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自由主義と共産主義の間、グローバリズムとナショナリズムの間の今は何処? <外道たちの最中で> 切ない事情 
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Posted by - 2025.05.05,Mon
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Posted by 残心 - 2015.12.14,Mon
「貨幣の扱い」というのは、世の中を全く変えるのですね・・。
みんなが食える世  (ねずさんのひとりごと)

《 勝手に要約 》
「損得」ではない、施政者が共有すべき価値観とは何でしょうか。
古事記はそれを
──────────
天下の政
────────── と書いています。

古事記が「天下の政」としている価値観は、「みんなが安心して食べて行かれる社会を築くこと」にあります。

どこまでも、みんなが「食える」ことが大事だというのです。
逆にいえば、ごく一部の少数の人達だけが腹いっぱい飯を食べることができ、他の圧倒的大多数の人々が飢えに苦しむような社会は、天下に正しきを行うことではない、つまり「天下の政」ではないし、価値ある政治に値しないということです。

バブル崩壊後の日本の政治は、格差社会を生み出し、企業のトップが年収何千億円も得る一方で、末端の従業員たちは、どこまでいってもパート扱いであったり、正社員であっても4〜5年勤務したら定期昇給によって賃金があがるので、様々に辱めてお払い箱にする。
日本人の雇用がなくて、町に失業者が溢れているのに、外国人を雇用するように政治の舵をとる。
これは、みんなが食える社会ではなくて、一部の利得者だけが食える社会を目指しているという意味において、「正しい道」とはいえない、ということになります。

日本は、選挙制度を小選挙区制にしました。
これは、白か黒かで議員を選ぶ方式ですから、そもそもが政治の対立を前提とした選挙制度ということができます。「みんなが食える」ということが、最大の価値判断の基準であるはずなのに、最初から、半分の意見を切り捨てるということころからスタートしているのです。
これで「天下の政」が可能だと思うなら、よほどのアホとしかいいようがありません。
―――――――――――――――――――――――――――――――
誰しも、祖先があるから、いま生きているわけで、現代人ひとりが生まれるためには、鎌倉時代に、現代のひとりにつき、1億2千万人の祖先を必要とします。
現代人2人のためには、2億4千万人の祖先が必要です。
3人なら3億6千万人です。
けれど、鎌倉時代の日本人の数は700万人です。

つまり、誰もが祖先がどこかで重なっているわけです。
日本は何千年もの歴史を持つ国ですから、ルーツを辿れば生粋の日本人なら、すべての日本人が、すべて天皇を祖として、みんなどこかでつながる親戚です。
それを、氏や姓という縦軸で分類し、地域という横軸の苗字で分類したものが、姓氏であるわけです。

まさに日本人は、天皇を共通の祖として、誰もが親戚なのです。
そして誰もが天皇の「おおみたから」としてきたのが日本です。
ですから、誰が上、誰が下ということもない。
みんなが人として対等です。

対等は平等とは異なります
みんなの暮らしに責任を持つ人と、自分の仕事にだけ努力すれば良い人では、世の中における役割が異なります。
それぞれがそれぞれのポジションで、自分の役割をきっちりと果たして生きる。
互いの役割を尊重していく。
それが古来の日本社会のあり方でした。
―――――――――――――――――――――――――――――――
先日の倭塾で、陰陽師で有名な安倍晴明は、年収4億円くらいあった、というお話をしました。
それだけ聞くと、まるで安倍晴明は、リッチでゴージャスな大金持ちみたいです。
けれど、その4億円の収入は、お金ではなく、お米でもらいました
お金なら貯めこむことができますが、お米は貯めこむことができません。
置いといたら、痛んでしまうのです。

どんなに頑張っても、人間一人で年に100万円分もお米を食べれませんから、安倍晴明は4億円分のお米で、それだけたくさんの人々を養い、食べさせなければならなかったということです。
つまり、当時における年収4億円ということは、個人が贅沢をするためのお金が4億円ではなくて、今風にいうなら、4億円の人件費の支出が義務付けられていた、ということに近いのです。

要するに、どこまでも「天下の政」、つまりみんなを食えるようにすることが、政治における最大の命題ということが、日本のまさに太古の昔からの知恵です。
そしてこの「みんなが食えるようにしていくこと」のお役にたてる人材となっていくことを、成長するという言葉で表したし、聖徳太子はこのことを十七条憲法の第15条で「向公私背」と書きました。
私にそむいて、おおやけに向かえ」と読みます。
これが日本的価値観の根幹です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
皆がみな 助け合って 生きてた世     近代以前の日本
欲得が さも正しくて 廃れる和     壊れていく和の国
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
近代以前の日本において、公務の収入が莫大ならば、それだけ大勢へ人件費の支出が必要だった・・・!

今の基準で考えると、過去を見誤ってしまうことになる。

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Posted by 残心 - 2015.12.13,Sun
奈良・平安時代では、死刑の執行がほぼなかったらしいが・・・。
刑法と法治主義  (ねずさんのひとりごと)

《 勝手に要約 》
大昔の日本では、大宝律令、養老律令のように、律令制度が敷かれていましたが、律令というのは、律が刑事法令が民事法です。

律令制度自体は、支那の王朝の制度に倣(なら)ったものです。
支那では日本と逆で、むしろ律令は刑罰のための「」が中心でした。
令は補完的なものにすぎないし、むしろ政治によって破られるのがあたりまえのものでしかありませんでした。

ところが日本では、「律」は、ほとんど施行されず、むしろ「」ばかりが、広がったわけです。
どうしてでしょうか。

たとえば盗人が、ある家に強盗に入った。捕まった。そこで処罰するのに、刑期を何年にする、と決めたのが刑事法の「律」です。

そして、そうした不幸が起きてからでなければ裁けないということなら、その国はとっても不幸な国です。
なぜなら、犯罪を未然に抑止していないからです。

日本では、もし、天皇の民が不幸な事態に巻き込まれる、つまり強盗や強姦や殺人事件などに巻き込まれたなら、それは「加害者の責任ではなく、臣の責任」と考えられたのです。

なぜそのように考えられたのかといえば、答えは明白です。
「責任と権限」は一体だからです。
権限があるから、責任があるのです。
責任があるから、権限があるのです。

権限のある者が、総力をあげて犯罪を未然に防いだのです
だから犯罪のない、安定して安心して暮らせる世の中が生まれました。

奈良・平安時代には死刑が執行されなかったという話は、学校でも教わることですが、死刑が非人道的だから死刑を執行しなかったのではありません。
死刑の執行など起きないように、つまり重大犯罪が起きないように、総力をあげて犯罪を未然に防いでいたから、結果として死刑を執行する必要がなかったのです。

この点、現代の日本は、奈良平安の昔の日本よりも、はるかに遅れた社会を営んでいると言わざるを得ません。

道徳心を養い、権限と責任が明確であること
それが実現できないのが法治主義だというのなら、法治主義は、極めて退廃的かつオクレタシステムと云わざるをえないのではないかと思います。

支那のように、次々と起こる犯罪に厳罰をもって対処する国と、
昔の日本のように、世を挙げて犯罪そのものを発生させない国と、
どちらが安心して住める、住みよい国といえるのでしょうか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
権限が あれば責任 ついてくる     以前の日本の統治
犯罪が 起きる以前に 防いでる        〃
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今の韓国などは人治主義だと言われているが、法治主義でさえも遅れているのか?
以前の日本のように、犯罪を未然に防げる社会に戻すのは不可能かも・・・。

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Posted by 残心 - 2015.11.09,Mon
「日本には漢字渡来まで文字がなかった」というのは、どう考えても不自然だと思っていたが、こう考えるとツジツマが合うのでは?

神代文字の時代  (ねずさんのひとりごと)

《 勝手に要約 》
古事記の序文には、冒頭に書きましたように、「諸家が史書を持っていた」という記述があります。
それらはいったいどのような文字で書かれたものだったのでしょうか。
その答えが実は「神代文字」です。

神代文字というのは、実に様々な種類があります。
みなさまよくご存知のホツマ文字、カタカムナ文字、アヒル(阿比留)文字の他にも、

上津文字、化美津文字、伊予文字、出雲石窟文字、トヨノ文字、山窩文字、豊国文字、春日文字、アソヤマ文字、越文字、アジチ文字、守恒文字、斎部(インべ)文字、惟足(コレタリ)文字、筑紫文字、重定石窟文字、ヤソヨ文字、阿奈伊知文字、マニナ文字、六行成文字、肥人文字、イスキリス文字 、タネマキ文字、種子文字、アイヌ文字、対馬文字、阿比留草文字、日文草書、薩人文字、阿波文字、天狗文字等々、名の知られた文字だけで34種類もあります。
探せば他にももっとたくさん出てくることでしょう。
―――――――――――――――――――――――――――――――
日本は、縄文時代から続く、とてつもなく古い歴史を持った国です、
どのくらい古いかというと、縄文時代のはじまりが今から約2万年前
弥生時代になるのが約3千年前です。
つまり、縄文時代だけで、1万7千年も続いているのです。

もっというなら日本では、
11万年前には、石器が使われ
3万年前には、加工した石器(磨製石器)が使われ、
1万6500年前には、世界最古の土器がつくられ、
1万3000年前には、人の形をした土偶がつくられ、
1万2500年前には、漆が栽培され、使われていたのです。

漢字渡来とされる西暦552年から今年(現代)まで、まだ、たったの1463年です。
文科省指導による歴史教科書では、日本の近代を明治維新以降、現代を戦後と区分していますが、明治維新から現代まで、たったの150年です。
万年の単位にまでなる日本の歴史からみたら、明治維新はつい昨日のことでしかないし、1500年前もわずか10日前のことでしかないのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――
この時代、地方ごとに異なる文字が使われていた一方で、漢字は外国語として日本全国に共通に普及していました
だから共通語として、外国語である漢字を使って、全国各地の神代文字で書かれた史書を統一したのだと考えるのは、ごく自然ななりゆきです。

このことがわかると、古事記と同時期に編纂された日本書紀が、なぜ綺麗な漢文で書かれたのかも説明がつきます。
日本書紀が美しい漢文で書かれ、これが子供達の教科書になれば、子供達は自国の歴史や道徳を学べるだけでなく、外国語である漢文を、普通に読み書きできるようになります。
日本に攻め込もうとする唐の人々には、日本語はわかりません。
ところが日本人は、唐の国の文書を誰もが読み書きできるのです。
これは戦略上、国防上、ものすごく有利な国家インフラです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日本の 結と守りに 漢字利す     統一と防衛に利用
よそ行きの 共通言語 漢字とす    漢字を利用しただけ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
やっぱり漢字渡来まで文字がない、という解釈は無理だと思う。
むしろ、「漢字を文字統一に利用した」という方がしっくり来る。

ホツマ文字も様々な種類の一つだったのか?

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Posted by 残心 - 2015.08.01,Sat
事実としての、「1942年の日本」は下図のとおり。

「1942年の日本」
 
親次第で自虐史観なんてどうにでもなる。
~ 日本のおかげでアジア諸国の独立が早まった・・・そんなことで喜んでるのも自虐史観の亜種にすぎない
  (日本の面影)

《 勝手に要約 》
ネットでよくある、アジア諸国の独立を著しく早めた東洋の救世主たる日本・・・なんてのと、私の誇りにする広大な領土を擁した日本というのは、日本を誇りにしてるベクトルが全く違っています。日本は東洋・アジア諸国のため戦ったなんてのもウソであって、そっちの方に向かわせようとしてるのは、本能的な支配欲を否定するものであり、私自身は強い者が勝つ征服や侵略は正当化してしかるべきだと思ってるし、そういう意味では本物の右翼だと思ってます。逆に征服されないためには自分、自国が常に切磋琢磨しておくしかない。

日本のおかげで多数のアジア諸国が独立できたなんてのは、私からすれば、欺瞞に満ちた左翼的な自虐史観の亜流にすぎません。「ウイグル、チベット可哀そう」なんて目を向けさせるのもそう。だからこれらも勇者たる日本人を眠らせるための、あっち側の工作活動の一種なんです。そうではなく、支配者たる日本、攻める日本を目指さなければならない。もちろん、そのためには当時のような領土侵攻ではなく、現代では巧みな精神侵略を駆使しなければいけない

広大な大英帝国を擁したイギリス人が、英国のおかげでインドやアラビア他、多数の諸国を独立させることが出来た・・・なんて言って喜んでるとするなら、バカだと思いませんか? もちろん日本がアジア諸国から感謝されてるというなら、それはそれでいいことですが、だからといって日本が戦争に負けたことで独立させることが出来たなんて喜んでるとするなら、私からすれば甚だ自虐的でお笑い。そんなことを誇りにするのでなく、どうせ誇りにするなら、かつてアメリカと同じくらい広大な領土を擁していた日本を誇りにしたいし、もちろんうちでは子供にもそんな風に教えてます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
花畑 冷静に見ろ 自国美化      敗戦後は言い訳になる
こころざし 正しかろうと 負けてチャラ    自国が終り
勝たないと 大事なものは 守れない    古来よりの法則
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日本は負けても、アジア諸国を独立に導いたのだから・・、といい気になってないか?
そうやって外国人を優しい目で見ていると、米中韓の思う壺で、間接侵略されているかも。

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Posted by 残心 - 2015.06.27,Sat
残っていれば沢山得るものがあっただろうに・・・。
インカと安全保障 (ねずさんのひとりごと)

《 勝手に要約 》
インカでは、太陽が崇拝され、灌漑と台地栽培によって、農業生産が行われていたようです。
そして、インカの遺跡からも、不思議なほど、武器が出てきません
日本も、全国に数万カ所ある縄文時代の遺跡から、現在に至るまでただの一度も対人用の武器が出土したことがありません。
つまり、人が人を殺して「奪う文化」ではなく、人と人とが共同して食べ物を「つくる文化」を共有していたわけです。
―――――――――――――――――――――――――――――――
ところがインカは、それだけ発達した交通網や文化を持っていたことが、結果として、文明を滅ぼしています。
どういうことかというと、スペインの掠奪者、フランシスコ・ピサロの一行がやってきたのです。
武器を持たないインカの民に対し、ピサロは情け容赦なく銃をぶっ放し、女を強姦し、黄金や貴金属、宝石などの富への略奪を重ねました。

そして和平を願って交渉にきたインカの王、アタワルパを逮捕し、まる裸にして辱め、殺害し、ついには、わずか180名(たった180名です)の180丁の銃で、1600万人の人口を持つインカの大帝国を滅ぼし、その文明の痕跡さえも失うまでに、略奪し、滅ぼしているのです。

滅ぼした人数は、たったの180人です。
滅ぼされた側は1600万人です。人口のわずか0.001%です。
けれどたったそれだけの数のスペインの乱暴者が、1600万人の人口を持つ一国の文明を滅ぼし、富も、政治体制も、歴史も文化も、そして言語までも破壊し、失わせています。

申し上げにくいことだけれど、いま、ペルーのインディオたちのDNAは、100%インディオの純潔種というのはいません。
ほぼ100%の人が、スペイン人のDNAを持っています。
これがどういうことか、何を意味しているかは、ご想像におまかせします。

「武器を持たない文化」は、戦後の日本がそうであったように、内政面で人々の平和をもたらし、話し合いと共存、民生技術の進歩等、人々の生活を豊かにします。
なぜなら、対立したときの問題の解決に武器を用いることができない分、発達した内政用の統治システムが必要となるからです。

インカの滅亡は、大切な事実を、私たちに語りかけてくれます。
それは、すぐれた内政統治システムも、歴史も伝統も文化も、そこに安住すれば、「武器を持った粗暴な外国人」の前に、まったく無力だということを証明しているからです。
―――――――――――――――――――――――――――――――
言い換えれば、世界に向けて正義を実現できるのは、話し合いだけでなく、武力が背景にあるときだけです。
弱虫は、どんなに正しい理屈を垂れても馬鹿にされ、蹂躙されるだけなのです。
そしていまの日本は、あきらかに支那や朝鮮に馬鹿にされ、蹂躙されています。
簡単に言ったら、やくざ者に舐められているのです。

この日本の現状を救い、本来の日本の歴史、伝統、文化を取り戻すためには、私たち自身が、武力行使も辞せずという強い信念と実力を持たなければならないのだと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さようなら 守れなかった 良き日本     武装せず滅ぶ国
なくなって 初めてわかる 国軍備      インカ帝国
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
インカ帝国の滅亡は、今の日本へのメッセージか。
素晴らしい文明が跡形もなく失くされるなんて、なんと勿体ないことか。

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Posted by 残心 - 2015.06.15,Mon
ローテーションとしてはもうそろそろ鎖国の時期か?
悪魔の見分け方  (ねずさんのひとりごと)

《 勝手に要約 》
日本の歴史は、実は鎖国と開国を繰り返しています。
以下の通りです。

600〜894 ( 264年)開国 遣隋使、遣唐使
894〜1100 (約100年)【鎖国】
1100〜1185(約 85年)開国 平家全盛期
1185〜1401( 216年)【鎖国】
1401〜1557( 156年)開国 足利幕府
1557〜1868( 311年)【支那について鎖国】
1639~1868( 229年)【鎖国】 江戸幕府 

1868〜2012( 144年)開国

開国は、交易をする人たちに巨万の富をもたらします。
けれどそれによって支那・朝鮮半島から「異人」たちが入ってきます。
―――――――――――――――――――――――――――――――
私も差別はいけないと思います。
しかし、お隣さんであっても家風が異なるのです。
まして歴史伝統文化がまったく異なる人たちは、やはり異人です。
そして「異人」の中でも、特に悪魔は、排除していかなければならないものであると思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ひどければ やめるしかない 付き合いを    正常な感覚
好事のみ 受け入れできれば よろしいが    開国派
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日本はずっと定期的に、開国と鎖国を繰り返していたようだ。
時に開国は必要だが、負の要素が多すぎて鎖国に戻る。
それとも鎖国により自国内が飽和したので、他国の文明・文化の刺激を求めて開国に戻るのか。

しかし鎖国といっても実際は部分的なもの。
そして鎖国が行われると、乱れた治安は一挙に改善され、国風文化が花開くとのこと。
この2千年、日本は、ずっとその繰り返しですと。

でもこのグローバルな現在、鎖国は無理。
乱れる治安を戻す方法はあるのか?

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Posted by 残心 - 2015.06.09,Tue
敗戦前は、子供が教育勅語を暗唱できるのは当たり前だったはずだが、今では・・。
読めない・書けない・わからない。



キュートな教育勅語のご紹介 ~ 9歳 教育勅語 読誦  (日本の面影)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
西欧の 文化受けても 失くさぬ根      教育勅語
和の国の 心を残せ 勅語にて        明治文化人
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
こんなに長く立派な歴史を持つ日本だが、現在では占領政策によって以前の書物を読めない状況。
個人的には、やっと短歌、漢詩などを注意して学ぼうと考えているが、我々年配がやってもあまり意味はない。
次世代にこの悠久の素晴らしい文化と歴史を残さなければ・・・。

  教育勅語について

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Posted by 残心 - 2015.05.26,Tue
またまた突飛な提案か。
自衛隊を天皇直下に  (ねずさんのひとりごと)

1 自衛隊および防衛省を内閣から切り離す。
2 国軍の最高司令官は天皇とする。

要は、自衛隊を内閣からも日本国憲法からも切り離し、君主である天皇直下に置くというものです。

そもそも内閣は国会(立法府)の決めた法に従って行政を行う組織です。
ですから内閣の所轄下に自衛隊があるということ自体が、不自然な状態です。なぜなら自衛隊の活動が法によって縛られるからです。
その意味では、自衛隊が内閣機構のひとつである限り、どこまでいっても、どのような装備をしても、どのような機構改革をしても、警察予備隊の域を出ることはありません

けれども軍は、憲法や国法が想定しない不測の事態が起きた時にこそ出動が要請される機構です。
たとえば天変地異によって、内閣が完全に機能停止に陥ったとしても活動できるのが軍です。
それが国家が軍を保持する理由です。

大日本帝国憲法は、第一条で天皇が日本を統治すると宣言したうえで、
第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第12条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム
第13条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス
第14条 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス
と、内閣とは独立して動くことが明確に定められています。

ところが位置づけとして、内閣内に陸軍省や海軍省を持ったため、組閣にあたって軍が大臣を出すか出さないかが問題となり、結果、平時と非常時の区別がつかなくなるという問題を生じさせました。

国軍というものは、非常時における国家の生存権を確保するために、国家が所持するものです。
これに対して憲法は、通常時(平時)における国の在り方を規程するものです。
ですから本来、国軍の保持や運営については、憲法で定める必要はありません
米国でさえ、合衆国憲法において、軍を行政機構のひとつとしていません。
米軍の最高司令官は大統領であると定めるのみです。

国軍は、戦争だけでなく、火山の爆発、大規模地震、巨大な台風、外国の脅威など、憲法や法が想定しない国家の緊急時に活動するものです。
ですからそもそも、国軍が憲法下にあること自体がおかしいのです。

自衛隊を天皇にお返しするのに、現行憲法の改正の必要はありません。
憲法は内閣の政治のための軍の保持も存在も否定しています
だから憲法どおりにするだけのことです。
平時の憲法、緊急時の軍隊です。

問題は、内閣の政治の範疇を超えた不測の事態としての国家緊急に、国家としていかに備えるかなのです。
戦争を起こさないことは内閣の使命です。
けれど、戦争は相手があることです。
その相手が勝手に日本に向けて開戦してきたなら、私達は防戦しなければならないのです。

そのための軍は、内閣の麾下である必要性も理由もありません。
内閣が対処できなかったから戦争になるのです。
それを内閣で対処しろという方が、おかしな話です。
だから責任逃れが横行するのです。

大東亜戦争の開戦にあたって、当時の外務省の在米大使が、宣戦布告文書の手交を遅らせ、このために「Remember Perl Haber」が米国の国家的意思となりました。
このために日米の戦争は極めて悲惨なものになりました。
ところが戦時中、外務省はこの事実をひた隠しにしたし、戦後、そのことが暴かれても、その手交を遅らせた大使らは、出世し、議員となり、世の中の大物として余生をまっとうしています。
とんでもないことです。

天皇に軍をお返しするにはどうするか。
国会で防衛省切り離し決議をするだけです
手順としては、先に皇室海兵隊を組織し、最終的に自衛隊をそこに統合します。
それだけです。
自衛隊は、憲法下の警察予備隊から、勇躍、皇軍へと変化します。
日本国憲法に何が書いてあろうが、天皇直下に軍ができれば、それで国のカタチは変わります。

もうひとつ申し上げるならば、日銀も政府直轄機関ではありませんが、これもまた天皇直下に移すべきです。
通貨発行権は、国家元首だけが持つべきものです。
ですから本来、政治を天皇から委ねられた日本国政府は、天皇から歳費を頂戴し、これを国民のためにこれを運用する機構です。
その内閣の下に通過発行銀行があるということ自体が、異常です。

私は護憲を言っているのではありません。
現行憲法は憲法の体裁をなしていない、占領統治のための最高法規にすぎないと常日頃から申し上げています。
ならば、憲法の上位機構である日本版GHQを、名前は枢密院でも太政官でもなんでも良いから天皇直下の機構として、そこが天皇の親任を得れば良いのです。

個人的には、天皇直下に太政官(内務卿、外務卿、軍務卿、法務卿、大蔵卿)と、神祇官(神社庁)を起き、内務卿の管轄下に内閣と国会、裁判所を置く、日本古来のカタチが良いのではと思っています。
尚、一切の権力権限の行使は、太政官が負担し、天皇は権威として存在するというカタチは、絶対要素となります。
そしてこの改定に憲法の改正も廃棄もまったく必要ありません。

なぜなら日本国憲法が作られた当時の占領機構を、そのまま天皇直下の太政官に置き換えるだけのことだからです。
なかなか進まない憲法論議よりも、日本版GHQを組成して憲法の上位機構に置いたほうが、はるかに早く日本は普通の国家になれるのではないかと思います。   (抜粋)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
天皇に お返しすべき 職務たち      戦後の過ち
米国の 蜘蛛の糸から 脱す時       日本人
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
自衛隊と日銀を天皇直下に置くですと!
考えてみるとそれが一番いいのか。
「民主主義」の罠にハマっている今の日本は、とてもこのままではマズイ。
日本本来のカタチは、もともと民主的なもの。

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