自由主義と共産主義の間、グローバリズムとナショナリズムの間の今は何処? <外道たちの最中で> 切ない事情
Posted by 残心 - 2015.12.28,Mon
古事記は「天皇指導の書」だったのですね・・。
国の舵 基本はここに 書いてある 古事記の内容
古典の意 わざとおとしめ 教育す 戦後の教育
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読み込めば、深いものだったのである。
・古事記に学ぶ日本の間違い (ねずさんのひとりごと)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
《 勝手に要約 》
古事記に学ぶ日本の3つの間違いを書いてみたいと思います。
ほんとうは、もっともっとたくさんの学びが古事記にはあります。
そのなかのほんのサワリになります。
今日書くのは、次の3つです。
1 単独で戦う間違い
2 日韓関係の間違い
3 人事権の間違い
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1 単独で戦う間違い
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これは古事記における神武東征の物語から学ぶことができます。
神武天皇は、ナガスネヒコの一味と戦うに際して、心配した高天原から神の太刀を授かります。
その太刀は、手にしているだけで、敵はホロホロと崩れて気を失ってしまうという、たいへんな霊力を持った太刀です。
いまの時代なら、さしづめ核ミサイルに相当する兵器かもしれません。
ところが高天原は、それだけの兵器を神武天皇に渡していながら、熊野をまわって仲間を集めろと言います。
つまり、どれだけ強い兵器を持っていたとしても、戦うときは、まずは「仲間を集めろ」と古事記は書いています。
その意味で、先の大戦において米国は、連合国を組成しました。
日本が単独で戦ったのに対し、米国は世界を仲間につけました。
ちゃんと神話で、どんなに強い武器を持っていたとしても、戦うときには、まずは仲間を集めよと、日本の建国神話にちゃんと書かれているのに、日本は単独で戦い、対する米国は、神話がないのに仲間を集めて戦ったわけです。
結果は、みなさまご存知の通りです。
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2 日韓関係の間違い
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古事記は、海彦山彦の物語で、山彦は、兄の海彦から、太平洋に落とした針一本を探しだして持ってくるように言われました。
これはできない相談です。
はじめから不可能なことです。
しかも相手は、兄、です。
無視することはできない。
つまり古事記の海彦山彦の物語は、実は、無視することのできない相手から、誰がどう考えても理不尽としか言いようのない難題を突きつけられたときに、どのように対処したら良いかを教えてくれています。
この答えは、海の大神が明確に出してくれています。
1 相手に謝る必要はない。
2 相手に経済的制裁を加えよ
3 経済制裁で困った相手が攻めてきたら、まえもって準備万端整えておいて完膚なきまでにやっつけよ
4 相手が詫びを入れてきたら、赦してあげよ。
このことは、日韓関係にまるごと当てはまります。
そもそも「従軍慰安婦」など存在しません。
「従軍」というのは、軍に所属していることを意味します。
ですから「従軍牧師」といえば、軍から給料をもらっている牧師さんです。
「従軍慰安婦」というのは、軍から給料をもらっていたのでしょうか。
要するに韓国は、はじめからありもしないことを、「あった」と決めつけて、無茶な金銭の要求をしてきているのです。
そのようなものに対しては、「一切詫びる必要はない」と明確に古事記は書いています。
それどころか、経済制裁を加えよ、と古事記は書いています。
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3 人事権の間違い
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古事記は、天の岩戸の前と後とで、高天原の統治の形態が180度変った様子を描いています。
前は、あらゆる意思決定を天照大御神が行っていました。
後は、日常の政治活動の一切は、八百万の神々が取り仕切るようになりました。
ただし、条件があります。
その条件とは、人事権だけは、天照大御神がしっかりと握って放してないことです。
日本の統治が、法や神を最高位に置くのではなく、常に天皇を最高位においてきた理由もここにあります。
国家最高の超法規的存在が、人事権を持つこと。
結局は、人で政治は動くのです。
会社でも同じです。
誰をどこに配置するかで、結果は見なくてもわかる。
それが人事というものです。
いまの内閣も同じです。
安倍首相は、日本を取り戻すために、本当によく頑張ってくださっていると思います。
けれど総理の人事権は、閣僚人事だけで、それ以外の人事権は行使できません。
天皇に至っては、親任権があるだけで、任命権がありません。拒否権もない。
これでは、まともな統治などできようはずもないのです。
会社の社長に人事権がなければ、会社は崩壊します。
あたりまえのことです。
会社の社長が、引退して会長に退く場合でも、実権を持っていたいなら、人事権は手放さないことです。
そう、古事記に書いてあります。
***
以上のことが「古事記に書いてある」というのは、不思議に思う方もおいでかもしれません。
けれど、そもそも古事記は「天皇指導の書」として書かれたと、古事記の序文に書かれています。
そのつもりで読めば、古事記は知恵の殿堂です。
それを古事記を、ただの神話やお伽話としてしか理解しようとしないから間違うのです。
もうひとつ、言いたいことを書いておきます。
古事記には、有名なイザナキ、イザナミの神話があります。
ご存知の方は、そのラストシーンで、半狂乱になって黄泉の国から追いかけてきたイザナミが、千引岩を挟んで夫のイザナキと対峙したときの対話です。
ミ「愛しき我が夫の命(みこと)よ、お前がこのようなことをなさるなら、私は汝の国の人草を一日に千人絞(くび)り殺しましょう」
キ「愛しき我が妻よ、おまえがそうするなら私は一日に千五百の産屋(うぶや)を建てよう」
女性が半狂乱になって追いかけてくるシーンばかりが強調されているようですが、この会話が重要です。
イザナミは「毎日千人殺す」と言っています。
そう言われたら、普通はどうするでしょうか。
たとえばISがが「日本でこれから毎日千人殺す」と言ってきたら、どうするでしょうか。
そういう設問なのです。
普通なら、「おい、やめてくれ!」と懇願するか、怒鳴るか、千引岩を開けて黄泉の国へ攻め込むか、つまり相手に軍事的制裁を加えるか。
そんな選択しかないと思います。
けれど古事記は、「ならば私はこれから毎日1500の産屋を建てるよ」と答えているのです。
相手の主張に対して、怒るわけでもなければ、拒否するわけでもない。叱るわけでもない。受け入れ協調するわけでもない。相手の言いなりになるわけでもない。
まったく第三の選択として、もっと多くの子を生むよ、と答えています。
これが日本的和の精神の神髄です。
協調でもなければ、迎合でもない。
対立でもなければ闘争でもない。
相手を受け入れ、それ以上の良い結果を見出しています。
これが古事記に書かれた日本人の知恵です。
こういうことを、1300年前の古事記が書いているのです。
古い時代に書かれた書を、あからさまに見下す人がいます。
特に左前の学者さんに、そんな傾向が顕著であるように感じます。
百人一首の世界など、まるで色キチガイの男女の織りなすたわごとの世界のように解説している本もあります。
国の舵 基本はここに 書いてある 古事記の内容
古典の意 わざとおとしめ 教育す 戦後の教育
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読み込めば、深いものだったのである。
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