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自由主義と共産主義の間、グローバリズムとナショナリズムの間の今は何処? <外道たちの最中で> 切ない事情 
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Posted by 残心 - 2015.12.14,Mon
「貨幣の扱い」というのは、世の中を全く変えるのですね・・。
みんなが食える世  (ねずさんのひとりごと)

《 勝手に要約 》
「損得」ではない、施政者が共有すべき価値観とは何でしょうか。
古事記はそれを
──────────
天下の政
────────── と書いています。

古事記が「天下の政」としている価値観は、「みんなが安心して食べて行かれる社会を築くこと」にあります。

どこまでも、みんなが「食える」ことが大事だというのです。
逆にいえば、ごく一部の少数の人達だけが腹いっぱい飯を食べることができ、他の圧倒的大多数の人々が飢えに苦しむような社会は、天下に正しきを行うことではない、つまり「天下の政」ではないし、価値ある政治に値しないということです。

バブル崩壊後の日本の政治は、格差社会を生み出し、企業のトップが年収何千億円も得る一方で、末端の従業員たちは、どこまでいってもパート扱いであったり、正社員であっても4〜5年勤務したら定期昇給によって賃金があがるので、様々に辱めてお払い箱にする。
日本人の雇用がなくて、町に失業者が溢れているのに、外国人を雇用するように政治の舵をとる。
これは、みんなが食える社会ではなくて、一部の利得者だけが食える社会を目指しているという意味において、「正しい道」とはいえない、ということになります。

日本は、選挙制度を小選挙区制にしました。
これは、白か黒かで議員を選ぶ方式ですから、そもそもが政治の対立を前提とした選挙制度ということができます。「みんなが食える」ということが、最大の価値判断の基準であるはずなのに、最初から、半分の意見を切り捨てるということころからスタートしているのです。
これで「天下の政」が可能だと思うなら、よほどのアホとしかいいようがありません。
―――――――――――――――――――――――――――――――
誰しも、祖先があるから、いま生きているわけで、現代人ひとりが生まれるためには、鎌倉時代に、現代のひとりにつき、1億2千万人の祖先を必要とします。
現代人2人のためには、2億4千万人の祖先が必要です。
3人なら3億6千万人です。
けれど、鎌倉時代の日本人の数は700万人です。

つまり、誰もが祖先がどこかで重なっているわけです。
日本は何千年もの歴史を持つ国ですから、ルーツを辿れば生粋の日本人なら、すべての日本人が、すべて天皇を祖として、みんなどこかでつながる親戚です。
それを、氏や姓という縦軸で分類し、地域という横軸の苗字で分類したものが、姓氏であるわけです。

まさに日本人は、天皇を共通の祖として、誰もが親戚なのです。
そして誰もが天皇の「おおみたから」としてきたのが日本です。
ですから、誰が上、誰が下ということもない。
みんなが人として対等です。

対等は平等とは異なります
みんなの暮らしに責任を持つ人と、自分の仕事にだけ努力すれば良い人では、世の中における役割が異なります。
それぞれがそれぞれのポジションで、自分の役割をきっちりと果たして生きる。
互いの役割を尊重していく。
それが古来の日本社会のあり方でした。
―――――――――――――――――――――――――――――――
先日の倭塾で、陰陽師で有名な安倍晴明は、年収4億円くらいあった、というお話をしました。
それだけ聞くと、まるで安倍晴明は、リッチでゴージャスな大金持ちみたいです。
けれど、その4億円の収入は、お金ではなく、お米でもらいました
お金なら貯めこむことができますが、お米は貯めこむことができません。
置いといたら、痛んでしまうのです。

どんなに頑張っても、人間一人で年に100万円分もお米を食べれませんから、安倍晴明は4億円分のお米で、それだけたくさんの人々を養い、食べさせなければならなかったということです。
つまり、当時における年収4億円ということは、個人が贅沢をするためのお金が4億円ではなくて、今風にいうなら、4億円の人件費の支出が義務付けられていた、ということに近いのです。

要するに、どこまでも「天下の政」、つまりみんなを食えるようにすることが、政治における最大の命題ということが、日本のまさに太古の昔からの知恵です。
そしてこの「みんなが食えるようにしていくこと」のお役にたてる人材となっていくことを、成長するという言葉で表したし、聖徳太子はこのことを十七条憲法の第15条で「向公私背」と書きました。
私にそむいて、おおやけに向かえ」と読みます。
これが日本的価値観の根幹です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
皆がみな 助け合って 生きてた世     近代以前の日本
欲得が さも正しくて 廃れる和     壊れていく和の国
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
近代以前の日本において、公務の収入が莫大ならば、それだけ大勢へ人件費の支出が必要だった・・・!

今の基準で考えると、過去を見誤ってしまうことになる。

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