自由主義と共産主義の間、グローバリズムとナショナリズムの間の今は何処? <外道たちの最中で> 切ない事情
Posted by 残心 - 2016.03.04,Fri
琉球の独立だとか言っている人々がいるようだけど・・・。
エスニック 文化が違えば 独立か 琉球を利用する勢力あり
民族は ネイション(国家)なのか エスニック(文化集団)?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
米国などが「民族ごとに独立」などと言い出したら、まさに戦国時代となってしまうだろう。
米国はもともとが原住民を駆逐して建国された国なんだから、国が丸ごとエスニック容認でしか成り立たない国のはず。
(南米のほぼすべての国も同じ)
日本で今言われている「琉球独立」などはお笑いでしかない。
・民族という名の危険な思想 (ねずさんのひとりごと)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
《 勝手に要約 》
1 日本語の「民族」という言葉には、ネイションとエスニックの両方の意味がある。
2 ネイション(Nation)は、国家である。
3 エスニック(Ethnic)は、同一の文化集団である。
4 ネイションは国家だから「国民」の特定ができるが、エスニックはその特定ができない。
多くの日本人は、いまでも、このエスニックとネイションの区別がついていません。
「民族」という便利な用語で、エスニックとネイションの両方をひとまとめにしてしまっていることに安住し、エスニックの独立という言葉の持つ恐ろしさに気付いていません。
それどころか、「国家(Nation)は民族(ethnic)ごとに独立しなければならない」などと、まったく意味不明の論理のパラドックスの中に入り込んでいます。
この理屈は、戦前の朝鮮独立派の不逞朝鮮人のバカ者どもとまったく同じ発想にすぎません。
同じ会社で働くA君とB君が、それぞれエスニックを言い出したら会社組織は成立しません。
「お前とは生まれや出身や信仰や生活習慣が違うから、一緒に仕事ができない」などという、そんな主張を真に受けていたら、まともな経済活動など成立しません。
同様に、同じひとつのネイション(国家)の中にあって、互いにエスニックが異なるから一緒にやっていくことはできないなどと言い出したら、これまた国家など成立しえません。
日本語の「民族」には、ネイションという意味と、エスニックという意味の両方が内包されています。
このことを明確にしないで、ただ「民族」を言い出すのは、国家解体を唱えているのと同じことなのです。
エスニック 文化が違えば 独立か 琉球を利用する勢力あり
民族は ネイション(国家)なのか エスニック(文化集団)?
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米国などが「民族ごとに独立」などと言い出したら、まさに戦国時代となってしまうだろう。
米国はもともとが原住民を駆逐して建国された国なんだから、国が丸ごとエスニック容認でしか成り立たない国のはず。
(南米のほぼすべての国も同じ)
日本で今言われている「琉球独立」などはお笑いでしかない。
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