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自由主義と共産主義の間、グローバリズムとナショナリズムの間の今は何処? <外道たちの最中で> 切ない事情 
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Posted by - 2025.05.06,Tue
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Posted by 残心 - 2015.06.05,Fri
朝鮮人とともに、中国人も同類のよう・・・
花岡事件捏造記念館  (楽さん・掲示板)

これは戦時中、秋田県花岡鉱山に強制連行され、強制労働を強いられた986 人の中国人が、虐待に耐えかねて蜂起したが為に、418 人が殺された事件

野添憲治なる人物が、この事件を詳細に調査し、真実を突き止めたといわれる。

しかし、この事件の真相を知る秋田県在住の人々によって、過去、web 上に幾つかの告発サイトが作られていた。

彼らの証言をまとめると以下のようなものである。

野添憲治の調査は捏造。彼はおそらく帰化した中国人

労働者は、強制連行ではなく、自ら日本での就労を希望してきた人々

③ 大量の中国人の来日により、治安が悪化した(幼女への集団強姦等が発生した)為、地元では、彼らの強制送還を望んでいた

彼らはまともに働かず、鉱山の最深部で働いていたのは日本人だった

中国人が坑道を爆破させてしまった為、作業は半年で中断してしまった。その爆破の際、五十人の日本人が生き埋めになった。

脱走し、14 年間山中に隠れていた欧陽文彬こそが、その犯人

⑦ わずか半年で強制送還の動きが起きたが、中国人はこれに抵抗し、秋田県の土崎港、山形の酒田、新潟の港の三つだけでも、七隻の船が沈められた

⑧ 足かせを付けられた中国人の写真は、強制送還する際、下船の途中で中国人が逃げ出すのを防ぐ為のものであり、強制連行の時のものではない

⑨ 港湾資料館や花岡鉱山資料館にあった関連資料は、日本人が焼却したのではない。中国人によって三度以上に渡って盗難・放火されて消失した。

⑩ 現地は、チェンジュドウ(通称「珍田の大親父」等)という人物を中心に、「三金会」「千鶏会」「十四金」「麝香」「新義安」等の、炭坑労働者を起源とする蛇頭(チャイニーズマフィア)が牛耳っている。この事件は、彼らによって捏造された。

⑪ 地元の旧日本軍少佐・角倉吉蔵は、彼らに殺された

彼らの圧力により、花岡事件の真実を語る事がタブーになっている。   (抜粋)
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弱いぞと 思ったらすぐ 奪い取る       某国の歴史
楽をして 儲ければもう それでいい     某国の労働観
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中国人・朝鮮人は歴史的に勝者につく事を繰り返してきたので、敗戦国を脅したり騙したりが当たり前。
多分ウソついても何の罪悪感もないのでは?
大体そういう民族がほとんどなので、日本は「島国の世間知らず」なのだが、そこが長所でもある。

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Posted by 残心 - 2015.06.04,Thu
何処の国でも資本主義・共産主義が選べるというわけでは・・・
共産主義は資源のない日本では成功しない ②<br>~ たとえ日本が海底資源大国でも楽園になるのはありえない  (日本の面影)

革命前の王政イランは、豊富な石油資源の権益が独占されて、大変な貧富の差があったが、革命後の今でも世帯所得は8000ドル程度。アラブにしては人口が多いことも影響してるが、それでも人口密度は43人(人口 7400万人)。
サウジアラビアは人口密度13人と人口が少ないことも幸いし(人口 2600万人)、世帯所得は2万4千ドル。サウジは革命前のイランと同じ王政でも、革命が起きる気配はない。
アラブ首長国連邦クウェートのような小国にいたっては、何の技術もなく、豊富な石油以外なんのとりえもない国だが、日本よりも高所得だ。

スウェーデンはじめ北欧諸国ベネズエラなど、共産化(社会主義化)で成功している諸国も、すべて資源国
アラブ諸国だって、今のところ石油の恩恵が国民にもたらされているから、大した技術などなくても、生活水準が高いだけ。
イランは、石油の富が国王に独占されていたから、革命が起きた。

資源さえあれば、国民が多少ラクしても、資源の富を分配することで、国民全員がそこそこやっていけるようになる。
ただしこれは、人口が多すぎては実現不可能。

スウェーデンの人口密度はわずか20人(人口 930万人)、米国でもわずか31人だ。

こんなんじゃ、たとえ日本がイランの石油埋蔵量並の海底資源を獲得して、共産主義化したとしても、とても全国民がその恩恵を享受できるなんてことには、到底なりえない。

たとえ莫大な海底資源があっても、人口が多すぎる日本は共産化ぐらいでは支えられない
日本の共産化、高福祉な社会主義政策では、100%日本はもたない

日本が楽園になるなんて、全くありえない話といってよいだろう。
優秀、謹厳さこそが、日本と日本人の宝、財産。
そういう無形の財産とでもいうべきものを、共産化で分配するというのは、不可能なのだ。

結論として、日本を支えてきた国民が持つ勤勉性というものを、共産主義化することなどできない。だから、日本が共産主義化すれば必ず失敗する。   (抜粋)
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持てる国 ゆえに共産 のち崩壊      肥満の不健康
持たぬゆえ 努力によって 繁栄す     貧しいが知性派 
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日本を共産化、高福祉化するのは、資源国でないというその条件からして不可能。
元々条件的に言って、日本の共産化はあり得ないしやっても維持できない、という結論。

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Posted by 残心 - 2015.06.03,Wed
これは本当なのか? 厚労省がこんなウソをつくのか?
移民の必要が全く無い事が判明!東北大学GJ!情報操作の厚労省【怒りの要拡散!】  (暴れん坊侍のブログ)

東北大学が「出生率の低下」が嘘だと暴露していたそうです。実は日本人の出生率は微増で、このまま行けば人口減少社会はいずれなくなる事は明白です。
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厚生労働省が発表している出生率が、日本人だけの出生率ではなくて、外国人まで含めた総人口を分母、日本人の新生児出生率を分子にした捏造でした。
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厚労省の計算方法でやる限り移民を入れれば入れるほど、出生率が減り、大変だからもっと移民を!となる巧妙なトリックなのだ。

そして、この数字を元に今後の人口予測のデータが作られ人口減少社会になるという筋書きができあがります。こんな詐欺に日本国民全体が騙され、国の政策まで移民受け入れの方向に動かされています。国は日本人が増える政策、日本人が働きやすい環境にする事が最優先!   (抜粋)
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人減るぞ 移民増やせと 嘘つけど      厚生労働省
数字をば ちょこっといじり 人だます    扇動の達人
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こんな捏造をしてまで移民受入政策を進めたいのはなぜ?
何かの力が働いているのか、バカなだけなのか、不思議な話。

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Posted by 残心 - 2015.06.02,Tue
日本の理想だったのか。
日本の理想を実現した大東亜会議とAA会議  (加瀬英明のコラム

Date : 2015/05/19 (Tue)  《 勝手に要約 》

4月に、インドネシアのジャカルタにおいて、アジア・アフリカ会議60周年記念首脳会議が催された。バンドン会議、あるいはAA会議とも呼ばれた。

 安倍首相が日本が引き続きアジアにおける平和の構築と、アジア・アフリカの成長に貢献してゆくと、演説したが、堂々としていた。

 会議には、アジア・アフリカから約100の国と、地域の首脳が参集した。

 第1回バンドン会議は昭和30(1955)年に、29ヶ国の代表が参加して開催された。日本がサンフランシスコ講和条約が発効して、独立を回復してから、はじめて出席した国際会議となった。
―――――――――――――――――――――――――――――――
 50年前のAA会議に当たっても、10年前の50周年記念会議、今回の60周年会議の時にも、日本のマスコミが大東亜会議を引き合いにだすことが、まったくなかった。残念なことである。

 大東亜会議は昭和18(1943)年に、東京にビルマ、フィリピン、インド、タイ、満州国、中国(南京政府)の首脳が、一堂に会して催された、人類はじめての有色民族のサミットだった。

 当時、東條内閣の外相だった重光葵と、政務秘書官として側近だった父が、東京・麹町の重光私邸で大東亜会議の構想を幾晩も徹夜して練って、首相に提案したものだった。

 日本は開戦の御詔勅にあるように、「自存自衛」のために戦っていた。しかし、戦争目的が自衛のためというと消極的であるから、大東亜会議は日本の役割を歴史に残すために、アジアの諸民族を解放することを、宣明することをはかったものだった。
―――――――――――――――――――――――――――――――
 日本はインドネシアを敗戦の年の9月に独立させることを、決定していた。インドネシアは日本が連合国に降伏した直後の8月17日に、独立を宣言した。

 第1回AA会議は、大戦が終結してからまだ10年しかたっていなかったために、反植民地感情が奔騰するなかで開催された。父もその熱気に、あらためて驚かされた。

 会議が始まると、新興アジア・アフリカ諸国の代表たちが日本代表団の席にくると、日本が帝国主義勢力をアジアから駆逐して、民族解放をもたらしたことに対して、つぎつぎと感謝の言葉を述べた。

 昭和31(1956)年3月8日に、重光葵外相が参院予算委員会で、「太平洋戦争によって、日本は東南アジア諸国の独立に貢献した」と述べた。

 いま、岸田外相が同じ発言を行うことが、できるだろうか。

 だが、日本が先の大戦を戦ったことによって、人種平等の世界が招き寄せられたのだった。

 昭和天皇は敗戦の翌年に、側近者に対して先の戦争をもたらした原因について、つぎのように述べられている。

 「この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后(ご)の平和条約の内容に伏在してゐる。(大正8年のパリ講和会議において)日本の主張した人種平等案は列国の容認する処(ところ)とならず、黄白の差別感は依然残存し加(カリフォルニア)州移民拒否の如きは、日本国民を憤慨させるに充分なものであった

 かゝる国民的憤慨を背景として、一度、軍が立ち上つた時に、之を抑へることは容易な業(もの)ではない。(『昭和天皇独白録』)

 平成12(2000)年に、拓殖大学が創立100周年を祝った。拓殖大学は明治33(1900)年に、海外で開拓に当たる人材を育成するために、創立された。

 今上天皇が記念式典に、行幸された。その時のお言葉のなかで、「校歌には青年の海外雄飛の志とともに、『人種の色と地の境 我が立つ前に差別なし』と、うたわれています。当時、多くの学生が、この思いを胸に未知の世界へと、大学を後にしたことと、思われます」と、述べられた。

 父・天皇の想いを、語られたにちがいない。

 大東亜会議とAA会議は、日本の理想を実現したものだった。  
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守りたい アジア・アフリカ 日本人     昭和の日本帝国
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
よく言われることだが、日本がいなければ、アジア・アフリカは北米・南米と同じで原住民が誰なのか分からないほどの地域になっていたのではないのか。
当時の日本は世界の状況に相当の危機感を持っていて、立ち上がるしかなかったように思う。
そういう意味で、AA会議は日本にとって意義深い。

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Posted by 残心 - 2015.06.01,Mon
三橋氏がしつこくも、「生産年齢人口の減少」対策としても、公共投資が必要だと述べている。
【三橋貴明】日本の高速道路と生産性向上  (三橋貴明の「新」日本経済新聞

現在の日本政府が採るべき経済政策は、
「将来のインフレギャップを生産性向上で解決するため、現在、交通インフラ等に投資し、デフレギャップを埋める」
以外にはありません。

日本の政治家、そして日本国民は、
日本の高速道路は作り過ぎどころか、主要国最低
「日本は【生産年齢】人口が減るため公共投資を拡大しなければならない
という当たり前の事実を理解する必要があるのです。嘘つきでも、頭が悪いわけでもなければ、誰でもわたくしが書いていることは理解できると思うのですが、いかがでしょうか。    (抜粋)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
隠し玉 公共投資 隠し過ぎ        演劇界
どなたかが 公共投資 困るのか      素朴な疑問
日本が 復活すると 困る国         特亜ほか
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
何度も何度も三橋氏は、繰り返す。
「公共投資が必要」と。
ずっと悪者扱いされてきたからね。

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Posted by 残心 - 2015.05.31,Sun
中国が変に自信を持ってしまい、世界を脅している模様。
戦争で脅す中国  (日本は危機的な状態です!)

米が主張撤回しなければ戦争も有り得ると、中国国営紙が南シナ海問題で警告した。
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPKBN0OA0E020150525
―――――――――――――――――――――――――――――――
これは世界に対する脅しである。

 ヤクザの論理。争いのある土地に勝手に入ってきて、建物を作り居座る。

 だが国際社会に警察は居ない。ルール違反を指摘しても、その本人が改善する気持ちが無いなら、状況は全く変わらないのが国際関係だ。それは竹島を勝手に奪って、でかい顔をしている韓国や、日本人を拉致して返さない北朝鮮を見ても分かるだろう。

 つまり、国際社会で必要なのは、ヤクザに対抗できる力を持つ事だと分かる。そしてルール違反を戒める自警団を組織しなければならない。警察が居ないから、自力解決するしか無いのである。

 当然、我が国もヤクザに対抗する力を持たねばならない。アメリカの力が衰えているから無法者が暴れる。こういう時、戦争の影に怯え単に平和を口にするだけでは何も解決しない(逆に支那人の思う壺になる)。

 中国は核大国である。核ミサイルを持ち、原子力潜水艦を持ち、空母を持っている。今の東アジアで、誰もこのヤクザに対抗できない。

 だから我が国に同じ力が必要なのだ。

 それが無ければ、脅しに負けるだろう。  (抜粋)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
浅はかで 武力持つ国 末恐し       常識ある国々
力にて 負けるのならば 正義消え     弱小平和主義国
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
国際関係というのは人間関係とは違い、「とても非情」であることは承知済み。
声がデカい方が勝つのか。
中国は実は建国後、まだ60数年程度。
子供に武器やら最新技術を持たせると、勘違いして手に負えない。

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Posted by 残心 - 2015.05.30,Sat
先生がこんなだと生徒は・・・。
君が代不起立で懲戒処分 高裁が取り消す判決  (NHK)

《 勝手に要約 》

東京・町田市の市立中学校の教員だった女性が、平成19年の卒業式で君が代を斉唱する際に起立しなかったことを理由に、東京都教育委員会から停職6か月の懲戒処分を受けたのは不当だと訴えていた。

1審は、元教員は過去にも減給や停職1か月と3か月の処分を受けたにもかかわらず、再び起立しなかったとして訴えを退けた
28日の2審の判決で、東京高等裁判所の須藤典明裁判長は「処分を機械的に重くしていくと最後は免職処分になり、自分の思想を捨てるか、教員の身分を捨てるかの選択を迫られる。憲法が保障している個人の思想や良心の自由の実質的な侵害につながるものだ」と判断して、懲戒処分を取り消すとともに10万円の賠償を東京都に命じた
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
教師いわく 国の儀礼に 従うな       某国の諜報員
団結は 侵略するのに 邪魔なのだ     侵略する帝国
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
どこの国の税金で給料もらっているんだか。
教員が起立しなければ生徒が起立しないのでは?
誰もがそうなら当たり前の儀式が成立しない。
それが狙いか!

※ 自由 = わがまま・勝手

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Posted by 残心 - 2015.05.29,Fri
長いがいいことが書かれているよう。
・身近に感じる江戸時代  (加瀬英明のコラム

Date : 2015/05/18 (Mon)

 今日の東京には、江戸の遺産が多く残っている。

 いまでも、路地に入ると家の前に花や、植木の鉢が置かれている。わが家も御多分に洩れず、植木を並べている。日本の原風景の1つだ。

 私は都心の麹町に住んでいるが、銀座まで30分ほどかけて歩くと、途中に屑籠が1つもないので、西洋人を当惑させている。

 アメリカや、ヨーロッパの都市なら、屑籠が30メートルおきぐらいに、置かれている。日本では芥(ごみ)を外で捨てずに持ち帰ったし、物を大切に使ったから、芥がほとんどなかった。

 幕末に日本を訪れた西洋人は、貧寒な村を通っても、人々が笑みを絶やさず、親切、丁重で純朴なことに、申し合わせたように感嘆している。道も家のなかも清潔で、身なりがこざっぱりしているのに目を見張った。
―――――――――――――――――――――――――――――――
 江戸時代は治安がきわめてよかった。江戸は百万都市だったといわれるが、人口がつねに百万人を越えていた

 江戸は当時の世界で、最大の都市だった。増減があったが、武士とその家族が50万人と、70万人あまりの町人が住んでいた。

 テレビ・ドラマや、講談によって知られているように、南北2つの町奉行所が町民を治めていた。南北に奉行所があったから、行政的にいえば、2つの市が存在していた。奉行は、市長に相当した。

 通称を南番所、北番所と呼ばれた奉行所には、332人の町方役人といわれた武士が働いていた。この数は江戸時代を通じて、変わらない。2人の奉行のもとに、管理職に相当する与力が50人いた。その下で、283人が働いていた。

 そのうえ、両奉行所の役人は月番制で、隔月交替して働いた。2つの奉行所には半数の166人しか、詰めていなかった

 そこで、江戸の町民人口を75万人として、166人の役人で足りたのだった。この他に、地方から商家に働きにきた人々や、出稼ぎや、訴訟などのために滞留していた者が多くいた。

 332人の役人のうち、64人が司法と警察業務を担当していた。このなかで、警察官に当たる奉行所付同心定廻(じょうまわ)りは、江戸時代を通じて両奉行所を合わせて、12人しかいなかった。定廻りは町方同心とも、町同心とも呼ばれ、「八丁堀の旦那」として知られた。自分の収入のなかから、それぞれ5人あまりの目明しというと、岡引(おかっぴ)きを抱えて私的に使用した。

 目明(めあか)しは御用聞とも呼ばれたが、同心の手先として、裏世界を内偵した。さらに岡引きが、それぞれ5人あまりの下引(したっぴき)を、自前で雇っていた。

 同心も隔月で勤務した。そこで岡引きと下引きを加えても、70人あまりの警官が、70万人以上の治安を維持していたのだった。

 これは、町民が高い自治能力をもち、公徳心がきわめて強かったことを、証している。日本人は世界で、もっとも道徳心が高かった

 今日の東京都には都民310人ごとに、警察官が1人いる。江戸では町民4700人ごとに、1人で足りた。江戸時代の日本人は、道徳性が高かったのだ。町民が礼節を重んじていたことが、社会に秩序を与えていた。
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 西洋人は家や部屋に鍵も錠もなく、誰でも侵入できるのに、金銭や物が盗まれることがけつしてない、母国では貧しい者が粗暴で、暗い表情をしているのに対して、日本では誰もが明るく、人々が口汚く罵りあうことがないことに、驚嘆した。

 アメリカの初代領事だったハリスに仕えたヒュースケンは、「この国ではどこにも悲惨なものを、見いだすことができない。人々の質実な習俗と、飾りけのなさを賛美したい」と、記している。

 日本の人口は江戸中期から幕末まで、ほぼ3千万人だった。鎖国が日本に固有の文化を創りだして円熟したが、食糧をはじめ自給自足することが可能だったために、鎖国を行うことができた。

 江戸時代の日本人は上から下まで浪費を嫌い、倹約を旨として生きた。公徳心が高く、内面を律する心の働きによるものだった。

 金持が高ぶらず、贅沢をみせびらかすことがなく、誰もが控え目で、貧乏人は卑下しなかった。江戸には貧乏人が存在したが、西洋や、中国、朝鮮にみられた惨めな貧困がなかった。

 江戸時代の日本の水緑土の景観は、すばらしかった。どこへ行っても、神社や小さな祠(ほこら)があった。人々の崇神の心が篤く、自然を汚すようなことがなかった。

 仏教と儒教が7世紀に大陸から伝来して、日本の文化に大きな影響を与えた。土着の信仰である神道と混淆したといわれるが、神道の心のうえに積み重ねられたにすぎなかった。
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 神道は心と身の回りを、清明に保つことを求める。

 江戸は当時の世界のどの都市よりも、飲料水に恵まれていた。

 家康が江戸を都市として建設するまでは、伝染病をもたらす蚊やボウフラが涌く湿地が、ひろがっていた。

 家康は江戸を本拠地として定めると、良質の飲料水を確保するために、小石川上水神田上水の造営を命じた。

 幕府には神田上水奉行や、玉川上水奉行などの水道奉行が置かれていたが、貴重な水質を守るために、水源に番人が詰める水番屋水衛所が設けられ、高札が建てられて、洗い物や水浴び、放尿や芥(ごみ)の投棄を、御法度として厳しく取り締まった

 江戸期に編纂された『慶長見聞録』に、「是(これ)薬のいづみなれや、五味百味を具足(註・十分に備わる)せる色にそみてよし、身にふれてよし、飯をかしひよし、酒茶によし(中略)濁水をのぞき去て、清水を万人にあたへ給ふ」と、述べられている。

 江戸の人口が増すと、今日の東京都羽村市にあった羽村の取水口から新宿御苑にあった四谷大木戸の水番屋まで、多摩川上流から43キロにわたって、石樋、瓦樋、木樋を使って、清水を引き込む地下水路を掘削した。

 これは壮大な計画だった。四谷大木戸の水番所から地下水道を通じて、それぞれの町内に設けられた上水井戸まで、届けられた。

 日本は物心ともに、ひたすら清明を求める文化だった。今日、東京の水道水が世界一だといわれるのも、日本の精神文化が創りだしたものだ。
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 明治が終わるころまでは、日本語のなかで「こころ」が、もっとも多く用いられた。

 日本語のなかには「心尽くし」「心立て」「心置き」「心配り」「心入る」「心有り」「心砕き」「心利(き)き」「心嬉しい」「心意気」「心合わせ」「心がけ」「心延(ば)え」「心回る」「心馳(ば)せ」「心根」「心残り」「心様(ざま)」をはじめとして、心がつくおびただしい数にのぼる言葉がある。

 『コンサイス英和辞書』で、heartをひくと、「ハートアタック」(心臓麻痺)、「ハートバーン」(胸焼け)をはじめ、両手で数えられるほどしか、心がつく言葉がない。

 およそ今日の日本文化の形は、江戸時代につくられたといってよい。私たちは江戸時代の恩恵を、大いにこうむっている。

 平和が幕藩体制のもとで続くなかで、何ごとについても、ことさら精神が重んじられるようになった。

 武士道という言葉が、江戸時代に生まれた。戦う武術が武道となって、精神面が強調されるようになった。

 人々が正座するようになったのも、江戸時代になってからのことだ。それまでは、茶の湯も胡坐(あぐら)をかいて行われた。

 女性の幅広い帯から、落語、俳句、歌舞伎、文楽、花火、寿司、天麩羅まで、江戸時代のものである。落語ははじめは軽口ばなしと呼ばれていたが、中期から落し咄(ばなし)と呼ばれた。

 落語は人情噺(にんじょうばな)とも、呼ばれた。江戸期の日本には、人情が微粒子のように、空気のなかに飛んでいた。ちなみに、西洋諸語には人情に当たる言葉がない。
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 同じころのパリや、ロンドン、ベルリンでは、糞尿は住居に面する路上に投棄されていた。中国や朝鮮も、同じことだった。日本では、糞尿は商品だった。汲取屋が汲取式便所から糞尿を買って農村まで運び、堆肥(たいひ)として売った。このために、街路が清潔に保たれた。

 汚穢屋(おわいや)は立派な職業で、同業組合をつくっていた
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 日本は庶民も、教育水準が高かった。全国に寺子屋が2万軒あまりあった。庶民の少年男女が読み書き、算盤、行儀、農業、漁労など地元の産業について学んだ。今日、当時の教科書であった往来物が、7千種以上残っている。

 寺子屋はすべて、地元の人々の手造りだった。幕府にも藩にも、教育を担当する役人が存在しなかった。私は、今日、文科省を廃止したら、日本の教育の質が向上するものと信じている

 この他に、おびただしい数の私塾が存在した。日本人は身分にかかわらず、向学心が旺盛だった。
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 幕府は社会秩序を維持するために、士農工商の四身分制をとったが、庶民は武家の株を買って武士になれたし、農工商の区分はなかったといってよい。

 私は伊能忠敬の玄孫(やしゃご)に当たるが、忠敬は農民に属していながら、酒をつくって売っていた。

 渋沢栄一は明治の“資本主義の父”といわれるが、今日の埼玉県の農家で、染物の藍(あい)を栽培して、藍玉をつくって売っていたから、農工商を兼ねていた。

 庶民の教養が、驚くほど高かった。江戸期の傑出した経済学者といえば、石田梅岩(1685~1744年)と、二宮尊徳(1787年~1856年)の2人だが、ともに庶民である。

 興味深いのは、同時代のヨーロッパを代表する経済学者で、『国富論』によって知られるアダム・スミス(1723年~1790年)は、グラスゴー大学の倫理学の教授だった。石田も、二宮も同じように、倫理を説いている。東西とも倫理と経済は、1つのものだった。
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 日本は身障者に、やさしい社会だった。

 勝海舟の曽祖父は農家の子で、全盲の按摩師だったが、金貸しをして小金を貯め、息子に最下級の武士の株を買った。幕府は身障者保護に手厚く、盲人だけに金貸しを営むことを許していた

 私は盲人福祉に40年近く携わってきたが、江戸時代は2人の世界的な盲人を生んだ。

 杉山和一(1610年~1694年)は、中国の太く長い鍼を、今日の日本の筒に入った細く短い鍼にかえた、管鍼法をつくった。

 和一は今日の和歌山の武家の子だったが、さまざまな苦難を乗り越えて、5代将軍綱吉の侍医となった。綱吉は和一に求められて、1680年から全国30ヶ所に、盲人に6年以上教える鍼按摩稽古所を開設した。

 ヨーロッパで最初の盲人学校が、フランスで1784年に開校した104年前に当たる。

 もう1人の塙保己一(はなわほきいち)(1746年~1821年)は、今日の埼玉県の農家に生まれ、幼少の時に失明した。人が音読したものを暗記して学び、江戸時代を代表する大学者となった。666冊にのぼる『群書類従』によって知られるが、保己一が取り組んだ『史料』の編纂は、いまでも東京大学史科編纂所が引き継いでいる。

 ヘレン・ケラーが昭和12年にはじめて来日した時に、東京・渋谷の温故会館にまっ先に駆けつけた。女史はここに置かれた保己一の机を、しばし感慨深げに撫でた。

 女史は幼い時から、母親から東洋の日本に塙保己一という、全盲の大学者がいたことを聞かされて、手本にして努力したのだった。
―――――――――――――――――――――――――――――――
 今年は日清戦争から、120年目に当たる。5千円札を使う時に、樋口一葉の肖像をよく見てほしい。本名をなつといった。

 なつは日本が日清戦争に勝った翌年の明治28(1895)年に、肺病を患って25歳で、赤貧のなかで死んだ。葬儀には家族と友人が12、3人集まっただけだった。

 なつは明治5(1872)年に、東京府の下級官吏を父として、府庁舎の長屋で生まれた。父は今日の山梨県の甲斐国(かいのくに)の農家の子だったが、当時は長男しか相続できなかったので、江戸に出た。

 なつは11歳で小学高等科を、首席で卒業した。当時の小学校は4年制だった。なつの最終学歴である。幼時から父に古典を教えられて、古典に親しんだ。

 父親は教養人だった。いったい、今日の日本で幼い子に古典を教える親が、いるだろうか

 なつが17歳になった時に、役所を辞めていた父が事業に失敗して、多額の借金を残して病死した。

 なつは母と妹をかかえて、針仕事や洗い張りによって、3人の生活を支えた。そのかたわら、死後、高く評価されるようになった作品を、世に送った。今日の日本で10代の娘が、家族を養うために、身を削って働くものだろうか。あのころは、日本人の覚悟が違った。

 開国してから、文明開化と呼ばれた西洋化の高波が、日本を容赦なく洗っていたが、江戸期の生きかたが、まだ人々を律していた。

 なつは克明な日記を遺したが、しばしば日本が直面した、内外の情況に触れている。

 病没する前年の日記に「安(やす)きになれておごりくる人(ひと)心(ごころ)の、あはれ外(と)つ国(くに)(註・西洋)の花やかなるをしたい、我が国振(くにぶり)のふるきを厭(いと)ひて、うかれうかるゝ仇(あだ)ごころは、流れゆく水の塵芥(ちりあくた)をのせて走るが如(ごと)く、とどまる處(ところ)をしらず。流れゆく我が国の末いかなるべきぞ」と、記した。

 日本が明治に入ってから、まだ30年もたっていなかったが、西洋を模倣することによって、日本人の心がすでに蝕まれるようになっていたのだろう。

 なつが憂いてから、123年たった。

 今日の日本は物の豊かさが満ちあふれているために、心が貧しくなった。人々が満たされることがない。

 そのために、共同体であるべき社会が、急速に壊れつつある。人々が欲望によって駆り立てられて、自分しか顧みないために、苛立ちやすい。

 このところ、日本では高速道路がひろがるごとに、人の心が狭くなった。スーパーやレストランが立派になるのにつれて、家庭の食卓が貧しくなった。機能的なマンションが建てられて、生活がいっそう快適になってゆくのにつれて、家族の解体が進み、隣人への親しみが失われるようになった。

 若者まで心が疲れて若々しさを失って、安易な癒しを求めている。

 欲しいものが何でも手に入るようになったというのに、この国から希望だけがなくなってしまった。

 人々はついこのあいだまで、人生が苦の連続であると、みなした。そこで、少しでも楽しいことがあれば、喜んだ。ところが、今日では多くの者が、人生が楽の連続でなければならないと思って、つねに不満を唱えて、すぐに挫折してしまう

 人生が楽の連続であるというのは、真実から遠い。だから精神がひ弱くなって、傷つきやすい。
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 私はインドに通った。デリーに、マハトマ・ガンジーが暗殺されるまで住んだ、簡素な石造りの家がある。

 ガンジーは、いつも裸足(はだし)だった。私はガンジー財団に案内されて訪れた時に、裸足になって、靴を手に持って構内を歩いた。ガンジーが歩いた大地に触れたかった。

 ガンジーは倫理を重んじて、自ら糸車で糸を紡いで、人々が質実な生活を送るべきことを説いた。

 ガンジーは道徳と、節制を説いたアジアの最後の指導者となった。

 その後のアジアは、鄧小平や、先ごろ亡くなったシンガポールのリ・クワンユーが代表したように、経済成長を最重要な課題とするようになった。

 経済が倫理から切り離されて、欲望の経済となった。邪欲の経済というべきだろうか。

 しばらく前に、漢字の会から私がもっとも好む漢字を、揮毫するように頼まれた。私は「貧」と書いた。漢字が生れた時に、貝は貨幣だった。小さな貝を分かち合うとは、素敵ではないか。「貪(むさぼる)」という漢字は、いま、金をみつめるという、高度成長を表わす字だ。   (若干省略あり)
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失った 強く清らな 大和心        江戸時代人
倫理なる 経済いまや 邪欲のみ    アダム・スミス
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良い日本の伝統・文化などの多くは江戸時代に定着したもの。
質素で、清潔で、治安が良く、勤勉だった。

外国から日本を守るために西洋文明を受け入れたが、その代償に日本の精神を失くしていった。
元々、経済学倫理学の範疇だった。
現在では、「欲望の経済」。

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