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自由主義と共産主義の間、グローバリズムとナショナリズムの間の今は何処? <外道たちの最中で> 切ない事情 
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Posted by - 2024.05.18,Sat
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Posted by 残心 - 2016.12.14,Wed
「自由」というのは明治になって作られた言葉ですが、当初は「わがまま・無秩序」のような解釈が一般的だったようなのです。
近年では良いイメージしかないようですが・・・。
【佐藤健志】今日から自由貿易を「無防備主義」と呼ぼう!  (「新」経世済民新聞)

《 勝手に要約 》
〈自由〉はイメージがよろしい。
開放的で明朗、無限の可能性を感じさせます。

エドマンド・バークも『フランス革命の省察』で、
高らかに自由を謳うことについて、こう語りました。

「そこには胸を熱くするものがある。
われわれは大きな心で寛大に行動するようになるし、
争いの場では勇気をかき立てられる」
(『新訳 フランス革命の省察 「保守主義の父」かく語りき』、307ページ)

となると、それに制限を加えようとする保護主義は
閉鎖的で陰鬱、重苦しく抑圧的ということに。

のみならず「過保護」からの連想で
〈そんなことをしていると、経済や産業がひ弱になってしまう〉
といった印象が生じる恐れも強い。

自由貿易への固い決意を示し、
保護主義の蔓延を食い止めねばならない!
そう叫びたくなるのも、分からなくはないのです。

しかし自由貿易の「無限の可能性」が、
実際に意味するのはずばりこれ。

(`ヘ´) (O_O)!!多国籍企業のやりたい放題!!(O_O) (゜◇゜)ガーン

それに制限を加えることで
国家および国民の利益を守るというのは
しごく当たり前のことにすぎません。

そこで!
「自由貿易」の語感の良さが
上記の認識を広める障害となっているのであれば
事柄の実態をより的確に表す言葉に変更することを提唱します。

どんな言葉に変更するのか?
無防備主義(NON-PROTECTIONISM)」。

「保護」の反対概念を「自由」にすること自体、
完全に的外れとまでは言わないまでも
どこかズレているのですよ。

自国の市場、あるいは国民経済を守ろうとする姿勢を示さないのですから
「無防備」の方がよほどふさわしい。
そして「保護」か「無防備」かとなれば
保護の方がいいに決まっている。

みなさん、今日から自由貿易を「無防備主義」と呼ぼうではありませんか!

市場原理を愛する
多国籍企業の公正と信義に信頼するだけでは不十分だ!!
国民経済を守る固い決意を示し、
無防備主義の蔓延を食い止めねばならない!!!

こう高らかに宣言してこそ
真に愛国的な政治家と言えるでしょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
何もかも 自由で楽しい 無法地帯    誤る国策
自由とは 法が通じぬ 力の世     誤った言葉の解釈
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「自由」の解釈を明治当初に戻して、もっと「わがまま・無秩序」というイメージを持って受け止める必要がありそうですね。

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Posted by 残心 - 2016.04.21,Thu
占領政策っていうのは、ほんとにうまく作っているなぁ・・・。
シラス国を取り戻す  (ねずさんのひとりごと)

《 勝手に要約 》
日本国憲法は、その前文に、
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」と書かれています。
つまり国際社会において「平和を愛する諸国民」が上であり、「われら(日本人)」はその下位に位置すると宣言されているわけです。
そしてその「われら(日本人)」は、同じく日本国憲法前文で、「国際社会において名誉ある地位を占めたい」と思っているわけです。そのように日本国憲法の前文に書いてあります。

エリート日本人ならば、当然、プライドがあります。
プライドがあるなら、下でいることに耐えられませんから、むしろ米国が代表する連合国(United Nations)の側に立って、下にいる日本を悪く言うことになります
これが戦後体制です。
そして、社会のエリートがそのようにすることが、「国際社会において名誉ある地位」を得ることになるわけです。
―――――――――――――――――――――――――――――――
おそらく後の世には、日本でも世界でも、日本が日本史上、もっとも程度の低くなった最低の時代として現代日本は認識されるのではないかと思います。

そもそも日本国憲法は、憲法ではありません。
占領下の日本人の占領統治服務規程」でしかないということです。

問題は、その「占領統治服務規程」の枠内に、いまだに日本はあるという点です。
行政も司法も、立法府も、すべてその「占領統治服務規程」の枠内にあります。
つまり戦後政治は、日本国憲法という名の「占領統治服務規程」の枠内にあるわけです。

ということは、司法、立法、行政の力では、いまのフレームは「変えられない」ということです。
なぜなら、フレームの枠内にあるものには、フレームそのものを変えることができないからです。
それができるのは、日本国民の力だけです。

つまり日本国民が成長し、変わり、国民の側がいまの憲法、つまり「占領統治服務規程」を乗り越えていかなければ、日本は変わらないし、日本を取り戻すことなどできない、ということです。
すべての鍵は、国民が握っているのです。

取り戻すべき日本の形は明白です。
天皇を中心とし、天皇を国家元首として、すべての日本の領土領民が天皇の「おおみたから」とし、その天皇によって親任された政治家が、おおみたからである臣民が豊かに生活できるように活動する。
そういう日本の上古の昔からある体制を取り戻すことです。

教育が変わらなければ、政治家が変わらなければというのは、私は、甘えであり依存であると思います
そうではなく、私たち自身が変わることです。
幸い、「占領統治服務規程」も、言論の自由は認められています。
そして、何が正しいのかを判断できる教養と民度の高さを、日本人はちゃんと持っています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
壊されて 身を落としたが 戻すべき   日本史上最低の日本人
何処にも 依存しないで 世を変える   マニュアルもなく難儀だが
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
憲法を学べば学ぶほど、連合国側の立場に立って物を考えるようになるとは・・・。
「革命」というのは左翼の得意技だが、無理やり作られた体制を基に戻すには、それこそ「革命的なこと」が必要だろう。
保守側が革命。
何という逆説。
戦後体制ではいろんなことが捻じ曲がっていて、頭がコンガラガッテしまいまするぅ~・・。

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Posted by 残心 - 2016.04.01,Fri
日本の教育は、国としてやっぱりおかしいのでは・・・?

素読用 歴代天皇陛下一覧  (日本が良くなりますように)

https://www.youtube.com/watch?v=gGCN3w_RbQ8

《 勝手に要約 》
竹内睦泰氏がおっしゃっています。
「天皇名を言えないことはアメリカでいうとワシントンを言えないということ」
「「日本ってどういう国なの?」と聞かれて答えられない=海外でハッキリ言ってバカにされます。」
「海外に出てる人が日本を知らないなんて恥さらしだ!」
歴代天皇陛下一覧

1代   神武天皇   (じんむ)      
2代   綏靖天皇 (すいぜい)    
3代   安寧天皇 (あんねい)    
4代   懿徳天皇 (いとく)    
5代   考昭天皇  (こうしょう)    
6代   考安天皇 (こうあん)    
7代   考霊天皇 (こうれい)    
8代   考元天皇 (こうげん)    
9代   開化天皇 (かいか)    
10代  崇神天皇 (すうじん)    
11代  垂仁天皇  (すいにん)    
12代  景行天皇  (けいこう)    
13代  成務天皇 (せいむ)    
14代  仲哀天皇 (ちゅうあい)    
15代  応神天皇 (おうじん)    
16代  仁徳天皇 (にんとく)    
17代  履中天皇 (りちゅう)    
18代  反正天皇 (きんぜい)    
19代  允恭天皇 (いんぎょう)    
20代  安康天皇 (あんこう)    
21代  雄略天皇 (ゆうりゃく)    
22代  清寧天皇 (せいねい)    
23代  顕宗天皇 (けんそう)    
24代  仁賢天皇 (にんけん)    
25代  武烈天皇 (ぶれつ)    

26代  継体天皇 (けいたい) 皇紀1167-1191 西暦507-531
27代  安閑天皇 (あんかん) 皇紀1191-1195 西暦531-535
28代  宣化天皇 (せんか) 皇紀1195-1199 西暦535-359
29代  欽明天皇 (きんめい) 皇紀1199-1231 西暦539-571
30代  敏達天皇 (びたつ) 皇紀1232-1245 西暦572-585
31代  用明天皇 (ようめい) 皇紀1245-1247 西暦585-587
32代  崇峻天皇 (すいしゅん) 皇紀1247-1252 西暦587-592
33代  推古天皇 (すいこ) 皇紀1252-1288 西暦592-628
34代  舒明天皇 (じょめい) 皇紀1289-1301 西暦629-641
35代  皇極天皇 (こうぎょく) 皇紀1302-1305 西暦642-645
36代  考徳天皇 (こうとく) 皇紀1305-1314 西暦645-654
37代  斉明天皇 (さいめい) 皇紀1315-1321 西暦655-661
38代  天智天皇 (てんじ) 皇紀1321-1331 西暦661-671
39代  弘文天皇 (こうぶん) 皇紀1331-1332 西暦671-672
40代  天武天皇 (てんむ) 皇紀1332-1346 西暦672-686
41代  持統天皇 (じとう) 皇紀1346-1357 西暦686-697
42代  文武天皇 (もんむ) 皇紀1357-1367 西暦697-707
43代  元明天皇 (げんめい) 皇紀1367-1375 西暦707-715
44代  元正天皇 (げんしょう) 皇紀1375-1384 西暦715-724
45代  聖武天皇 (しょうむ) 皇紀1384-1409 西暦724-749
46代  考謙天皇 (こうけん) 皇紀1409-1418 西暦749-758
47代  淳仁天皇 (じゅんにん) 皇紀1418-1424 西暦758-764
48代  称徳天皇 (しょうとく) 皇紀1424-1430 西暦764-770
49代  光仁天皇 (こうにん) 皇紀1430-1441 西暦770-781
50代  桓武天皇 (かんむ) 皇紀1441-1466 西暦781-806

51代  平城天皇 (へいぜい) 皇紀1466-1469 西暦806-809
52代  嵯峨天皇 (さが) 皇紀1469-1483 西暦809-823
53代  淳和天皇 (じゅんな) 皇紀1483-1493 西暦823-833
54代  仁明天皇 (じんみょう) 皇紀1493-1510 西暦833-850
55代  文徳天皇 (もんとく) 皇紀1510-1518 西暦850-858
56代  清和天皇 (せいわ) 皇紀1518-1536 西暦858-876
57代  陽成天皇 (ようぜい) 皇紀1536-1544 西暦876-884
58代  光考天皇 (こうこう) 皇紀1544-1547 西暦884-887
59代  宇多天皇 (うだ) 皇紀1547-1557 西暦887-897
60代  醍醐天皇 (だいご) 皇紀1557-1590 西暦897-930
61代  朱雀天皇 (すざく) 皇紀1590-1606 西暦930-946
62代  村上天皇 (むらかみ) 皇紀1606-1627 西暦946-967
63代  冷泉天皇 (れいぜい)  皇紀1627-1629 西暦967-969
64代  円融天皇 (えんゆう) 皇紀1629-1644 西暦969-984
65代  花山天皇 (かざん) 皇紀1644-1646 西暦984-986
66代  一条天皇 (いちじょう) 皇紀1646-1671 西暦986-1011
67代  三条天皇 (さんじょう) 皇紀1671-1676 西暦1011-1016
68代  後一条天皇 (ごいちじょう) 皇紀1676-1696 皇紀1676-1696
69代  後朱雀天皇 (ごすざく) 皇紀1696-1705 西暦1036-1045
70代  後冷泉天皇 (ごれいぜい) 皇紀1705-1728 西暦1045-1068
71代  後三条天皇 (ごさんじょう) 皇紀1728-1732 西暦1068-1072
72代  白河天皇 (しらかわ) 皇紀1732-1746 西暦1072-1086
73代  堀河天皇 (ほりかわ) 皇紀1746-1767 西暦1086-1107
74代  鳥羽天皇 (とば) 皇紀1767-1783 西暦1107-1123
75代  崇徳天皇 (すとく) 皇紀1783-1801 西暦1123-1141

76代  近衛天皇 (このえ) 皇紀1801-1815 西暦1141-1155
77代  後白河天皇 (ごしらかわ) 皇紀1815-1818 西暦1155-1158
78代  二条天皇 (にじょう) 皇紀1818-1825 西暦1158-1165
79代  六条天皇 (ろくじょう) 皇紀1825-1828 西暦1165-1168
80代  高倉天皇 (たかくら) 皇紀1828-1840 西暦1168-1180
81代  安徳天皇 (あんとく) 皇紀1840-1845 西暦1180-1185
82代  後鳥羽天皇 (ごとば) 皇紀1843-1858 西暦1183-1198
83代  土御門天皇 (つちみかど) 皇紀1859-1870 西暦1198-1210
84代  順徳天皇 (じゅんとく) 皇紀1870-1881 西暦1210-1221
85代  仲恭天皇 (ちゅうきょう) 皇紀1881-1881 西暦1221-1221
86代  後堀河天皇 (ごほりかわ) 皇紀1881-1892 西暦1221-1232
87代  四条天皇 (しじょう) 皇紀1892-1902 西暦1232-1242
88代  後嵯峨天皇 (ごさが) 皇紀1902-1906 西暦1242-1246
89代  後深草天皇 (ごふかくさ) 皇紀1906-1919 西暦1246-1259
90代  亀山天皇  (かめやま) 皇紀1919-1934 西暦1259-1274
91代  後宇多天皇 (ごうだ) 皇紀1934-1947 西暦1274-1287
92代  伏見天皇 (ふしみ) 皇紀1947-1958 西暦1287-1298
93代  後伏見天皇 (ごふしみ) 皇紀1958-1961 西暦1298-1301
94代  後二条天皇  (ごにじょう) 皇紀1962-1968 西暦1301-1308
95代  花園天皇 (はなぞの) 皇紀1968-1978 西暦1308-1318
96代  後醍醐天皇 (ごだいご) 皇紀1978-1999 西暦1318-1339
97代  後村上天皇 (ごむらかみ) 皇紀1999-2028 西暦1339-1368
98代  長慶天皇 (ちょうけい) 皇紀2028-2043 西暦1368-1383
99代  後亀山天皇 (ごかめやま) 皇紀2043-2052 西暦1383-1392
100代  後小松天皇 (ごこまつ) 皇紀2042-2072 西暦1382-1412

101代  称光天皇 (しょうこう) 皇紀2072-2088 西暦1412-1428
102代  後花園天皇 (ごはなぞの) 皇紀2088-2124 西暦1428-1464
103代  後土御門天皇 (ごつちみかど) 皇紀2124-2160 西暦1464-1500
104代  後柏原天皇 (ごかしわばら) 皇紀2162-2188 西暦1500-1526
105代  後奈良天皇 (ごなら) 皇紀2188-2219 西暦1526-1557
106代  正親町天皇 (おおぎまち) 皇紀2219-2248 西暦1557-1586 
107代  後陽成天皇 (ごようぜい) 皇紀2248-2273 西暦1586-1611
108代  後水尾天皇 (ごみずのお) 皇紀2273-2291  西暦1611-1629
109代  明正天皇 (めいしょう) 皇紀2291-2305 西暦1629-1643
110代  後光明天皇 (ごこうみょう 皇紀2305-2316 西暦1643-1654
111代  後西天皇 (ごさい) 皇紀2316-2323 西暦1654-1663
112代  霊元天皇 (れいげん) 皇紀2323-2347 西暦1663-1687
113代  東山天皇 (ひがしやま) 皇紀2347-2369 西暦1687-1709
114代  中御門天皇 (なかみかど) 皇紀2369-2395 西暦1709-1735
115代  桜町天皇 (さくらまち) 皇紀2395-2407 西暦1735-1747
117代  後桜町天皇 (ごさくらまち) 皇紀2422-2430 西暦1762-1770
118代  後桃園天皇 (ごももぞの) 皇紀2430-2439 西暦1770-1779
119代  光格天皇 (こうかく) 皇紀2439-2477 西暦1779-1817
120代  仁考天皇 (じんこう 皇紀2477-2506 西暦1817-1846
121代  孝明天皇 (こうめい) 皇紀2506-2526 西暦1846-1866
122代  明治天皇 (めいじ) 皇紀2527-2572 西暦1867-1912
123代  大正天皇 (たいしょう) 皇紀2572-2586 西暦1912-1926
124代  昭和天皇 (しょうわ) 皇紀2586-2649 西暦1926-1989
125代  今上陛下   皇紀2649- 西暦1989-
  
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わが国の 歴史を知らず なに学ぶ    基本が無い
天皇の 歴史も知らず 日本人    中身なし・アウトです
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占領政策にまんまと乗せられて、そのまま来ている日本。
自国の歴史を再確認する時に来ているのでは・・・!
いや、もう手遅れか・・?

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Posted by 残心 - 2016.03.04,Fri
琉球の独立だとか言っている人々がいるようだけど・・・。
民族という名の危険な思想  (ねずさんのひとりごと)

《 勝手に要約 》

1 日本語の「民族」という言葉には、ネイションエスニックの両方の意味がある。
2 ネイション(Nation)は、国家である。
3 エスニック(Ethnic)は、同一の文化集団である。
4 ネイションは国家だから「国民」の特定ができるが、エスニックはその特定ができない。

多くの日本人は、いまでも、このエスニックネイションの区別がついていません。
「民族」という便利な用語で、エスニックとネイションの両方をひとまとめにしてしまっていることに安住し、エスニックの独立という言葉の持つ恐ろしさに気付いていません。

それどころか、「国家(Nation)は民族(ethnic)ごとに独立しなければならない」などと、まったく意味不明の論理のパラドックスの中に入り込んでいます。
この理屈は、戦前の朝鮮独立派の不逞朝鮮人のバカ者どもとまったく同じ発想にすぎません。

同じ会社で働くA君とB君が、それぞれエスニックを言い出したら会社組織は成立しません。
「お前とは生まれや出身や信仰や生活習慣が違うから、一緒に仕事ができない」などという、そんな主張を真に受けていたら、まともな経済活動など成立しません。
同様に、同じひとつのネイション(国家)の中にあって、互いにエスニックが異なるから一緒にやっていくことはできないなどと言い出したら、これまた国家など成立しえません。

日本語の「民族」には、ネイションという意味と、エスニックという意味の両方が内包されています。
このことを明確にしないで、ただ「民族」を言い出すのは、国家解体を唱えているのと同じことなのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
エスニック 文化が違えば 独立か   琉球を利用する勢力あり
民族は ネイション(国家)なのか エスニック(文化集団)?  
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米国などが「民族ごとに独立」などと言い出したら、まさに戦国時代となってしまうだろう。
米国はもともとが原住民を駆逐して建国された国なんだから、国が丸ごとエスニック容認でしか成り立たない国のはず。
(南米のほぼすべての国も同じ)
日本で今言われている「琉球独立」などはお笑いでしかない。

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Posted by 残心 - 2016.02.26,Fri
何のために人は生きるのか?・・・なんて考えさせる扇動も・・・。
大切なのは、どんな子を育てるかではなく、どんな子を育てる子に育てあげるか ~ 子育てについて③    (日本の面影)

《 勝手に要約 》
人間の本当の存在意義、子育ての意味・・・それは私がここでも言ってる通り、「あなたの人生はあなたの人生ではない。あなたの命もあなたのものではない。将来の子供たちのためのもの。だから今のあなたがいるのは代々続いた多くのご先祖たちのおかげでもある」のだと言うこと。
このことを子供に言う時は、「あなた」を「おまえ」にでも言い換えて言えばいい。

哲学とかで「何のため人は生きるのか」なんて、よく出てきますが、その答えは子孫のためです。これは、たとえ自分の子供が生れなくとも、その人の生きた証、生き様は、周りの人にどれだけ働きかけたかで・・・それが大いなる意味あるものであったなら、10年後あるいは百年後、千年後まで必ずや残っていくことでしょう。だけど、今が大事、命が大事・・・こんなのではその人の残骸なんて将来あと形もなく消え去っていることでしょう。

大体、「命が大事!」なんて言ってる左翼やフェミ的な連中が、何百年も前の、何千年も前のものなんてと蔑んでは、先人の思い・叡智の結集である古典的な教えを貶めてること自体お笑いなんですね。先人の思いや命を完全に無視してるわけですから、そんな奴らの跡形なんて将来は完全に消滅して当たり前と言えます。

人の命なんて、あってないようなもの、ゴミ同然のものにすぎません。100年も経てば、ここをご覧の皆さんだって、殆どもう、この世に存在してないんですから。されど、その魂、精神というのは、その生き様次第で未来永劫、子孫たちに受け継がれ、永遠のものとなりうるわけです。

『古代は、古代当時では現代。現代は、未来では古代。未来は、未来では現代。未来だって、そのまた未来では古代。とどのつまり、時代ってのはどれも同じで、つながってるんですよ。だから、古代人も現代人も未来人も、どの時代のことでも【リアル=今の問題】と考えることで、それぞれの思ひはつながるんです』

『生き物なんて皆、子孫を残すためだけにあんなに必死なのに、人間だけが「人生を楽しもう!」 「自由だ!」 「権利だ!」 「平等だ!」とか、甘っちょろいこと言って生き残ってられるなんて、絶対ありえないと思え。』
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
生きる意味 そんなものなら 子孫のためさ   変な哲学に騙されるな
先人と 未来人とを 橋渡し          生きる意味
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「人は何のために生きるのか」などの疑問は、人を混乱させるための道具として活用されているのか?
人の一生などは、世界の壮大な時間の中の「ちっぽけな点」でしかない。

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Posted by 残心 - 2015.12.28,Mon
古事記は「天皇指導の書」だったのですね・・。
古事記に学ぶ日本の間違い  (ねずさんのひとりごと)

《 勝手に要約 》
古事記に学ぶ日本の3つの間違いを書いてみたいと思います。
ほんとうは、もっともっとたくさんの学びが古事記にはあります。
そのなかのほんのサワリになります。

今日書くのは、次の3つです。
1 単独で戦う間違い
2 日韓関係の間違い
3 人事権の間違い

────────────
1 単独で戦う間違い
────────────

これは古事記における神武東征の物語から学ぶことができます。
神武天皇は、ナガスネヒコの一味と戦うに際して、心配した高天原から神の太刀を授かります。
その太刀は、手にしているだけで、敵はホロホロと崩れて気を失ってしまうという、たいへんな霊力を持った太刀です。
いまの時代なら、さしづめ核ミサイルに相当する兵器かもしれません。

ところが高天原は、それだけの兵器を神武天皇に渡していながら、熊野をまわって仲間を集めろと言います
つまり、どれだけ強い兵器を持っていたとしても、戦うときは、まずは「仲間を集めろ」と古事記は書いています。

その意味で、先の大戦において米国は、連合国を組成しました。
日本が単独で戦ったのに対し、米国は世界を仲間につけました。
ちゃんと神話で、どんなに強い武器を持っていたとしても、戦うときには、まずは仲間を集めよと、日本の建国神話にちゃんと書かれているのに、日本は単独で戦い、対する米国は、神話がないのに仲間を集めて戦ったわけです
結果は、みなさまご存知の通りです。

────────────
2 日韓関係の間違い
────────────

古事記は、海彦山彦の物語で、山彦は、兄の海彦から、太平洋に落とした針一本を探しだして持ってくるように言われました。
これはできない相談です。
はじめから不可能なことです。
しかも相手は、兄、です。
無視することはできない。

つまり古事記の海彦山彦の物語は、実は、無視することのできない相手から、誰がどう考えても理不尽としか言いようのない難題を突きつけられたときに、どのように対処したら良いかを教えてくれています

この答えは、海の大神が明確に出してくれています。
1 相手に謝る必要はない
2 相手に経済的制裁を加えよ
3 経済制裁で困った相手が攻めてきたら、まえもって準備万端整えておいて完膚なきまでにやっつけよ
4 相手が詫びを入れてきたら、赦してあげよ

このことは、日韓関係にまるごと当てはまります。
そもそも「従軍慰安婦」など存在しません。
「従軍」というのは、軍に所属していることを意味します。
ですから「従軍牧師」といえば、軍から給料をもらっている牧師さんです。
「従軍慰安婦」というのは、軍から給料をもらっていたのでしょうか。

要するに韓国は、はじめからありもしないことを、「あった」と決めつけて、無茶な金銭の要求をしてきているのです。
そのようなものに対しては、「一切詫びる必要はない」と明確に古事記は書いています。
それどころか、経済制裁を加えよ、と古事記は書いています。

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3 人事権の間違い
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古事記は、天の岩戸の前と後とで、高天原の統治の形態が180度変った様子を描いています
前は、あらゆる意思決定を天照大御神が行っていました。
後は、日常の政治活動の一切は、八百万の神々が取り仕切るようになりました。

ただし、条件があります。
その条件とは、人事権だけは、天照大御神がしっかりと握って放してないことです。

日本の統治が、法や神を最高位に置くのではなく、常に天皇を最高位においてきた理由もここにあります。
国家最高の超法規的存在が、人事権を持つこと。
結局は、人で政治は動くのです。
会社でも同じです。
誰をどこに配置するかで、結果は見なくてもわかる。
それが人事というものです。

いまの内閣も同じです。
安倍首相は、日本を取り戻すために、本当によく頑張ってくださっていると思います。
けれど総理の人事権は、閣僚人事だけで、それ以外の人事権は行使できません。
天皇に至っては、親任権があるだけで、任命権がありません。拒否権もない。
これでは、まともな統治などできようはずもないのです。

会社の社長に人事権がなければ、会社は崩壊します。
あたりまえのことです。
会社の社長が、引退して会長に退く場合でも、実権を持っていたいなら、人事権は手放さないことです。
そう、古事記に書いてあります。

 ***

以上のことが「古事記に書いてある」というのは、不思議に思う方もおいでかもしれません。
けれど、そもそも古事記は「天皇指導の書」として書かれたと、古事記の序文に書かれています。
そのつもりで読めば、古事記は知恵の殿堂です。
それを古事記を、ただの神話やお伽話としてしか理解しようとしないから間違うのです。

もうひとつ、言いたいことを書いておきます。

古事記には、有名なイザナキ、イザナミの神話があります。
ご存知の方は、そのラストシーンで、半狂乱になって黄泉の国から追いかけてきたイザナミが、千引岩を挟んで夫のイザナキと対峙したときの対話です。

ミ「愛しき我が夫の命(みこと)よ、お前がこのようなことをなさるなら、私は汝の国の人草を一日に千人絞(くび)り殺しましょう

キ「愛しき我が妻よ、おまえがそうするなら私は一日に千五百の産屋(うぶや)を建てよう

女性が半狂乱になって追いかけてくるシーンばかりが強調されているようですが、この会話が重要です。
イザナミは「毎日千人殺す」と言っています。
そう言われたら、普通はどうするでしょうか。

たとえばISがが「日本でこれから毎日千人殺す」と言ってきたら、どうするでしょうか。
そういう設問なのです。
普通なら、「おい、やめてくれ!」と懇願するか、怒鳴るか、千引岩を開けて黄泉の国へ攻め込むか、つまり相手に軍事的制裁を加えるか。
そんな選択しかないと思います。

けれど古事記は、「ならば私はこれから毎日1500の産屋を建てるよ」と答えているのです。
相手の主張に対して、怒るわけでもなければ、拒否するわけでもない。叱るわけでもない。受け入れ協調するわけでもない。相手の言いなりになるわけでもない。
まったく第三の選択として、もっと多くの子を生むよ、と答えています。

これが日本的和の精神の神髄です。
協調でもなければ、迎合でもない。
対立でもなければ闘争でもない。
相手を受け入れ、それ以上の良い結果を見出しています

これが古事記に書かれた日本人の知恵です。
こういうことを、1300年前の古事記が書いているのです。

古い時代に書かれた書を、あからさまに見下す人がいます。
特に左前の学者さんに、そんな傾向が顕著であるように感じます。
百人一首の世界など、まるで色キチガイの男女の織りなすたわごとの世界のように解説している本もあります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
国の舵 基本はここに 書いてある    古事記の内容
古典の意 わざとおとしめ 教育す    戦後の教育
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
読み込めば、深いものだったのである。

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Posted by 残心 - 2015.12.24,Thu
ねずさんが今度は「古事記」の本を出すそうだ。
古事記予告編として  (ねずさんのひとりごと)

《 勝手に要約 》
古事記は最初から「国家組織の要素であり、天皇の指導の基本書」として書かれているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――
言葉が通じないという問題が、方言の問題だけなら、全国の豪族の跡継ぎの子を都で預かり、共同生活、共同教育を施すことによって、いまでいう標準語、同じ言葉を共用することができるようになります。
けれど文字は、各豪族ごとに誇りを持った歴史ある異なる文字を使用しています。
そのなかでどの豪族の文字を用いるかを調整することは困難です。
それぞれの豪族ごとに歴史があるのです。つまり、どの神代文字を採用するかを議論していたら、永遠に統一文字を日本は使えないのです。これは軍事的弱点です。

ならば、敵の国の言語を、共通語にしてしまおう。
これが漢文を、統一言語としての教育に取り入れた理由です。
こうすることにより、日本人は敵の言語を解読できます。
けれど敵には日本語がわからない。情報面で日本は有利に立つことができます。
しかも、日本全国の共通の敵である唐の言葉を学ぶと決めることは、どの豪族のどの神代文字を標準語にするかよりも、はるかに調整が容易です。
しかも漢字は、当時流行しはじめた仏教の経典でも使われています。普及が容易なのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――
日本書紀が10年余計にかかった理由は、古事記に書かれた内容を、いかにして教育プログラムにしていくかが議論され、子供達に興味をもってもらうためには、どのようにしたら良いか、外国人にも読める漢文にするにあたり、何を伏せ、何を強調するかが深く検討されたためなのだとすれば、納得できます。

子供に教えるということと、大人の管理職が学ぶことでは、その意図も重さも異なります。
ですから古事記と日本書紀では、神様や人名に使われている漢字からして異なります。
たとえば日本書紀では神武天皇ですが、古事記では神倭伊波礼毘古天皇です。

古事記が先に書かれていたということは、日本書紀の編纂者たちは、神倭伊波礼毘古天皇という表記をちゃんと知った上で、あえて日本書紀には神武天皇と書いているわけです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
漢文を 統一言語に 利用する    国防上必要な言語統一
日本語は とっておきゆえ 隠しとく    漢文を利用 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
漢文を共通語として使うことにしたのは、軍事的な意味も大きかったようである。
軍事のため、言語の国家統一のため、漢文は有益だったということのようだ。

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Posted by 残心 - 2015.12.16,Wed
古事記の読み方はこういうふうなのか。
大昔から日本には神聖な、哲学というか宗教というか、伝統的な考え方があったのに・・・。



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魂は 身は滅ぶとも 生き続く     魂は永遠
現世の利 求めるの愚は 現世のみ    生き方に余裕
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
肉体は死ぬと無くなり、黄泉の国へ行き、帰ってこない。
魂は死んで、根の堅洲国(ねのかたすくに)へ行き、また帰ってこれる。
大国主命がスサノオに会う、根の堅洲国というのは、魂の世界だったとは・・!

日本人の考え方というのは、「肉体と魂は別物」というのが当然だったのですね。
魂は汚さない、というのが基本だった・・・。

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