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自由主義と共産主義の間、グローバリズムとナショナリズムの間の今は何処? <外道たちの最中で> 切ない事情 
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Posted by - 2025.05.05,Mon
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Posted by 残心 - 2015.12.24,Thu
ねずさんが今度は「古事記」の本を出すそうだ。
古事記予告編として  (ねずさんのひとりごと)

《 勝手に要約 》
古事記は最初から「国家組織の要素であり、天皇の指導の基本書」として書かれているのです。
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言葉が通じないという問題が、方言の問題だけなら、全国の豪族の跡継ぎの子を都で預かり、共同生活、共同教育を施すことによって、いまでいう標準語、同じ言葉を共用することができるようになります。
けれど文字は、各豪族ごとに誇りを持った歴史ある異なる文字を使用しています。
そのなかでどの豪族の文字を用いるかを調整することは困難です。
それぞれの豪族ごとに歴史があるのです。つまり、どの神代文字を採用するかを議論していたら、永遠に統一文字を日本は使えないのです。これは軍事的弱点です。

ならば、敵の国の言語を、共通語にしてしまおう。
これが漢文を、統一言語としての教育に取り入れた理由です。
こうすることにより、日本人は敵の言語を解読できます。
けれど敵には日本語がわからない。情報面で日本は有利に立つことができます。
しかも、日本全国の共通の敵である唐の言葉を学ぶと決めることは、どの豪族のどの神代文字を標準語にするかよりも、はるかに調整が容易です。
しかも漢字は、当時流行しはじめた仏教の経典でも使われています。普及が容易なのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――
日本書紀が10年余計にかかった理由は、古事記に書かれた内容を、いかにして教育プログラムにしていくかが議論され、子供達に興味をもってもらうためには、どのようにしたら良いか、外国人にも読める漢文にするにあたり、何を伏せ、何を強調するかが深く検討されたためなのだとすれば、納得できます。

子供に教えるということと、大人の管理職が学ぶことでは、その意図も重さも異なります。
ですから古事記と日本書紀では、神様や人名に使われている漢字からして異なります。
たとえば日本書紀では神武天皇ですが、古事記では神倭伊波礼毘古天皇です。

古事記が先に書かれていたということは、日本書紀の編纂者たちは、神倭伊波礼毘古天皇という表記をちゃんと知った上で、あえて日本書紀には神武天皇と書いているわけです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
漢文を 統一言語に 利用する    国防上必要な言語統一
日本語は とっておきゆえ 隠しとく    漢文を利用 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
漢文を共通語として使うことにしたのは、軍事的な意味も大きかったようである。
軍事のため、言語の国家統一のため、漢文は有益だったということのようだ。

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