洋社会は番号だからです。

大阪大学名誉教授の加地伸行先生によれば、こうした造語の発明によって、明治の先人たちが「西洋型個人主義」と「日本型家族主義」を融合させたことは、日本社会を守るためにものすごく重要なことといえるのだそうです。
なぜなら西洋型個人主義を、まるごと採り入れた、たとえばアフリカ社会は、もともと部族単位で行動する部族社会であったのに、法的には個人主義としました
この結果、いまなお、部族と個人が対立し、血の抗争が続いています
これは社会構造が破壊されたからです。
日本は、上手にこれを融合させることで、血縁社会を破壊せずに近代化に成功したのです。

さて、図を見て、意外と家族の範囲が広いことに驚かれるかもしれません。
けれど、すこし規模の大きな冠婚葬祭のときに、見たこともない親戚が来ていてびっくりすることがあると思いますが、これを父の代や祖父母の代での家族に適用すれば、どれだけの人数になるかと考えれば納得いただけることではないかと思います。
そして図に明らかな通り、家族の範囲は世代がひとつ下るごとに変わっていきます。

一族という語がありますが、これを高祖父や祖先の段階まで遡らせれば、まさに一族となります。

妻となる女性は、嫁ぐことでその家の人になりますから、実の兄弟と同じ立ち位置になります。
つまり血族の一員となるわけです。
ということは、娘は結婚すると、よその家に嫁いで、その家の人になるわけですから、別な血族集団の仲間入りすると考えられたわけです。
これを外戚(がいせき)とか、姻族(いんぞく)、傍系(ぼうけい)などと言いますが、はっきりいえることは、それらは「別な家系に属する」ということです。
ですから、別な家系に属した娘の子は、別な血筋の子ということになります。

たとえば田中家の所領となっている家督と土地があったとします。
その土地は、日本は家族主義なのですから当然、代々田中家がこれを引き継いでいます。
ところが、結婚して鈴木家に嫁いた娘が、その家督と土地を受け継いだらどうなるか。
田中家の家督や土地は、気がつけば鈴木家のものになってしまっています。

それが大名なら、大名家が交替したことを意味します。
けれど、将軍からその家督や土地を委ねられているのは、田中家であって、鈴木家ではありません。
従ってこの相続は認められず、田中のお殿様も、鈴木のお殿様もお家お取り潰しになります。

これが皇族になると、もっと大きな問題を生みます。
皇族の女性が、他家に嫁ぎ、そこで生まれた子が皇位を継げば、それは天照大御神というご祖先からの血筋が失われて、別な血筋の家系が皇位を持つことを意味します。
もしそのような天皇が誕生すれば、我が国の天皇は、天照大御神の直系という万世一系の血筋を失います。
つまりそれは、日本に別な王朝が生まれることを意味します。

わかりやすくするために、すこし極端な例をあげると、日本の皇族の女性がエチオピアの王様の嫡男と結婚して、肌の色の黒い男子が誕生したとします。
そしてその黒人さんが天皇の皇位を継いだとします。
これを「女系天皇」と言います。

するとこの段階で、我が国の皇室は、天照大御神の直系ではなく、エチオピアのシバの女王の系統になります。
つまり日本はシバの女王の子孫の統治する国に易(か)わることになります。
我が国は、太古の昔から繋がる世界最古の国ではなく、別な王朝の国家になるわけです。

日本の天皇には姓がありませんが、もしその黒人さんに姓があれば、新しい皇室には姓がつくようになります。
つまり「姓が易(か)わ」ります。
姓が易(か)わり、王朝が革(あらた)まることを、易姓革命(えきせいかくめい)といいます。

支那の歴史は、こうして皇統が入れ替わることによって、都度、国民の半数前後が殺されて、国民そのものの人種が入れ替わるという歴史です。
我が国では、そのような事態を防ぐために、上古の昔から天皇は姓を持ちません。
つまり、そもそも易姓革命が成り立たないようにしてきたのが日本です。

ところが女性宮家が生まれ、女系天皇が生じれば、それは天皇の血筋が易(か)わることをいみします。
これは革命です。
太古の昔から続く日本は、その瞬間に滅びてなくなるのです。

(略)

ということは、女性宮家から女系天皇へと動かそうとする人たちは、日本人から自由を奪おうとしている人たちであると断言できるといいえると思います。
そしてそれは、英国王朝の路線に日本の皇統を置こうとする渡来人的発想でもあります。
そしてこのような議論ができてしまうのは、日本人が世帯と家系ということの区別を失ってしまっていることに由来すると思います。

冒頭にも書きましたが、西欧はなるほど個人主義です。
しかし家系という概念は、明確に持ち続けています。
彼らはそれを何代でもさかのぼります。
彼らの感覚としてのアイルランド系米国人とか、ドイツ系米国人とかいう言葉の中には、そうした先祖を何代でもさかのぼる「家系」という概念が強く存在し、そこに法的根拠も持たせていることを私たちは知る必要があります。
個人主義というのは、権利主体としての個人のことを言っているだけであって、家系の問題とは切り離された別な議論なのです。

また私たち日本は、世帯ではなく、家系や家族という概念を今後取戻す必要があると思います。
なぜなら、昔は、この家系に基づく一族で、老後や疾病の面倒をみたり、費用のかかる冠婚葬祭も執り行ってきたのです。
それが世帯主義に陥り、さらに個人主義となって、国庫の年金財源や医療負担の問題を生んでいます。
極めて馬鹿げた話だと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日本の 家庭が崩壊 家系絶つ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今の国会議員たちに、皇室のことをあれこれ議論してもらいたくない。

拍手[0回]

PR
Comments
Post a Comment
Name :
Title :
E-mail :
URL :
Comments :
Pass :   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
残心
性別:
非公開
最新コメント
[06/10 zansin a]
ブログ内検索
Template by mavericyard*
Powered by "Samurai Factory"
忍者ブログ [PR]