自由主義と共産主義の間、グローバリズムとナショナリズムの間の今は何処? <外道たちの最中で> 切ない事情
Posted by 残心 - 2015.05.28,Thu
昨日になるが、「海軍記念日」だったとのこと。
まったく知らなかったし、そんな情報は捜さないと見つからない。
日本史を 誰かきちんと 教えろよ 堪りかねた日本人
先人の 雄姿の記録 残すべき 武人を尊敬する者
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自国のことで「記念日」にすべき日なのに、教えず報道もせず、忘却を待つような態度はどうなのか。
ここは日本人が住んでいる日本か?
まったく知らなかったし、そんな情報は捜さないと見つからない。
・今日は海軍記念日 (ねずさんのひとりごと)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
明治38(1905)年5月27日、大日本帝国聯合艦隊は、日本海においてロシアのバルチック艦隊を撃滅しました。
そしてこの日は、かつては「海軍記念日」とされていました。
いまでも日本海海戦記念日として、各所で式典が開催されています。
―――――――――――――――――――――――――――――――
こう書くと、戦わずに降参するという選択肢もあったのではないかと思う人がいるかもしれませんが、何度も書きますけれど、大陸においては軍隊と暴徒とヤクザは、同じものです。
ですから日本が敗れれば、朝鮮半島や日本列島にいる日本人は、ロシア人達によって好き放題に虐殺されることになります。
実際、それがどのような事態をもたらすかは、先日の拙記事「尼港事件」をご覧いただければわかることです。
―――――――――――――――――――――――――――――――
そして日露戦争の勝利は、世界の植民地として支配され収奪され続けた世界の有色人種に、民族独立の夢と希望を与え、それが現代の世界における有色人種国家誕生のきっかけ、米国人の公民権取得の原因となっています。
つまり、日本海海戦の勝利は、ただ日本の海軍記念日というだけのものではなく、地球上の人類社会が、支配と隷属というウシハク不条理から、肌の色を越えて民衆が対等に接することができる新たな社会を切り拓く、最初のきっかけとなった大海戦の勝利であったわけです。
これを現代日本が、記念日ともせず、子供達にもその意義をまったく教えず、またメディアなどにおいても、まったく意義を報道しようともしないというのは、世界に対する背信行為であり、差別をなくし平和と、人として、あるいは国家として、自立自尊を希求する人類社会に対するテロ行為です。 (抜粋)
日本史を 誰かきちんと 教えろよ 堪りかねた日本人
先人の 雄姿の記録 残すべき 武人を尊敬する者
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自国のことで「記念日」にすべき日なのに、教えず報道もせず、忘却を待つような態度はどうなのか。
ここは日本人が住んでいる日本か?
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Posted by 残心 - 2015.05.27,Wed
良い時代だったようだ。 (動画少し長いですが・・)
【超拡散希望】十五年戦争史観をこの一冊で完全粉砕!「ひと目でわかる『大正・昭和初期』の真実」を著者水間政憲本人が「おもしろ解説」~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
本当は 華やかだった 敗戦まえ 戦後育ち
戻りたい 敗戦前の 日本へ 21世紀人
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
学校やメディアでは、戦前は暗いイメージだったような印象操作しているが、現在と変わらず、または今よりもっと華やかだったような。
しかし関東大震災と米軍無差別爆撃はひどかったようだ。
また、戦前でも「車の輸出」や「放射線ガン治療」をやってたようだ。
日本国内の国会議事堂建設などの予算を後回しにしてまで、朝鮮や台湾のインフラや建築物などを建設していたのに、現状は北朝鮮、韓国にアダで返されているのは日本らしい?
【超拡散希望】十五年戦争史観をこの一冊で完全粉砕!「ひと目でわかる『大正・昭和初期』の真実」を著者水間政憲本人が「おもしろ解説」~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
本当は 華やかだった 敗戦まえ 戦後育ち
戻りたい 敗戦前の 日本へ 21世紀人
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学校やメディアでは、戦前は暗いイメージだったような印象操作しているが、現在と変わらず、または今よりもっと華やかだったような。
しかし関東大震災と米軍無差別爆撃はひどかったようだ。
また、戦前でも「車の輸出」や「放射線ガン治療」をやってたようだ。
日本国内の国会議事堂建設などの予算を後回しにしてまで、朝鮮や台湾のインフラや建築物などを建設していたのに、現状は北朝鮮、韓国にアダで返されているのは日本らしい?
Posted by 残心 - 2015.05.26,Tue
またまた突飛な提案か。
天皇に お返しすべき 職務たち 戦後の過ち
米国の 蜘蛛の糸から 脱す時 日本人
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自衛隊と日銀を天皇直下に置くですと!
考えてみるとそれが一番いいのか。
「民主主義」の罠にハマっている今の日本は、とてもこのままではマズイ。
日本本来のカタチは、もともと民主的なもの。
・自衛隊を天皇直下に (ねずさんのひとりごと)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1 自衛隊および防衛省を内閣から切り離す。
2 国軍の最高司令官は天皇とする。
要は、自衛隊を内閣からも日本国憲法からも切り離し、君主である天皇直下に置くというものです。
そもそも内閣は国会(立法府)の決めた法に従って行政を行う組織です。
ですから内閣の所轄下に自衛隊があるということ自体が、不自然な状態です。なぜなら自衛隊の活動が法によって縛られるからです。
その意味では、自衛隊が内閣機構のひとつである限り、どこまでいっても、どのような装備をしても、どのような機構改革をしても、警察予備隊の域を出ることはありません。
けれども軍は、憲法や国法が想定しない不測の事態が起きた時にこそ出動が要請される機構です。
たとえば天変地異によって、内閣が完全に機能停止に陥ったとしても活動できるのが軍です。
それが国家が軍を保持する理由です。
大日本帝国憲法は、第一条で天皇が日本を統治すると宣言したうえで、
第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第12条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム
第13条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス
第14条 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス
と、内閣とは独立して動くことが明確に定められています。
ところが位置づけとして、内閣内に陸軍省や海軍省を持ったため、組閣にあたって軍が大臣を出すか出さないかが問題となり、結果、平時と非常時の区別がつかなくなるという問題を生じさせました。
国軍というものは、非常時における国家の生存権を確保するために、国家が所持するものです。
これに対して憲法は、通常時(平時)における国の在り方を規程するものです。
ですから本来、国軍の保持や運営については、憲法で定める必要はありません。
米国でさえ、合衆国憲法において、軍を行政機構のひとつとしていません。
米軍の最高司令官は大統領であると定めるのみです。
国軍は、戦争だけでなく、火山の爆発、大規模地震、巨大な台風、外国の脅威など、憲法や法が想定しない国家の緊急時に活動するものです。
ですからそもそも、国軍が憲法下にあること自体がおかしいのです。
自衛隊を天皇にお返しするのに、現行憲法の改正の必要はありません。
憲法は内閣の政治のための軍の保持も存在も否定しています。
だから憲法どおりにするだけのことです。
平時の憲法、緊急時の軍隊です。
問題は、内閣の政治の範疇を超えた不測の事態としての国家緊急に、国家としていかに備えるかなのです。
戦争を起こさないことは内閣の使命です。
けれど、戦争は相手があることです。
その相手が勝手に日本に向けて開戦してきたなら、私達は防戦しなければならないのです。
そのための軍は、内閣の麾下である必要性も理由もありません。
内閣が対処できなかったから戦争になるのです。
それを内閣で対処しろという方が、おかしな話です。
だから責任逃れが横行するのです。
大東亜戦争の開戦にあたって、当時の外務省の在米大使が、宣戦布告文書の手交を遅らせ、このために「Remember Perl Haber」が米国の国家的意思となりました。
このために日米の戦争は極めて悲惨なものになりました。
ところが戦時中、外務省はこの事実をひた隠しにしたし、戦後、そのことが暴かれても、その手交を遅らせた大使らは、出世し、議員となり、世の中の大物として余生をまっとうしています。
とんでもないことです。
天皇に軍をお返しするにはどうするか。
国会で防衛省切り離し決議をするだけです。
手順としては、先に皇室海兵隊を組織し、最終的に自衛隊をそこに統合します。
それだけです。
自衛隊は、憲法下の警察予備隊から、勇躍、皇軍へと変化します。
日本国憲法に何が書いてあろうが、天皇直下に軍ができれば、それで国のカタチは変わります。
もうひとつ申し上げるならば、日銀も政府直轄機関ではありませんが、これもまた天皇直下に移すべきです。
通貨発行権は、国家元首だけが持つべきものです。
ですから本来、政治を天皇から委ねられた日本国政府は、天皇から歳費を頂戴し、これを国民のためにこれを運用する機構です。
その内閣の下に通過発行銀行があるということ自体が、異常です。
私は護憲を言っているのではありません。
現行憲法は憲法の体裁をなしていない、占領統治のための最高法規にすぎないと常日頃から申し上げています。
ならば、憲法の上位機構である日本版GHQを、名前は枢密院でも太政官でもなんでも良いから天皇直下の機構として、そこが天皇の親任を得れば良いのです。
個人的には、天皇直下に太政官(内務卿、外務卿、軍務卿、法務卿、大蔵卿)と、神祇官(神社庁)を起き、内務卿の管轄下に内閣と国会、裁判所を置く、日本古来のカタチが良いのではと思っています。
尚、一切の権力権限の行使は、太政官が負担し、天皇は権威として存在するというカタチは、絶対要素となります。
そしてこの改定に憲法の改正も廃棄もまったく必要ありません。
なぜなら日本国憲法が作られた当時の占領機構を、そのまま天皇直下の太政官に置き換えるだけのことだからです。
なかなか進まない憲法論議よりも、日本版GHQを組成して憲法の上位機構に置いたほうが、はるかに早く日本は普通の国家になれるのではないかと思います。 (抜粋)
天皇に お返しすべき 職務たち 戦後の過ち
米国の 蜘蛛の糸から 脱す時 日本人
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自衛隊と日銀を天皇直下に置くですと!
考えてみるとそれが一番いいのか。
「民主主義」の罠にハマっている今の日本は、とてもこのままではマズイ。
日本本来のカタチは、もともと民主的なもの。
Posted by 残心 - 2015.05.25,Mon
特定秘密保護法って、何か変なイメージで報道されていたような・・・
怖いぞと 恐怖を伝え 扇動す ダマスコミ
困るのか 特定秘密 保護すると 普通の日本人
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
何か怖~い印象操作で成立を阻止しようとされていたので、実体が見えにくかった。
これが成立すると困る人たちがいたのでしょう。
・拡散ー特定秘密保護法について復習しとこう。 (月夜のぴよこ と 空耳うさぎさんたち)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
特定秘密保護法という法律は公務員とその公務員に準ずる人達を縛る法律で民間人が特定保護法にふれて罰則を受ける時って、
1. 秘密を知りえる公務員に金をはらって秘密をききだした時
2. 秘密を知りえる公務員を脅迫、または騙して秘密を聞き出した時
こういう公務員から意図的に秘密を聞き出したときにだけ公務員以外の一般人にも罰則があるだけ
ってことをいまだにマスゴミが言わないから、(意図的に恐怖を植え付けるために言わないから)
たとえ、馬鹿な公務員が特定秘密を一般人に暴露してそれを一般人が知りえて、それを語ったとしても、罰されるのは公務員で一般人ではないことはもう一度きっちり知っておくべきだとおもう。
「人を脅迫したり、だましたり、わいろを払って情報を買ったりしていない」-公務員じゃない人なら、特定秘密保護法に差しさわりのあることはあり得ないので安心していいとおもう。
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブルするのは公務員だけだとおもいますわ。 (抜粋)
怖いぞと 恐怖を伝え 扇動す ダマスコミ
困るのか 特定秘密 保護すると 普通の日本人
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何か怖~い印象操作で成立を阻止しようとされていたので、実体が見えにくかった。
これが成立すると困る人たちがいたのでしょう。
Posted by 残心 - 2015.05.24,Sun
先日の記事で「ねずさん」のブログを採り上げ、「公地公民」の復活を希望していたのにちょっとだけ衝撃を受け、今回少し掘り下げ。
作家さんのHPで、少し長いがおもしろいので掲載。
日本好き 公地公民 社会主義 和の文化
自由主義 行き過ぎるとまた 社会主義 逆もまた真なり
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平成13年当時、この筆者は構造改革(民営化)・道州制に賛成の立場だった模様。
平成27年の今はどう考えているか?
「社会主義」と言うとすぐマルクス共産主義を思い浮かべてしまうが、もっと人間的な意味での社会主義というのがあって、それを日本は目指していた・・・ような印象もある。
やはりここでも、「自由主義と社会主義の間の程度の問題」というバランス問題になってくるのか。
しかし、日本史を公地公民を基に検証するとこのようになるのは興味深い。
共産国のように「一党独裁」ではなく、「民主的に・分権された社会主義」というものがあれば、江戸期のように永く繁栄しそうに思うが、空想的過ぎるか。
作家さんのHPで、少し長いがおもしろいので掲載。
・日本人はなぜ社会主義が好きか (国際派時事コラム「商社マンに技あり!」)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
公地公民の制が大好きな日本人 (平成13年)
自由民主党は「社会主義政党」なのだと ふつうのひとに説明しても、あまりの論理の飛躍に、なかなか理解してもらえなかった。
日本は「社会主義国」だ、という説明も同じで、つい最近までなかなか理解してもらえなかった。
小泉政権は、自由民主党を「社会主義政党」から「自由主義政党」へと変えることでもって、日本の社会主義の幕引きをしたいと考えている。
ようやく平成の自由主義革命が始まるのだろうか。
明治の自由主義革命にならって。
■ 「班田収授の法」は日本社会主義の原点 ■
社会主義はマルクスが始めたものだと思っている人に、日本国の国体はもともと「社会主義」だった、と説明しても、なかなか理解してもらえない。
そういう人に限って、「日本の民主主義はマッカーサーによって導入された」などと言う。
とんでもない話で、「社会主義」も「民主主義」も、日本には古代からあったのだ。
「政府が経済を一元的に支配し、平等主義に基づき、政府機構による富の分配で人民の福利を図る」のが社会主義だ。 公的経済セクターが支配的な体制をいう。
だとすれば、大化の改新を契機にその後数十年をかけて実現をめざした「公地公民の制」こそ、まぎれもない「社会主義」ではないか。
読者の皆さん、日本史の授業を習ったときに、そう思いませんでしたか?
唐朝中国で行われていたとされる(実際にどこまで実践されていたかどうかは検証を要するが)、革新的な農地分配制度を 日本式に焼き直した 「班田収授はんでんしゅうじゅの法」は、官僚制社会主義のひとつの理想形だ。
明治維新や昭和20年代後半を見ても分かるように、日本は異文明の制度をその理想形でもって受け容れるのに長たけている。この「班田収授社会主義」もみごとに受け容れてしまった。
この班田収授社会主義、当時の日本人に大いに受けたのではなかろうか。
教科書の古代日本には 「豪族」なるものが盛んに登場する。 今日的に言えば「武装富豪」である。この富豪たちが群雄割拠し、人民の処遇がまちまちの自由主義経済よりも、富豪たちが官僚制のなかで矮小化して平等主義がより徹底する社会主義経済のほうを、ムラ社会の日本人たちは好んだのに違いない。
「公地公民の制」は、今日でも評判が非常によろしい。「税率が依然として高かった」とか「施行が不徹底だった」とかいう批判はあっても、公地公民の制の理念そのものを非難する日本史を見たことがない。
■ 社会主義経済から混合経済への移行を体験した古代日本 ■
ところが、この班田収授社会主義は8世紀前半にさっそく破綻してしまう。
農地開墾推進のために必要な「事業家精神」を、社会主義がつぶしてしまったのだ。
農地開墾の奨励のため、平城京の社会主義政権は自由主義経済を認めるという策に出る。(社会主義と資本主義を混合させた、いわゆる「混合経済」。)
開墾地の私的用益権・所有権を認める「三世一身さんぜいっしん法」(養老7年、西紀723年)や「墾田永年私財こんでんえいねんしざい法」(天平15年、西紀743年)がこれだ。
公地公民という社会主義の原則が崩れて、私有地が拡大していくことになる。
20世紀の社会主義国が、純粋社会主義ではうまくいかず市場経済を導入する姿と、何とよく似ていることだろう!
農地開墾というのは、古代・中世においては 最大の産業投資である。 「土建業」の発祥と言ってよい。農業と土建業は、つねにワンセットなのだ。
今でもそうでしょ?
この「農業・土建業」を、社会主義(班田収授)セクターだけでやるか、自由主義(荘園)セクターをどこまで認めるか ―― 平城・平安の班田収授社会主義政権にとっては深刻な命題だった。
■ 自由主義経済のための民法典まで作った鎌倉政権 ■
鎌倉政権は、班田収授社会主義を全否定した自由主義経済政権だった。私人による土地の管理・処分が当然のこととされ、そのため社会主義の法律である律令では対応できず、御成敗式目という民法典を制定する(貞永元年、西紀1232年)。
鎌倉時代とは、京都の社会主義政権と鎌倉の自由主義政権が融通無碍むげに日本国を統治した時代と言えまいか。
建武の新政は、前政権が残した自由主義経済を社会主義化(中国風の皇帝が君臨する中央政府の支配のもとに一元化)しようとしたのだが、純粋社会主義を志向しすぎて失敗する。
室町幕府は、寄合い所帯のワケの分からない政権で、どこか平成の民主党を彷彿ほうふつとさせるところがある。
そして戦国時代は、社会主義体制が完璧に崩壊して混沌の自由主義経済体制となった時期と言えようか。
■ 和の社会主義を完成し、再び混合経済へ向かった徳川時代 ■
豊臣政権は、社会主義体制の復活を目指した政権で、「太閤検地」でもって中央政府が全国の「公地公民」を把握しようとした。
これを完成させたのが徳川政権だ。
徳川政治は、「儒教社会主義」と言うべきかもしれないが、イメージモデルとしては「公地公民の制」を目指していたように思う。
7世紀に確立した統一国家の社会主義こそ日本政治の本流なりという意識は、日本の歴史を通じて根強いように思われる。
これが260年間も持ちこたえたのは、経済の地方分権が徹底していたからだろう。
徳川幕府が経済を司ったのは、全国約3,000万石ごくの土地のうち400万石と主要鉱山、江戸・京都・大坂に限られた。全国の諸大名の領地は、それぞれの大名家の経済官僚が政策を立てて統治した。経済政策の競い合いがあったことだろう。
社会主義経済も、適正な規模の分権が伴えば、それなりにうまく行くということではなかろうか。(平成のいま、いわゆる「道州制」が脚光を浴びるのもそのためだ。)
徳川時代の「享保の改革」「寛政の改革」「天保の改革」という3大「改革」は、自由主義商品経済化していく社会を、何とか「コメ本位の社会主義経済」に戻そうという政策だったと考えれば分かりやすい。
「商業資本の抑制と社会主義農業の再生」が3大改革に共通するテーマだ。
文芸・芸能・遊興に対する抑圧という社会主義国の十八番も、ちゃんとこれら「改革」のプログラムに含まれている。
徳川時代は、社会主義を理想形として幕府と各藩が経済政策を競い合いつつ、結局は大都市の自由主義経済に押し切られた時代と言えるだろう。
無政府的戦国体制から社会主義経済を経て自由主義経済へ移行する―― この、マルクス・レーニンの教えとは 全く異なるプロセスこそ、 人間社会の実相である。
見よ、大陸中国もまさに、無政府的戦国体制から社会主義経済を経て、自由主義経済へ移行しつつあるではないか。
■ 自由主義経済を推し進めた明治政権 ■
明治政権は、徳川政権の「地方分権社会主義経済」に対して「中央集権自由主義経済」を目指したと言えまいか。
マルクス主義歴史家からは極めて評判の悪い「地租改正」は、農地の商品化を通じて農業の自由主義経済化を目指したものだ。
当時の先端技術を駆使した官営模範工場や、江戸幕府が絶対に外様大名には渡さなかった鉱山利権を、なんと明治政権は次々と民間資本へ払い下げ、自由主義経済の活性化を図る。
紡績工場や炭坑、製鉄所を、「紡績公団」「石炭公社」「製鉄事業団」といった名前で社会主義セクターに押し止めておく手もあったろうに。(徳川政権ならそうしただろう。)
ところが明治政権は、大胆にもこれらを次々に民間資本化していく。
特殊法人の廃止に てこずってきた昭和・平成1桁の社会主義政権を思うとき、明治政権の諸政策は痛快なまでに大胆だ。
私心なく自由主義経済の発展のために邁進し、数多くの民間企業を創設していった渋沢栄一のような実業家を、明治政権も国民も強く支持した。
自由主義経済を唱導し、これを健全に維持していくための国民意識の成熟を願った福沢諭吉の思想こそが、よき明治の時代精神だった。
自由主義経済への信奉に1つの転換点がおとずれたのが、明治39年の鉄道国有法制定だろう。
この鉄道国有化、各方面の支持を得ての政策だったらしい。時代精神が社会主義へとグラリと動きはじめた。
鉄道の社会主義経営のための国家機関が、明治41年設立の鉄道院だ。
■ 「公地公民の制」を憧憬して、軍部と無産政党が結託 ■
欧米へのキャッチアップを一応果たした明治時代が終わると、日本人は波瀾万丈の自由主義経済を疎うとましく思い、再び「公地公民の制」を憧憬しはじめた。
日本式社会主義を実現する勢力として期待されたのが、第二政府たる「軍部」であったと言えまいか。国民は、既存政党よりも軍部の方が、より平等公正な富の分配を行うであろうと期待した。
1934(昭和9)年、陸軍が国の政策全般にわたってみずからの改革の構想を発表して、世に大きな反響をよんだが、この構想の起草には有力な無産政党である社会大衆党の幹部が加わっていた。
(山川出版社『現代の日本史』高等学校用文部省検定済教科書より)
社会大衆党は、日本社会党の前身である。
社会主義へと向かう時代精神を結実させたのが、おぞましき近衛文麿内閣の国家総動員法(昭和13年)だ。
財界や立憲民政党・立憲政友会のあいだでは、国家総動員法案が、自由主義にもとづく資本主義経済を否定し、議会の立法機能をそこなうもので、憲法違反であるとして反対する声が強かった。一方、社会大衆党は、同法案をつうじて社会主義を実現しようとして、法案を積極的に支持した。
(山川出版社『現代の日本史』高等学校用文部省検定済教科書より)
■ 大戦後も推進されつづけた農村の社会主義化 ■
長い長い日本の農村の社会主義物語は、最終的に「農地改革」による農業資本家(大地主)の排除、「農業共同組合」という人民公社方式の完成によって完結する。
国家が米価を決定し米を買上げる、この典型的社会主義体制を仕上げたのは自民党だ。
会社組織による農業 (自由主義経済) は、いまだに日本では認められていない。
商社が大規模農場を経営して米を作る、なんて話、聞いたことないでしょ、日本では。
さきに、「農業と土建業は、つねにワンセットなのだ」と書いたが、この「土建業」も自民党は社会主義経済体制でもって支援した。いわゆる「公共事業」がこれだ。
かくして、日本の農村は、「役場」「農協」「公共事業土建」「郵便局」という社会主義セクターしか産業がない地域になってしまった。
ここを票田とするのが、社会主義政党「自民党」なのである。
■ 2大社会主義政党が競い合った20世紀後半 ■
20世紀後半の日本の悲劇は、この社会主義政党「自由民主党」に対抗する勢力が、よりによってこれまた社会主義政党だったことだ。
「日本社会党」は一応マルクス主義を信奉したことになっているのだけれど、実は「反米」と「土の臭いへの嫌悪感」が融合屈折したあげくに、ソ連や大陸中国はては朝鮮国に手玉に取られただけだった。
日本が戦後復興を驀進ばくしんし、欧米先進国に再び追い付こうとしていたころは、それでも問題がなかったのだ。
いかに政党やメディアが空理空論を振りまこうと、政治が目指すべき現実目標が海の向こうにあった。いかに政治家がキレイ事を言い、あるいは国家をしゃぶりつくせと叫んでも、日本はまだまだ貧しく、無い袖は振れなかった。
適度の(あるいは過度の)インフレが、国債の返済を容易にした。
ところが、そうこうするうちに日本は、世界でも稀まれな「富裕な社会主義国」になってしまった。
自民党と社会党の2つの社会主義勢力が、これでもかこれでもかと社会主義政策を競い合った。
最近は選挙でもほとんど聞かれなくなったが、昭和50年代からバブル崩壊までは、選挙といえば「福祉の充実」の連呼で耳にタコができそうだった。
■ 社会主義的投資と社会主義的収奪 ■
「公共事業」という名の社会主義事業も、ぐいぐいと推進された。
インフラ整備が一段落すると、投資効果のある無しは度外視されはじめ、「景気対策」が錦の御旗となった。およそすべての公共事業土建が、ケインズ派の乗数効果論でもって安易に是認された。
自由主義経済セクターを支える都市部よりも、社会主義経済地域への公共投資が手厚く行われた。
これらのばらまきを推進したのが、社会主義銀行「郵便貯金」を究極の担保とする国債の乱発だ。社会主義セクターが先進国日本の経済をとことん覆っていったのだ。
税制もまた社会主義税制である。
世界でも有数の累進課税は、社会主義的平等主義の産物だ。
高率の相続税は、自由主義経済に生きようとする個人経営事業者の事業継承を困難にする。
■ 社会主義の呪縛からどう脱するか ■(これ以降12月24日の加筆部分)
このメールマガジンのある読者の方から、小泉政権の「聖域なき構造改革」の行方をどう見るか、というご質問をいただいた。
お答えを書き始めた。
書きながら、日本人ってどうしてこんなに社会主義が大好きなのかしらんと思った。試みに日本史を振返ってみたのが、このコラムである。
与野党の代議士諸君は、自分が「社会主義推進派」なのか否か、とくと自問してほしい。
我こそは社会主義の信奉者と思わん者は、「日本社会主義の本流」たる、自民党「橋本派」に合流されてはいかがか。
農業・土建業社会主義こそ、日本人の骨の髄にまで染み入った基本原理と言ってよい。だから、「保守政党」が社会主義の信奉者であっても、何の不思議もない。
皇室と社会主義も全く矛盾しない。むしろ、今につながる「天皇」のありようが確立されたのは、「班田収授社会主義」の成立のときと言ってもよい。
だから、惰性で政治を行えば、日本の政治はかならず社会主義に行きついてしまう。
「聖域なき構造改革」とは、わが内なる社会主義にたたかいを挑むということだ。
国民の富の運用を、できるかぎり民間セクターにゆだねよう。役所がビジネスの世界を食い散らかすのはやめてほしい。
あの、明治前期の躍動感がほしいのだ!
■ 「道州制」を導入して、責任財政を行政の世界に ■
と言っても、骨の髄に染みている社会主義とはおさらばできないから、さらに1つの処方箋は、江戸時代に習っての「地方分権」、すなわち「道州制の導入」だ。
道州制が導入されていれば、本州と四国に3つの架橋ルートができることはなかったろう。「四国」という単位で財政が仕切られていたとすれば、資金の効率的利用をもっと真剣に考えたはずだ。
愛媛・香川・徳島の「県人」が、それぞれに己おのれの県への架橋に奔走したのは、「ヒトの金」でやれる事業だったからだ。
もし「四国」という単位の財政で処理する事業だったとしたら、岡山県と香川県を結ぶ1ルートだけで済んでいたろう。
そして、たとえば「愛媛」を考えるなら、今治・尾道間の架橋よりも、松山・小松間の直通JR路線(予讃線の新線)に投資したほうが経済メリットははるかに大きかった。
ところが、本四架橋なら「ヒトのカネ」(他地域の税収)をつぎ込みやすい。だから本四架橋推進に奔走した。
「無責任社会主義財政」が、3ルートの本四架橋を生んだのだ。
あるていどの「社会主義」は、もう仕方ないとして、せめて「責任財政」でおこなってくれぬか。
これを実現するには、「道州制」しかないと思う。 (抜粋)
日本好き 公地公民 社会主義 和の文化
自由主義 行き過ぎるとまた 社会主義 逆もまた真なり
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平成13年当時、この筆者は構造改革(民営化)・道州制に賛成の立場だった模様。
平成27年の今はどう考えているか?
「社会主義」と言うとすぐマルクス共産主義を思い浮かべてしまうが、もっと人間的な意味での社会主義というのがあって、それを日本は目指していた・・・ような印象もある。
やはりここでも、「自由主義と社会主義の間の程度の問題」というバランス問題になってくるのか。
しかし、日本史を公地公民を基に検証するとこのようになるのは興味深い。
共産国のように「一党独裁」ではなく、「民主的に・分権された社会主義」というものがあれば、江戸期のように永く繁栄しそうに思うが、空想的過ぎるか。
Posted by 残心 - 2015.05.23,Sat
知らずに影響される世間の風潮。
今流行る 海外称賛 過去のもの 近未来の日本人
現状を 維持するだけで 廃れてく 過去にすがる日本人
同性愛 流行ってくれれば 我が天下 特権階級一家
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「文化・伝統の破壊などをやって誰か得をするのか」と思うこともあるが、意図的にやっているフシも見られるのが恐ろしい。
日本の文化は実際のところ、存続の危機なのに誰も気づいていないのか。
日本のマンガも過去の栄光にすがって、いつまでも存続できないはず。
・フェミと変態オカマ化を煽るマスコミ ~ “男の娘”凌辱ものまで (日本の面影)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
同性愛者いわゆるLGBTが優秀だとか持ち上げ、グーグルやアップル、マイクロソフト、ヒューレット・パッカード、インテル、オラクル等をはじめとする世界の最先端とされる企業では、なぜか同性愛・同性婚や性同一性障害などへの差別反対をこぞって強く主張しています(くわしくはコチラ参照:2013.6.28 WIRED)。それに併せて、実際にゲイなどを幹部に登用したりもしてます。
尚、同じように同性愛差別に強く反対し、むしろ同性愛を推奨している企業、今の日本では電通やソフトバンクが代表されます。
これはどういうことかというと、同性愛者が増えれば少子化にもつながるし、単にモラル破壊を進めてるということもありますが、もっと確信的な目的……それはゲイなど同性愛者というのは、かつての宦官たち(要するに去勢されたエリート)とまるで同じ役割を担ってるということです。
エリート層を牛耳るあっち側の勢力、実質上の支配者たる裏の巨大金融勢力にとって、子孫を残せない彼ら同性愛者というのは、会社の幹部に据えても血縁を残さないので非常に扱いやすいんですね。彼ら同性愛者たちは宦官と同じように未来永劫の子孫のためなんて考えておらず、今しかありません。どんなに権力を持っても、一代限りで終わり。とても効率のいい使い捨ての駒。
同性愛者重用は、“宦官”と同じ。つまり、そういうことなんです。
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そもそも同性愛や美少年は、革命や共和制の象徴であり、この種の連中には、そのDNAが受け継がれてきているというわけ。
この通り、古来から同性愛的なものというのは反王政(反体制・反権威)的なものの象徴として描かれることが多かったし、この種の絵や画家に対する論評とかでも、「当時の画家・芸術家の間では、(少年への)同性愛とかは正常なことで、それが知識人としてススンでる証しだった」と言わんばかりの、いい加減でコジつけ的な主張ばかりなされてることからも明らか。
言われてみると、オカマやオナベ、レズ、ゲイで「天皇陛下万歳!」と叫べる人がいるか、非常に疑わしく感じませんか? ましてや、こいつらが男系継承まで主張するなんて絶対ありえないと、イメージ的には感じてしまう。
同性愛者なんかが知的水準が高いだの、ススンでるだの笑わせるわ。ただの刹那的で未来に目を向けない快楽主義者、自堕落なエゴイストでしかないくせに。
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集英社、小学館、講談社の漫画大手三社を除くところは、もう完全にエロ系しか頼みの綱がなくなってる。しかも男女逆転の「大奥」は集英社ら一ツ橋系の白泉社からでした。
それと嘗て「少年チャンピオン」で一世を風靡した秋田書店も今はひどいね。「チャンピオンRED いちご」という年齢制限なく子供でも買える雑誌があって、それが青少年規制を加速させたとも言われてるそうで、完全にエロ漫画です。ただのエロでなく、近親相姦とかもあってかなりひどいらしい。 (「チャンピオンRED いちご」について)
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別にエロ文化を全否定するわけじゃありませんが、コミック系では、もうそれしかないって感じになってるので、日本の漫画・アニメ文化って、やっぱりもう終わってるんですね。
大手三社も後がなくて食いつなぐのに必死なだけで、『ワンピース』や『NARUTO』みたいのをダラダラやってるにすぎません。
まず文化とは、いつも栄えるものではないということをわかってる人が、ほとんどいません。ただの商売と文化の違いすらわかってない。 (抜粋)
今流行る 海外称賛 過去のもの 近未来の日本人
現状を 維持するだけで 廃れてく 過去にすがる日本人
同性愛 流行ってくれれば 我が天下 特権階級一家
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「文化・伝統の破壊などをやって誰か得をするのか」と思うこともあるが、意図的にやっているフシも見られるのが恐ろしい。
日本の文化は実際のところ、存続の危機なのに誰も気づいていないのか。
日本のマンガも過去の栄光にすがって、いつまでも存続できないはず。
Posted by 残心 - 2015.05.22,Fri
時代劇の「余は満足じゃ」の表現は、ほぼ間違っていたようだ。
殿様に わが身のことは 在りませぬ 江戸庶民
我がことで 悩み苦しむ 自由なり 江戸庶民
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江戸時代の殿様や奉行などは、今の管理職などと比べるとその「覚悟」が全然違うようだ。
それゆえの江戸の治安や文化であったのか。
楽ばかり考えてると、何も良くはならない。
・「よは満足じゃ」って誰の満足? (ねずさんのひとりごと)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ではなぜ「世」というのかというと、お殿様には「私」がないからです。
これはとっても厳しいことで、お殿様になる人、というより昔の武士は、幼少期からこのことを徹底的に仕込まれました。
なにしろ「私心を持ってはいけない」ということは、昔の武士たちのイロハのイの字よりも前に来る、基本中の基本だったのです。
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なぜ基本かといえば、これは聖徳太子の十七条憲法にまでさかのぼります。
第十五条に「背私向公」とあります。
「私(わたくし)に背(そむ)き、公(おおやけ)に向(むか)え」と読みます。
およそ人の上に立つ者は、自分個人のことよりも、みんなことを優先せよということです。
ましてお殿様といえば、藩主ならいまの県知事、直参旗本ならいまの市長くらいの役職にある者です。
そういう人が、「俺が、俺が」と我を張って自分個人の利益を優先するようになったら、まさに「世も末」です。
だからこそ、お殿様は、一人称を「よ」と言ったのです。
そしてここでいう「よ」は、自分個人のことではありません。
「世の中の人々」という意味です。
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つまり「よは満足じゃ」は、その議決事項等について「世の中の人々が満足に思うであろう」、もしくは結果について、「世の中の人々がきっと満足したことであろう」という意味で使われた言葉です。
殿様なんぞに生まれたら、これが食べたい、あれが食べたいなどと我儘を言うことなど一切許されません。
ご飯に味噌汁に漬物、しかもお毒味役が毒味してからですから、冷えたご飯に冷えた味噌汁です。
おかわりも、2杯までと決められたら、それに従うしかない。
身の全ては公(おおやけ)のためのものだからです。
美味いものを腹いっぱい食べて「満足、満足」と言えるのは、むしろ庶民だけです。
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先般、神奈川県川崎市で中一児童の殺害事件がありました。
もしこれが江戸時代に起きたことであれば、川崎の、この場合は町奉行になりますが、川崎町奉行は、世間を騒がす問題を起こしたということで、切腹です。
なぜなら、そのような問題を「起こさないために」町奉行の職があるからです。
問題が起きたならば、その「問題を起こしたことに責任」をとるのはあたりまえです。
そのことを自覚し、自分で責任をと切腹すれば、家門は維持できます。
せめて息子は家督を相続し、また別な任地で奉行職を勤める家柄を維持できます。
けれど、自分で責任を自覚せず、腹も切らないとなれば、幕府から譴責(けんせき)を受けます。
この場合は、切腹ではなく、斬首です。
斬首は武門の恥です。
ですから、お家はお取り潰しとなり、妻子も親も、翌日からは一介の浪人一家となり、路頭に迷わなければなくなります。
武家稼業は楽じゃないのです。
現代社会では、切腹も打首もありません。
そして神奈川県警が被害者をイジメた児童を逮捕し、川崎市長は、市議会で「二度とこのような事件が起きないよう、教育委員会とも連携し、しっかりと対策をしていきたいと思います」と述べるだけです。
いささか過激な発言に思われるかもしれませんが、現代日本の市長さんは、小楽なものです。
(抜粋)
殿様に わが身のことは 在りませぬ 江戸庶民
我がことで 悩み苦しむ 自由なり 江戸庶民
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
江戸時代の殿様や奉行などは、今の管理職などと比べるとその「覚悟」が全然違うようだ。
それゆえの江戸の治安や文化であったのか。
楽ばかり考えてると、何も良くはならない。
Posted by 残心 - 2015.05.21,Thu
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