自由主義と共産主義の間、グローバリズムとナショナリズムの間の今は何処? <外道たちの最中で> 切ない事情
Posted by 残心 - 2016.12.14,Wed
「自由」というのは明治になって作られた言葉ですが、当初は「わがまま・無秩序」のような解釈が一般的だったようなのです。
近年では良いイメージしかないようですが・・・。
何もかも 自由で楽しい 無法地帯 誤る国策
自由とは 法が通じぬ 力の世 誤った言葉の解釈
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「自由」の解釈を明治当初に戻して、もっと「わがまま・無秩序」というイメージを持って受け止める必要がありそうですね。
近年では良いイメージしかないようですが・・・。
【佐藤健志】今日から自由貿易を「無防備主義」と呼ぼう! (「新」経世済民新聞)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
《 勝手に要約 》
〈自由〉はイメージがよろしい。
開放的で明朗、無限の可能性を感じさせます。
エドマンド・バークも『フランス革命の省察』で、
高らかに自由を謳うことについて、こう語りました。
「そこには胸を熱くするものがある。
われわれは大きな心で寛大に行動するようになるし、
争いの場では勇気をかき立てられる」
(『新訳 フランス革命の省察 「保守主義の父」かく語りき』、307ページ)
となると、それに制限を加えようとする保護主義は
閉鎖的で陰鬱、重苦しく抑圧的ということに。
のみならず「過保護」からの連想で
〈そんなことをしていると、経済や産業がひ弱になってしまう〉
といった印象が生じる恐れも強い。
自由貿易への固い決意を示し、
保護主義の蔓延を食い止めねばならない!
そう叫びたくなるのも、分からなくはないのです。
しかし自由貿易の「無限の可能性」が、
実際に意味するのはずばりこれ。
(`ヘ´) (O_O)!!多国籍企業のやりたい放題!!(O_O) (゜◇゜)ガーン
それに制限を加えることで
国家および国民の利益を守るというのは
しごく当たり前のことにすぎません。
そこで!
「自由貿易」の語感の良さが
上記の認識を広める障害となっているのであれば
事柄の実態をより的確に表す言葉に変更することを提唱します。
どんな言葉に変更するのか?
「無防備主義(NON-PROTECTIONISM)」。
「保護」の反対概念を「自由」にすること自体、
完全に的外れとまでは言わないまでも
どこかズレているのですよ。
自国の市場、あるいは国民経済を守ろうとする姿勢を示さないのですから
「無防備」の方がよほどふさわしい。
そして「保護」か「無防備」かとなれば
保護の方がいいに決まっている。
みなさん、今日から自由貿易を「無防備主義」と呼ぼうではありませんか!
市場原理を愛する
多国籍企業の公正と信義に信頼するだけでは不十分だ!!
国民経済を守る固い決意を示し、
無防備主義の蔓延を食い止めねばならない!!!
こう高らかに宣言してこそ
真に愛国的な政治家と言えるでしょう。
何もかも 自由で楽しい 無法地帯 誤る国策
自由とは 法が通じぬ 力の世 誤った言葉の解釈
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「自由」の解釈を明治当初に戻して、もっと「わがまま・無秩序」というイメージを持って受け止める必要がありそうですね。
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