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自由主義と共産主義の間、グローバリズムとナショナリズムの間の今は何処? <外道たちの最中で> 切ない事情 
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Posted by - 2025.05.07,Wed
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Posted by 残心 - 2014.12.29,Mon
12月14日、衆院選が終りましたが、史上最低の投票率でした。
自民党が大勝、公明党も議席を増やして政権は盤石となりました。

民主党、共産党も議席を増やし、その分を次世代の党が減らしているようです。
次世代の党は議席が、19から2、となり、壊滅状態です。
ネットでは自民党の次が次世代だったのですが、実際の選挙結果を見ると、やはりまだネットは一部のマニア集団にすぎないと改めて実感しました。

安倍政権には選挙の必要性があったからやったのでしょうけど、選挙結果としては、悪くなったような気がします。
もう国会中継を見る気にはなりません。

画像


日本の政治は上記の図のように、左に寄り過ぎていて、どこが中心なのかもはや分からなくなってます。
この状況は今回の選挙で、また悪くなってしまったようです。

沖縄などは、もう知らないぞ!と言いたいくらいの結果となってますが、本当に大丈夫なのでしょうか。
自民党は全滅で、共産党・社民党・生活の党が勝ってます。

かなり拍子抜けで、がっかりしてます。
朝日新聞・NHK・慰安婦・在日特権・拉致問題・憲法改正、これらの解決はまた遠のいたようです。


  ・さらに燃料を満タンにした安倍機関車  (多摩湖畔日誌)


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Posted by 残心 - 2014.12.13,Sat
戦後の日本は、自国では政策を決められなかったために、いろんな悪い政策が執行されました。
「在日特権」というのも、その一つです。
日本が強制連行したというのは事実ではないようです。
それに朝鮮戦争の際に南朝鮮から逃げてきた人が多数いたはずです。
そして彼らは、日本にいるのに日本人より特権があるのです。

在日特権(といわれている項目)

「地方税]  固定資産税の減免

[特別区]  民税・都民税の非課税

[特別区]  軽自動車税の減免

[年 金]   国民年金保険料の免除
        心身障害者扶養年金掛金の減免

[都営住宅] 共益費の免除住宅
         入居保証金の減免または徴収猶予

[水 道]  基本料金の免除

[下水道] 基本料金の免除
       水洗便所設備助成金の交付

[NHK]  放送受信料の免除

[交 通]  都営交通無料乗車券の交付
       JR通勤定期券の割引

[清 掃]  ごみ容器の無料貸与
       廃棄物処理手数料の免除

[衛 生]  保健所使用料・手数料の滅免

[教 育]  都立高等学校・高等専門学校の授業料の免除
       国公立大学に「帰国子女」の枠で入学できる
       国公立大学の大学院に「留学生」の枠でも入学できる

[通 名]  なんと、公式書類にまで使える。( 会社登記、免許証、健康保険証など )
       民族系の金融機関に偽名で口座設立 → 犯罪、脱税し放題。
       職業不定の在日タレントも無敵。
       犯罪を起こしてもほとんどの場合、実名では報道されない。

[生活保護]家族の人数 × 4万円 + 家賃5万円
       在日コリアンは、ほぼ無条件で貰えます。
       日本人は孤児だろうと病気だろうと、絶対に貰えない。
       予算枠の大半を、人口比率1%未満に過ぎない在日が独占。
       ニートは問題になっても、この特令は問題視されない。


[住民票] 「外国人登録原票」は通常、一般人では閲覧できない。
       ( 日本人の場合、債権関係の係争で住民票を閲覧される )
                                 (my日本 ダジャさんの日記より)
                                                                                                                  

先日、在特会のヘイトスピーチに対する裁判で、在特会側は敗訴し、1220万円の賠償を言い渡されました。
在特会の行動には理由があるのです。

もう戦後70年が経とうとするのに、「外国人に与えた特権を通常に戻すことも許されない」状態はやはり変でしょう。
せめて、上記の「在日特権」のことをメディアがもっと伝えてくれれば、状況は変わってくるはずなのですが・・・。

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Posted by 残心 - 2014.12.13,Sat
日本が漢字を受け入れる時、意味と内容を相当吟味していたようですね。
「訓読み」と「音読み」の話:音訓で意味が逆転する!→「こっち見るな、愛さないで!」
    (井口さんのブログ)

<一部抜粋> (途中省略、一部説明追加)

(あ)「君が代」の「君(きみ)」意味

我が国の古来からの訓読みでは、「君」=「きみ」=「き・み」となり、その意味は「き=男」、「み=女」、すなわち、「きみ=男女」となる。つまり、「きみがよ」とは、「日本男女の子子孫孫の唄」という意味になる。

漢字の「君(くん)」とは、「手にムチを持った人が「お前たち働け〜!」と大きく口を空けて、民衆をムチでしばいている姿をあらわした字」


(い)「民主」の「民」の意味

大和言葉由来の「訓読み」では、「民」=「たみ」。この意味は、「田畑で働く人々」

(古代中国の漢字由来の「民」は)つまり城塞都市の塀の内側で、針で目を潰された人たちが「民」です

その「民」に、「働け、働け〜!」と口を大きく空けて大声をあげてながら、「民」をムチでしばきあげている人たちが「君」です
「君」は、ムチでしばきあげている人たちですから、「民」より上の人です
だから「君」は偉い人、人に命令する人を意味します

つまり、奴隷商売の時に、逃げられないよう縄につながれた奴隷が「民=みん」であり、それを鞭打つものが「君=くん」

したがって、同じ「民主」という言葉でも、日本人は「民主=みんしゅ=たみが主=たみが上=男女が上→社会の上につくものは、社会に下につくものたちのためにある」という意味になる。

しかしこれが、半島人や中国シナ人には「民主=みんしゅ=みんが主=みんが上=エリートが上→官僚や両班が奴隷大衆を鞭打って痛い思いをさせて従わせる」という意味に変わるのである。


(う)日本の政治団体名は「民主」を取り除くべきだ!

正しく使っているのは、「民主党」だけだろう。もちろん、日本の民主党は在日韓国人主体の韓半島系の帰化人のパチンコ政党だから、この場合の「民主党」=「みんしゅとう」=「エリートが一般人を奴隷扱いする党」という意味で、古来の中国の漢字の意味を正しく使っているということになる。


(え)政界再編はこうすべきだ!

これはこうなるべきだと俺は思う。
与党→「自民党+次世代の党」
野党→「公明党+エトセトラ」
民主党→解散消滅→内乱誘致罪→刑務所行きか死刑
共産党→解散消滅→内乱誘致罪→刑務所行きか死刑
社民党→解散消滅→内乱誘致罪→刑務所行きか死刑


(お)あれ〜〜、「愛」も意味が逆転するとか?キモいナ。

昔の人は、この「愛」を「おもひ」、「いとし」と訓読みしました。
ですから日本人にとっての愛は、対象を「いとしく思うこと」です。

ところが漢字の字源の意味する「愛」は、久みたいな部分が足を引きずるで、家の中にある何かに心を惹かれて後ろ髪をひかれる思いで心が寄せられたなら、それを奪うという意味の漢字です。
昔、「愛は惜しみなく奪う」というタイトルの日本映画がありましたが、「愛=奪う」という発想は、まるごと漢字圏の人たちの発想です。                   』

                                      

  (参考)・国歌「君が代」の成立と、その意味   (バックは任せろ!)


同じ漢字でも、「日本人」と「中朝韓の人々」では受けとり方や感じ方が全く違うのですね。

漢字を受け入れる段階で先人たちが、内容を吟味して、日本には存在しなかった意味の漢字は除外したり、より有用な意味で受け入れてくれたために、日本での漢字の使用は混乱もなく有益に機能したのでしょう。

中国人・韓国人などは、日本人が考えもつかない歴史を持っていて、違った意味で使われている漢字しかイメージできないようです。
  
しかし、民主党の「民主」に関しては音読みの意味の通りで、伝わった漢字の意味が正しく使われていたとは?

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Posted by 残心 - 2014.12.13,Sat
「君が代」のことを我々はあまり教えてもらっていないようです。
少し長いですが興味深いものなので、以下のブログを引用します。
君が代のお話  (ねずさんのひとりごと)

<一部抜粋>

『 昨日、ねずブロについたコメントです。
左巻が黙ってしまったようです。

 朝日・日教組系の知識人さんと話すと、いつも同じで、
「君が代」の「君」は天皇崇拝だからケシカラン!と。
 こちらとしては、以前、ねずさんのブログで教えて頂いた
「き」と「み」のお話をしてみたり。しかし、いまひとつ伝わらず・・・。
 で、ある日、ふと思い立ちまして、
 与謝野晶子さんの「君死にたまふことなかれ」の「君」は、
 素直に「家族」と捉えるし、反戦歌として賛美しているのに、
 なにゆえ、君が代はの「君」だけは陛下限定か?
と問いました。
 相手は黙ってしまい、答えは聞けませんでした。
 彼らはいつもそうですね。  』
______________

『 左巻きの人は「君が代は天皇崇拝の軍国主義賛美の歌だと言います。じつに程度の低い話です。
そもそも「君が代」は、戦前からのわずか7〜80年の歴史の歌ではありません。
いまから千年以上もの歴史のある歌です
よくもまあ、軍国主義の歌だとか、デタラメなことを言えたものです。

「君が代」の文字としての初出は、平安時代初期の延喜5年(905年)です。
いまから1100年も昔の歌集に登場しているのです。
この年に編纂された『古今和歌集』の巻7に「賀歌」の筆頭歌として納められています。

その『古今和歌集』は、醍醐天皇の勅命によって編纂された勅撰和歌集です。
いまでいったら政府の公式歌集です。
万葉の時代から撰者たちの時代までの140年間の代表的作品を集めています。
つまり、最大みつもれば、1250年前に、すでに詠まれたいた歌なのです。昨日今日の話ではない。

『古今和歌集』には有名なカナ序文がありますが、これは紀貫之(きのつらゆき)が書いたものです。
そして『古今和歌集』巻7「賀歌」の筆頭に、「題しらず、読人しらず」として、

 わが君は 千代に八千代に
 さざれ石の巌となりて苔のむすまで


と歌が掲載されています。
この冒頭が「君が代は」ではなく、「わが君は」となっているところは注目です。
「君が代」の初出は、『古今和歌集』ですが、次の『古今和歌六帖』にも、歌い出しは「わが君は」となっています。
ところがその後に編纂された『新撰和歌集』や『和漢朗詠集』では、歌い出しが「君が代は」となり、以降、ずっと君が代のままです。

実はこのことは、日本文化を考えるうえで、とても大切なことなのです。
というのは、時代は異なりますが、戦時歌謡(軍歌)の「同期の桜」は、知らない人がいないくらい有名な歌ですが、この歌も、作詞が誰なのかわかっていません。
昭和13年に西条八十が「少女倶楽部」に発表した詩が元にはなっているようなのですが、ところがその後、歌詞がさまざまに変化し、また3番、4番なども追加されていって、いまのカタチになっています。
つまり、多くの人が歌っているうちに、歌詞がどんどん補強され、追加され、歌いやすいカタチとなって変化していったのです。

「君が代」の場合も同じで、賀歌、つまりお祝いの席での、めでたい歌として、広く貴族から庶民の間にまで普及していた歌であったからこそ、さまざまなバリエーションが生まれ、その歌いだしも「わが君は」であったり、「君が代は」であったりしていったわけです。

このことは「君が代」が「読人しらず」の歌であることに加えて、和歌がひろく一般庶民の間にも普及していたということを示すと同時に、どれだけ千年前の日本人が一般庶民に至るまで高い教養を持っていたかの証拠でもあります。そんな国、世界中、どこを探したってないです。
和歌が庶民の間にまで普及していたということは、『万葉集』にも、また『古今和歌集』にも、一般庶民の歌とされる数多くの歌が掲載されていることからもあきらかです。

そもそも「和歌を詠む」ということは、相当の言語感覚と、文字を扱う能力がなければできることではありません。
そうではないというのなら、いまこの場で、もみじを題材に、歌を一首詠んでくれ、と言ってやったら良いです。
即興ですぐに詠める人など、おそらくごくわずかです。
ちなみに、大学で国文の和歌を教えている多くの教授さんたちは、和歌を詠むのが実に下手くそです。まるで歌になっていない。
つまり歌の心、言いたいことを隠して、上の句と下の句でその真意を相手に察してもらうという、その文化性を失い、また国文の教授でありながら、日本人としての言語感覚に乏しいからです。日本語は、支那語や英語とは段違いの深みをもっている言葉なのです。

そして、もっと大事なことがあります。
それは、「君が代の歌詞が変化している」ということです。
そしてその変化をもたらしたのは、「間違いなく」日本人の一般庶民であるということです。

なぜ「間違いなく」といえるかといえば、この歌が施政者である貴族の歌とするならば、「わが君は」で良いからです。ご皇室の弥栄を願って貴族たちが国の体制を寿ぐ歌というのなら、歌い出しは「わが君は」であるべきです。
ところがそれが「君が代は」となっているということは、単に君が「わが君」をあらわすだけでなく、賀歌として、「別な意味」にも歌われていたということを示すのです。

では、その「別な意味」とはいったい何でしょうか。
その意味が実は「きみ」にあります。
それが「男と女」です。

漢字で書けば「きみ」は「君」です。
これを音読みの「クン」ではなくて、訓読みで「きみ」と読んでいることがポイントです。

もともと漢字というのは、支那で生まれたものを日本は輸入しているのですけれど、その漢字に、わたしたちの祖先は「訓読み」を充てていたと、私達は教えられています。
けれど、これが実はパラドックスなのです。
そうではなくて、もともと「大和言葉」があり、その「大和言葉」を書きあらわすのに、あとから私達の祖先は漢字を取り入れたのです。順番が逆なのです。訓読みのために漢字を取り入れているのです

たとえば「民(みん)」という漢字があります。
もともと支那漢字というのは、その字源をたどれば、ろくな意味のないものがほとんどです。
この「民」なども、その筆頭です。

どういう意味かというと、「民」の文字の上にある長四角のところが、実は人間の目を意味します。
ところが目なのに、長四角の中に目玉がありません。
なぜ目玉がないかの理由が、下にある「十」の部分で、これは古代の支那にあった、人の黒目を突いて目を見えなくするための道具です。
針で刺されて目を見えなくされているから□の中に目玉がないのです。

そして「民」の字の左側にある「|」は、城塞都市の塀を表します。
つまり、城塞の塀の内側で、民衆の目を針で突いてつぶして、民衆に無理やり言うことをきかせる。
目の見えない人々は上の人の言うことを聞かなければなりませんから、無理やり服従させられる。つまり隷属させられる。その隷属民のことを「民」という漢字であらわしたのです。
つまり支那漢字でいう「民」とは、隷民、つまり奴隷のことを指します。
奴隷というのは、古今東西、人であって人ではありません。豪族や権力者の私有民、つまり持ち物です。モノであり、所有物です。
そして所有者は、生殺与奪の権を持ちます。モノはいくら殺しても怪我をさせても目を潰しても罪になりません。なぜなら「人」ではないからです。

そしてこのことから派生して、「民」は、民衆から教育を奪うこと、つまり「ものごとを見えなくする」ことの意味にも使われます。
民衆を無教養なバカにしておくことで、有能な者が民から収奪する。
収奪されても収奪されたことがわからないようなアホに民衆を据え置くことが、施政者の徳(利得)だとされたという思想的背景が、この「民」という漢字のもともとの意味になっています。

その「民(みん)」から収奪する人が「君(くん)」です。
「君」は、「口」ヘンと「尹(イン)」を組み合わせた文字ですが、「尹(イン)」というのは、は、「手」と「|」(棒)が組み合わさってできています。
ものの本には、体裁よく、また子供達への教育的配慮から、手に杖を持って口を開けている姿が「君」だから、これは「聖職者」をあらわします、などと説かれています。つまり、モーゼのような立派な姿をイメージさせようと躍起になっていますが、実は、そうではなくて、手にムチを持って「オラオラ、お前たち、働け働け」と、「民」をしばきあげている役人を示します。

奴隷たちが強制労働させられている横で、ムチをもって奴隷たちをしばきあげている人、なんとなくイメージできようかと思いますが、あれが「君」です。もともとの漢字の意味は、そういう意味です。
支那の漢字というのは、ほんとうに、ろくな意味がありません。

その「民」や「君」を私達の祖先は漢字文化として古代にこれを取り入れました。
その前は、神代文字と呼ばれるシュメール文字のような文字が使われていたようですが、渡来仏教の影響で、寺子屋が普及し、いつの間にか漢字が文字の主流になりました。

ただ、わたしたちの祖先の偉いのは、その漢字をただ輸入しただけではなくて、わたしたちの国が持つ文化に、漢字を染めなおしたことです。
それが「訓読み」です。

ですからたとえば「(みん)」は、目の見えない隷民という意味ですが、わたしたちの祖先はこれに「たみ」という和語(大和言葉)を充てました。
というより「たみ」という大和言葉に、あとから「民」という漢字を充てています。
そして「たみ」というのは何を意味するかといえば、「田んぼではたらくみんな」です。だから「たみ」です。
そこに上下関係や支配と隷属の関係はありません。
みんなが共同する仲間たちです。
そして私達は、いまでも、「民」といえば「田んぼではたらく仲間たち」を語彙としてイメージしています。

ですけれど同じ漢字でも、渡来系の方は、そこに見る文字の意味は被支配層としての「隷民」です。
帰化系といわれる議員のセンセイと、国会でのやりとりをみても、どうにも会話になっていないという印象を強く受けることが多々ありますが、それもそのはずです。彼らは、もとからの日本人と言語感覚が異なるのです。

ちなみに、民主という言葉がありますが、支那文化、あるいはその支那文化だけに染まっていて訓読みをもたない朝鮮文化では、「民」の意味は上にお示しした通りで、「主」は、下の「王」の部分がろうそくの燭台です。そして上にある「丶」が、ろうそくの炎です。
燭台やロウソクは、明るいところでは役に立ちません。
部屋の奥まった暗いところにあって、じっと動かずに、人に「ああせい、こうせい」と命令する。それが「主」です。

つまり支那朝鮮文化では、「民主」とは、「自分は部屋の奥にいて何も動かず、他人に命令ばかりする人が、民衆から教育や視力を奪い、民衆にものを見えないようにしたうえで、民衆から収奪すること」、それが「民主」の意味になります。

一方、日本人は「民主」と聞けば、「田んぼではたらく仲間たち(たみ)が主(あるじ)となる社会の仕組み」、
田んぼではたらくみんなが、その田んぼの主(あるじ)となる社会体制」をイメージします。
これは日本語に「訓読み」がある、つまり漢字を輸入する以前から、固有の日本文化が根っこにあることに由来します。

同じ「民主」という言葉を口にしていても、その語彙は、支那朝鮮文化圏の人たちと、古来からの日本人では、まるで受け取る感じが違います。
ですから、少年時代に、支那朝鮮文化で育ち、後に帰化した人や、在日となった人達からすれば、「君が代」と聞けば、「民衆をムチでしばきあげて言うことを聞かせる時代」に見えるし、そういうことと戦争を結びつければ、彼らの言語感覚としては、「君が代」の意味は、「民衆が奴隷としてムチでしばかれながら戦場に送られた時代」にしか見えないわけです。

同じ日本語を話し、同じ漢字を使っていても、元になる文化が異なれば、そこから受けるイメージも、まるで違うのです。
これでは会話になるはずがありません。
現実の問題として、
民主主義」と聞けば「田んぼの仲間たちが主(あるじ)となって主役となる思想や体制」という語感にとらえる日本人と、
「隷民たちの目を潰し、自分はロウソクの燭台のように屋敷の中の奥まったところににて、自分ではなにもしないで、人に指図しながら、人々から収奪する主義」と捉える人々が、同じ国会の中で「民主主義」をめぐって議論しているわけです。議論が噛み合うはずがないのです。

さて、では日本人にとっての「君が代」とは、どういう意味なのでしょうか。
発音は「きみがよ」です。「君」という文字は使っていますが、読みはあくまで和語(大和言葉)の「きみ」です。

この「きみ」の「き」と「み」は、実は、男女を表します。
「き」が男、「み」が女です
ですから、「おきな(翁)」、「おみな(嫗=女)」と言います。
その男女のいちばん最初の神様が、イザナキ、イザナミの二神です。

ちなみに、イザナキ、イザナミのお二柱の神様の前の神様には、性別がありません。
ですから、最初の男女が、このお二柱の神様となります。
そして「イザナキ」とは、「いざなう男」、「イザナミ」は「いざなう女」という意味の大和言葉です。

そしてこの二柱の神様が結ばれて、日本の国土を産み、そしてさらに風の神・木の神・野の神といった自然にまつわる神々が産まれ、最後にお生まれになられたのが、天照大神、月読命神、須佐之男神の三貴神です。
天照大神は太陽の恵みの神様、月読命神は農業に必要な暦の神様、須佐之男神は眠りと育ちの夜の神様です。

そしてこの天照大御神様からの直系のご子孫が、代々の天皇のお血筋です。これを万世一系といいます。
万世一系の神様のお血筋にある方が、代々天皇となり、そしてその天皇から分かれて派生した血縁者が、日本人、つまり日本の民衆です。

ちなみに、現代人ひとりが誕生するためには、父と母の二人が必要ですが、その父と母が誕生するためには、さらに4人の祖父母が必要です。さらにその祖父母の誕生のためには、8人の曾祖父母が必要になります。
こうして数えますと、700年前(それは鎌倉時代頃ですけれど)には、現代人一人が生まれるために、1億2600万人のご先祖が必要になります。これはいまの日本の人口と同じです。

現代人ひとりが産まれるのに、鎌倉時代に1億2600万人が必要なのです
ということは、現代人二人のためには、鎌倉時代に2億5200万人の人口が必要になります。
現代人100人のためには、鎌倉時代に100億の人口が必要になります。現代の世界の人口さえも超えてしまいます。
それにそもそも、鎌倉時代の人口は700万人しかいません。
これが何を意味しているかというと、日本人は、誰もが「ご先祖がかぶっている」ということです。どっかで血がつながっているのです。
しかも日本の歴史は、有史以来でも2700年、縄文時代から起算すれば2万年の歴史があります。
日本人は誰もが、ちょっとご先祖をたどれば、必ず親戚同士なのです。

そしてその血筋は、かならず歴代の天皇とつながります。
そしてその天皇は、天照大御神からの直系の血筋として、日本の最高権威にあります。
そしてその最高権威が、日本の民衆を、天皇の宝物、としてくれたのが、日本の国のカタチです。
これを昔は「国体」と言いました。

よく戦時中の書物などに、「国体を守れ」という言葉が出てきますが、その意味は、「天皇が最高権威であり、その最高権威によって民衆が宝物とされる体制を守れ」という意味なのです。
そしてそのために、多くの先輩達が、戦地で尊い命を犠牲にしてくれたし、そのおかげで、いまの私達の命があります。

わが国最高権威の天皇が、わたしたちを「おおみたから」としてくださっている。
そのおかげで、わたしたちは豪族や権力者たちの隷民にならずに済んでいます。
それがわたしたちの国のカタチです。
だからこそ、わたしたちは、わたしたち自身の自由のためにも、わたしたち自身が目を潰されてムチでしばかれる隷民とならずにいるためにも、そういう国のカタチの中心核におわす天皇の存在をありがたく思い感謝する。
天皇がわたしたちを「おおみたから」とし、わたしたちが天皇に感謝する。
それが昔の言い方をしますと「君民一体」の意味です。

そしてその「君民一体」の世を、「千代に八千代」に、つまり千年も万年も未来永劫、さざれ石の巌となって苔のむすまで、みんなで守りぬいていこうじゃないか、それが君が代の歌の意味です。

そして君(きみ)は、男と女でもあります。
その男女が結ばれて、子が産まれ、孫が産まれ、曾孫が産まれ、子孫が繁栄する。
だから「君が代」は、おめでたい賀歌なのです。

「君が代」が戦争の象徴だとか、そんな意味にしか受け取れないというのは、日本に住みながら、日本語の意味を解することができない、哀れな痴れ者でしかありません。
そういう人には、もういちど小学校から勉強をしなおしてきなさいと言いたい。
まして、そのような人に日本の国政を云々するような資格は、まったくありません。

「君が代」は、そういうおめでたい歌であるからこそ、明治時代に国歌として採用になる前までは、一般的な結婚式でのお祝いの定番曲でした。
結婚式の歌としては、「♬高砂やぁ〜、この浦、船に帆をあげてぇ〜」という「高砂」が有名ですが、昔は「君が代」もそれと同じくらい歌われたのです。

そういう歌が、千年の時を越えて、人々に祝歌として歌い継がれている。
そこに、日本の計り知れない文化の深さがあります。
そしてそういう歌を国歌としているということ自体、すごいことですし、もっといえば、「きみ」の持つ深い意味と、その深い意味が千代に八千代に続く、さらに「苔のむすまで」という男女の愛に、私は、とてつもない日本文化の愛の深さと、あたたかみを感じます。 』
______________

『 さて、君が代の歌詞のことを書きましたので、せっかくですから曲(旋律)のことも書いておこうと思います。
いま歌われている君が代の旋律ができたのは、明治の初めの頃のことです。
その頃横浜の英国大使館に、ジョン・ウィリアム・フェントン(John William Fenton)という、音楽隊長がいました。

フェントンは、薩摩藩の依頼を受けて、薩摩の青年たちに吹奏楽を教えていました。
薩摩軍楽隊です。
実はこの吹奏楽団が、日本初の西洋式吹奏楽団です。

なにせ楽器といえば、お琴や三味線、和太鼓、和笛くらいしかなかった時代のことです。
言葉も通じない、五線譜も初めて目にするという日本人に、西洋式楽器の指導をされたフェントンは、さぞかしたいへんなご苦労だったことと思います。

ちなみにフェントンが教えた「薩摩軍楽隊」は、明治元年(1871年)には「日本海軍軍楽隊」へと発展し、これがいまに続く海上自衛隊吹奏楽団に至っています。


そのフェントンが大山巌に、「明治新政府になにか儀礼音楽が必要です」と進言したのが、明治2年(1872年)10月のことです。
「なるほど」とうなづいた大山巌は、数人と相談して、平素、彼自身が愛唱している「薩摩琵琶歌の蓬莱山」に引用されている「君が代」を歌詞として選び、作曲をフェントンに頼みました。

薩摩琵琶歌「蓬莱山(ほうらいさん)」は、薩摩藩でおめでたい席で歌われた定番曲で、歌詞は次のようになっています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
めでたやな 
君が恵みは久方の 光り長閑き春の日に
不老門を立出で 四方の景色を詠むれば
峰の小松に雛鶴棲みて 谷の小川に亀遊ぶ
君が代は千代に八千代に
さざれ石の、巌となりて苔のむすまで
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
まさに「おめでたい」歌です。

ちなみに「蓬莱山」というのは、道教の神仙思想にある支那の山東半島のはるか東方の海にあるとされている、不老不死の仙人が住む架空の島です。(一説によると日本)
かぐや姫の物語(竹取物語)にも「蓬莱山」は、「東の海に蓬莱という山あり」とされ、そこは不老不死で金銀財宝ざっくざくのたいへんおめでたい島として登場しています。

つまり「鳳来山」の歌は、そんなおめでたい島に住んでいるかのように、美しい景色とおいしい食べ物恵まれ、病気になることもなく、人々が不老不死で、互いの幸せが永久に続きますように、という願いを込めた、たいへんにおめでたい歌というわけです。

そしてこの「おめでたい歌」に引用されているのが、まさに平安時代に誕生した「君が代」であるわけです。

フェントンは早速、この歌に旋律をつけたのですが、出来上がりはイマイチ評判が悪い。
コラール風で、アイルランド民謡ぽかったのだそうです。

で、明治9(1876)年に、海軍楽長だった中村裕庸が「君が代」楽譜を改訂したいという上申書を海軍軍務局長宛に提出しました。



中村裕庸は、その上申書にこう書いたそうです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(西洋諸国において)聘門往来などの盛儀大典あるときは、各国たがいに(国歌の)楽譜を謳奏し、以てその特立自立国たるの隆栄を表認し、その君主の威厳を発揮するの礼款において欠くべからざるの典となせり。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

要するに、西洋では大典などの際に、国歌を演奏しているから、日本も国歌を持つべきである、というわけです。

ところがこの上申は、普通に考えるととんでもないことです。
なぜなら、中村裕庸はフェントンの弟子です。
その弟子が、師匠であるフェントンが作曲した君が代はイマイチだから改善したい、と上申したということだからです。

ところが、そこが師匠のフェントンです。
フェントンは、むしろ自分が作曲した君が代よりも、日本が日本文化に適した国歌を、自分たちの手で作曲するということに、逆に深い意義を感じてくれた。
そして、むしろ中村の上申をフォローさえもしてくれたといわれています。
なぜならフェントンは、日本人と親しく接し、日本文化に深く触れるにつれ、日本が好きで好きでどうしようもなく日本を愛するようになっていたのです。

こうして明治政府は、明治13(1880)年、宮内省雅樂課に、君が代の新たな作曲を命じました。
宮内庁雅楽課の奥好義は、フェントンの作曲した作品にさらに改良を加えていきました。

その旋律を、当時最高の雅楽演奏家とされていた一等伶人の林広守が、さらに荘厳しました。

するとこんどは、音楽教師として日本に滞在していたドイツ人の音楽家フランツ・エッケルトが、「和音をつければ、もっと素晴らしいものになりますよ」と、曲に和音を加えてくれました。

つまり「君が代」の旋律は、日、英、独の、いわば合作によって生まれた旋律なのです。

その「君が代」について、次のようなエピソードがあります。
日本の代表的作曲家山田耕作氏が、若い頃ドイツに留学していたときのことです。

ドイツの大学の音楽教授たちが、世界の主な国歌について品定めをしました。
結果、第一位に選ばれたのが日本の「君が代」だったのです。

理由は、まず曲の素晴らしさがあったことでしょう。
そして君が代の歌詞に込められた古代の日本人の心を知ったとき、まさに「君が代」は賞賛の嵐となったのです。

「君が代」は、平成11(1999)年に、国歌として法制度化されました。
実は、それまで「君が代」は、明治大正昭和にかけても、国歌とする法はなかったのです。

それでもみんなが「君が代」を国歌と思ってきた。
法があろうがなかろうが、関係ないのです。
幾百年にわたって、多くの人々によって、祝い歌として歌い継がれてきた謡曲が、稀世のメロディを得て、素晴らしい曲となったからです。
法なんてなくても、意味を知れば誰しも自然とこの歌が国歌と思う。それだけのことです。
そして、法があるかないかの問題ではなく、「自然にみんながそう思う」ということが、世の中においてとっても大切なことなのではないかと思います。

君が代は
  千代に八千代に
  さざれ石の
  巌(いわお)となりて
  苔(こけ)のむすまで


私は、胸を張って「君が代」こそが我が国歌であると申し上げたいと思います。
そして、それがわからないような無教養な人を、野蛮人として軽蔑します。 』

                                    

このようなことは本来小学校で習うべき事柄のように思いますが、教わった記憶が全くないのは単に私の記憶力がない所為でしょうか。

メディアに作られたイメージ(印象操作)を一度取り去って、「君が代」の意味を見直すのも良いようです。

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Posted by 残心 - 2014.12.13,Sat
日本にとって良いものは排除し、自分たちは利用する戦勝国は、「教育勅語は良い」と判断したようです。
今日は教育勅語が下賜された日  (ねずさんのひとりごと)

10月30日は、教育勅語が明治天皇より下賜された日です。明治23年のことです。
教育勅語は、米国で『The Book of Virtue』とされ、本になり、この本は全米で聖書に次ぐ大ベストセラーになっています。そして米国は、この『The Book of Virtue』を全米の学校教育の場で、道徳教育の規範として使っています。

ところが日本では、戦後GHQの指示によって昭和21年(1946)に奉読と神聖な扱いの禁止が通達され、さらに昭和23年(1948)に衆議院で「教育勅語等排除に関する決議」、参議院で「教育勅語等の失効確認に関する決議」が、それぞれ決議されて教育勅語は排除されたままになっています。

日本で生まれて明治天皇の名で日本国民に下賜されたものが、日本ではなぜか国会によって否定され、その否定されたものが米国では道徳教育の規範として全米の学校で教科書として扱われているわけです。
日本はいったいどうしてしまったのでしょうか。

わたしたちは、この教育勅語を取り戻すことを、あらためて国民的目標に掲げたいと思うのですが、いかがでしょうか。

==========
一(いつ)にせんことを庶幾(こいねが)ふ
明治23年10月30日
御名御璽
『教育勅語』意訳
明治神宮崇敬会刊「たいせつなこと」より
==========

国民の皆さん、

私たちの祖先は、国を建て初めたときから、
道義道徳を大切にするという
大きな理想を掲げてきました。

そして全国民が、
国家と家庭のために
心を合わせて力を尽くし、
今日に至るまで美事な成果を
あげてくることができたのは、
わが日本のすぐれた国柄のおかげであり、
またわが国の教育の基づくところも、
ここにあるのだと思います。

国民の皆さん、
あなたを生み育ててくださった両親に、
「お父さんお母さん、ありがとう」と感謝しましょう。
兄弟のいる人は、
「一緒にしっかりやろうよ」と、仲良く励ましあいましょう。
縁あって結ばれた夫婦は、
「二人で助けあっていこう」と、いつまでも協力しあいましょう。
学校などで交わりをもつ友達とは、
「お互い、わかってるよね」と、信じあえるようになりましょう。

また、もし間違ったことを言ったり行った時はすぐ、
「ごめんなさい、よく考えてみます」と
自ら反省して、謙虚にやりなおしましょう。

どんなことでも自分ひとりではできないのですから、
いつも思いやりの心をもって
「みんなにやさしくします」と、
博愛の輪を広げましょう。

誰でも自分の能力と人格を高めるために
学業や鍛錬をするのですから、
「進んで勉強し努力します」という意気込みで、
知徳を磨きましょう。

さらに、一人前の実力を養ったら、
それを活かせる職業に就き、
「喜んでお手伝いします」という気持ちで
公=世のため人のため働きましょう。

ふだんは国家の秩序を保つために必要な憲法や法律を尊重し、
「約束は必ず守ります」と心に誓って、ルールに従いましょう。

もし国家の平和と国民の安全が危機に陥るような非常事態に直面したら、
愛する祖国や同胞を守るために、
それぞれの立場で「勇気を出してがんばります」と覚悟を決め、カを尽くしましょう。

いま述べたようなことは、
善良な日本国民として不可欠の心得であると共に、
その実践に努めるならば、
皆さんの祖先たちが昔から守り伝えてきた
日本的な美徳を継承することにもなりましょう。

このような日本人の歩むべき道は、
わが皇室の祖先たちが守り伝えてきた教訓とも同じなのです。
かような皇室にとっても国民にとっても
「いいもの」は、日本の伝統ですから、
いつまでも「大事にしていきます」と心がけて、守り通しましょう。

この伝統的な人の道は、
昔も今も変わることのない、
また海外でも十分通用する普遍的な真理にほかなりません。

そこで、私自身も、国民の皆さんと一緒に、
これらの教えを一生大事に守って高い徳性を保ち続けるため、
ここで皆さんに「まず、自分でやってみます」と明言することにより、
その実践に努めて手本を示したいと思います。
______________

明治二十三年(一八九〇年)十月三十日
御名(御実名「睦仁」)・御璽(御印鑑「天皇御璽」)

教育勅語の十二の徳目

孝行(こうこう)             親に孝養をつくしましょう
友愛(ゆうあい)             弟・姉妹は仲良くしましょう
夫婦(ふうふ)ノ和            夫婦はいつも仲むつまじくしましょう
朋友(ほうゆう)ノ信           友だちはお互いに信じあって付き合いましょう
謙遜(けんそん)             自分の言動をつつしみましょう
博愛(はくあい)             広く全ての人に愛の手をさしのべましょう
修学(しゅうがく)習業(しゅうぎょう) 勉学に励み職業を身につけましょう
智能(ちのう)啓発(けいはつ)        知識を養い才能を伸ばしましょう
徳器(とくき)成就(じょうじゅ)    人格の向上につとめましょう
公益(こうえき)世務(せいむ)      広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう
遵法(じゅんぽう)            法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう
義勇(ぎゆう)              正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう
______________

(原文)
教育勅語(原文)

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日
御名御璽
==========
                                 

もう戦後69年も経っているのだから、占領政策で行われた多くのことを改めてもよい頃ではないだろうか。

教育勅語などは米国が自分の国で教育に採用しているくらいだから良いに決まっているし、他にも日本に数々の優れた仕組みがあったはずなので、元通りは無理にしてもマッサラな気持ちで見直せば、改善できることも多いはずだ。

しかし多くの優れた教育・習慣・制度などが失われてもう長い時間が経っている。
見直すにも多大な努力が必要であり、容易くはないだろう。

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Posted by 残心 - 2014.11.20,Thu
映画俳優の高倉健がお亡くなりになりました。
主演映画の中に、「三代目襲名」というやくざ映画があります。

戦後の混乱期に発生した「在日朝鮮人犯罪」の実態は、どうやらこういう事だったようです。
GHQの政策によりこういったことは報道も記録もされず、一般人は知ることもなかったようですね。
戦後もずっとマスコミはプレスコードを守り、真実の歴史は隠蔽されて、自虐史観が教育されて69年過ぎました。


暴走三国人の出ている健さん映画  (楽さん・恥かきの記)

高倉健主演「三代目襲名」で描かれた在日朝鮮人犯罪!謝罪すべきは在日韓国朝鮮人でしょ!
   (なでしこりん)


 永久保存版 「日本共産党と在日韓国朝鮮人が引き起こしてきたテロの数々」

・朴烈事件(大正12年):民潭創設者・朴烈が起こした天皇暗殺未遂テロ
・直江津駅リンチ殺人事件(昭和20年):満員列車で起きた在日による日本人リンチ殺害
・大阿仁村事件(昭和20年):在日鉱山労働者が栗林に無断侵入&警官と乱闘
・生田警察署襲撃事件(昭和20,21年):山口組成長のきっかけとなった在日による警察署占拠事件
・首相官邸デモ事件(昭和21年):生活物資の優先配給を求めた在日が暴徒化
・坂町事件(昭和21年):闇市の取締りに反発した在日による暴力事件
・新潟日報社襲撃事件(昭和21年):坂町事件の記事の撤回謝罪を要求した在日による暴行
・富山駅前派出所襲撃事件(昭和21年):犯罪人解放を狙った在日による警官襲撃
・長崎警察署襲撃事件(昭和21年):犯罪人釈放を目的とした在日集団テロ
・富坂警察署襲撃事件(昭和21年):犯罪人逃亡を企てた在日による警察署占拠
・尾花沢派出所襲撃事件(昭和22年):闇米を摘発された在日が派出所を襲う
・阪神教育事件(昭和23年):GHQが戦後初めて非常事態宣言を布告した大規模テロ
・評定河原事件(昭和23年):北朝鮮国旗掲揚を巡った在日と米軍憲兵との乱闘
・宇部事件(昭和23年):山口県宇部市における在日による生活保護要求テロ
・益田事件(昭和24年):密輸入物資隠匿で摘発された在日を巡る襲撃テロ
・枝川事件(昭和24年):集団窃盗犯逮捕に絡んで起こった在日による警察官暴行拉致事件
・高田ドブロク事件(昭和24年):密造酒醸造犯による脅迫暴行デモ
・本郷事件(昭和24年):朝鮮人地区の地図作成に対する在日の集団暴行
・下関事件(昭和24年):韓国政府の在外国民登録に反発した在日が暴徒化
・台東会館事件(昭和25年):朝連解散&朝連会館接収を拒否した在日が起こした公安事件
・連島町事件(昭和25年):朝鮮解放5周年集会に集まった在日による暴動
・長田区役所襲撃事件(昭和25年):在日が生活保護を要求して襲撃
・四日市事件(昭和26年):朝連支部接収に反対した在日が起こしたバイオテロ
・王子朝鮮人学校事件(昭和26年):東京朝鮮学校による違法印刷物を巡った在日の暴動
・神奈川事件(昭和26年):神奈川県朝鮮人学校PTAによる暴力事件
・下里村役場集団恐喝事件(昭和26年):生活保護と強制送還阻止を求めた在日が村役場を占拠
・東成警察署催涙ガス投擲事件(昭和26年):警察が同胞を殺したとデマを流し暴徒化した在日テロ
・軍需品製造工場襲撃事件(昭和26年):東成署事件の追悼集会で在日が再び暴徒化
・半田一宮事件(昭和26年):密造酒取締に抵抗した在日が警察署を占拠
・日野事件(昭和26年):在日朝鮮統一民主戦線や祖国防衛隊による違法デモ&暴動
・万来町事件(昭和27年):生活保護増額を却下された在日が集団で福祉事務所を襲撃
・木造地区警察署襲撃事件(昭和27年):日本共産党の指示で在日が起こした襲撃事件
・姫路事件(昭和27年):民潭と総連間の抗争事件
・血のメーデー事件(昭和27年):左翼団体と在日による皇居外苑における騒乱事件
・上郡事件(昭和27年):日本の公立学校入学を巡った在日の内ゲバ暴行事件
・八坂神社事件(昭和27年):在日デモ隊が大阪東成・八坂神社に無断侵入
・宇治事件(昭和27年):在日による複数の派出所占拠
・多奈川町事件(昭和27年):密造酒一斉摘発に抵抗した在日が集団暴徒化
・田川事件(昭和27年):日本人花見客と在日グループとの争いで死亡者が出た暴行事件
・大村収容所事件(昭和27年):韓国が強制送還引取拒否した在日犯罪者達が収容所内で暴徒化
・広島地裁被疑者奪回事件(昭和27年):裁判中に在日放火犯を奪還し逃走
・桜井町事件(昭和27年):旧朝連系在日よる民潭系在日への襲撃事件
・奈良警察官宅襲撃事件(昭和27年):桜井町事件検挙に反発した在日が警官宅を襲撃
・高田事件(昭和27年):旧朝連系在日による民潭&派出所襲撃事件

https://twitter.com/u_dumbo/status/520432138739388416

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Posted by 残心 - 2014.10.24,Fri
以前から言われていた「中国経済の崩壊」がいよいよ本格的に始まったようである。
中国金融機関への救済融資が始まった。 あの長銀と日債銀の時代!! 
    (おゆみ野四季の道 新)

『 思わず笑ってしまった。中国の中央銀行である人民銀行が傘下の金融機関に9月と10月に約12兆6千億円の資金供給をしたと、中国ウォッチャーの宮崎正弘氏がレポートしていたからだ。
資金供給とは体のいい金融機関救済である。
かつて日本でも日銀が懸命に金融機関を支えていた時期があった。不動産投資に失敗した長銀や日債銀や拓銀が倒産した1990年後半から2000年始めのころの話だ。

 日本では約18兆円の公的資金を投入し(胴元はもちろん日本銀行)そのうち10兆円は返済されたが8兆円は踏み倒され、長銀と日債銀は解体されて二束三文でアメリカの投資家に売却された
当時はどこの金融機関の資金繰りもひっ迫していて私が勤務していた金融機関は相対的に経営が安定していたので他行の救済を日銀と共同で行っていたものだ。
地下室に膨大な量の有価証券が運び込まれたが、これは救済を要請してきた金融機関が保管していた有価証券でそれを担保に救済融資をしていた(一般金融機関は日銀のような無担保貸し出しはできない)。
有価証券の量は半端ではなく金庫に入り切れないほどだったのを思いだす。

 日本にとって不動産バブル処理の約10年間だったが今それを中国の金融機関が行っている。金融などというものは中国であろうと日本であろうと同じようなもので、貸した金が回収されなければ資金繰りに支障が発生する。
中国では作ったはいいが全く売れないマンションが林立しており、これを地方政府が実質的なオーナーになって建設してきた。また鉄鋼等の国有企業は在庫の山を築いている。
金がないんだから返済できん。それともあんたらは地方政府や国有企業をつぶすのか!!

 こうして金融機関は不良債権の山を築いて長銀や日債銀になってしまった。
「どうにもなりません、人民銀行さん、この不良債権に見合う額の融資をしてください」
中国の金融機関は国営だからつぶすわけにはいかず、人民銀行は銀行の救済融資に乗り出している
13年度までは預金準備率の引き下げで対応していたが十分引き下げてしまったのでこれ以上は引き下げられず、直接の救済融資になった。

 今回は約13兆円の救済融資だが、実際どれだけ必要になるのかは誰にも分からない。
それは当然で景気が回復しマンションが売れだせば不良債権が一気に優良債権になってしまうし、その反対に景気が後退すれば不良債権がますます増える。
「GDPは毎年7.5%は上昇しているのに何でマンションが売れないいんだ」
中国の統計は政治的数字だから、GDPと景気は乖離してしまうので統計数字を見てもわからない。

 この救済資金は貸出対象ではなく焦げ付き債権の見合いだから、成長資金の原資にはならない。中国金融は完全に後ろ向きになっており、かつてのようなイケイケドンドンの時代が終わったことが誰の目にも明らかになってきた。
不動産バブルが崩壊した後の景観はどこも同じで、日本の1990年後半の金融機関の後始末やアメリカのリーマンショック後の姿を見れば想像がつく。
このバブルの崩壊で中国が世界の経済をけん引していた時代は終わった。 』
中国では経済問題を含めて、ウイグル・チベットに加えて香港の扱いなど、統治や国家運営の根本問題が破綻する最終局面を迎えようとしているようである。

中国人が自分たちで言うように、「中国よりも日本の方が社会主義的」(福祉が充実し、国民が平等)であるならば、共産主義は存在意義を失っているし、中国はいまや誰のための存在なのか分からない。

今後良くなる可能性がないならば、後は「如何にソフトランディングするか」だけである。
中国でなるだけ人が死なずに、他国に迷惑をかけずに、新秩序を築けるか。
これは相当難問になるに違いないでしょう。

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Posted by 残心 - 2014.10.20,Mon
昔、新聞記者は、「羽織ゴロ」(=羽織を着たゴロツキ)と言われていたそうで、かなり信用がなかったそうだ。

新聞・雑誌などの内容がまるで真実かのように扱われるようになったのは戦後になってからなのであろうか。
昔はマスコミに対する接し方が、今より健全だったようだ。

江戸時代で言えば、「かわら版」ということになろうか。

そして、一部で言われている「ジャーナリスト」「ジャーナリズム」という言葉がある。
どういう定義なのか調べると、以下のとおり。

デジタル大辞泉の解説によると、ジャーナリズム 【journalism】とは、

「新聞・雑誌・ラジオ・テレビなどにより、時事的な問題の報道・解説・批評などを伝達する活動の総称。また、その機関。」

・ジャーナリストの定義 (ウィキペディア)

『 基本的にはメディアに寄稿する人の事を指す。

欧米諸国では大学ないし大学院におけるジャーナリズム教育も盛んに行われており、オンブズマン制度が浸透しており[1]、政府機関が記者会見に参加するための記者証を発行の基準が存在している。フリーのジャーナリストは新聞社、テレビ局、(まれに専門出版社)でジャーナリズムの実務経験を積んだ後で転身するケースがほとんどである。

一方で日本においては「ジャーナリスト」と自称する際の特別な基準は存在せず、ジャーナリストとなるために教育システムや制度は整備されていない。より専門的な分野を得意としていることを示すために、“**ジャーナリスト”(例:国際ジャーナリスト、軍事ジャーナリスト、経済ジャーナリスト、教育ジャーナリスト、芸能ジャーナリスト、中東ジャーナリストなど)を自称することもある。ただし、日本における「ジャーナリスト」は文章を採用するメディアが取捨選択する過程で自然淘汰されることに任せている状態であり、資質や能力に問題がある者がジャーナリストに相応しくないとして強制的に排除されるシステムは存在しない。そのため、文章作成を初めとする能力、資質、倫理観などが欠如している者でも何らかのメディアに寄稿さえしていれば「ジャーナリスト」と自称しても間違いとまでは言えないが、ジャーナリストと呼ぶに値するかの点では議論の対象になる

ジャーナリストは事実に対する現状や意義、展望を報道する専門家であるとされるが、ジャーナリストの倫理観や政治的態度に基づいて左右され、ジャーナリスト自身の経済的基盤、個人的利害関係が記事の内容に大きく影響を与えるケースもある特定の団体に所属していないジャーナリストの中には「フリージャーナリスト」と自称する者も多いが、出稿媒体や取材対象、ジャーナリストの取材対象及びその隣接分野を研究している研究者との利害関係がないことを示すものではない。 』

______________

『 社会的評価を受けているジャーナリストの書いた記事や報道(ジャーナリズム)は影響が大きい。フリージャーナリストの草分けである黒田清のように「ジャーナリズムの基本は伝えることではなく弱者の訴えを代弁する事」を信念とするものもいるように、日本独自に発展したジャーナリズム観も生まれている。 』

「ジャーナリスト」と言うと、何か高尚な、洗練された、知的な、社会正義を背負った、ちょっと偉いことをしている、そんなイメージが印象操作されている
その「ジャーナリスト」たちも何かそんな気分を持って仕事をしているように感じる

そしてそんな仕事の結果として、現在の日本がある。
自虐史観、反日左翼、歴史捏造、過剰報道、事実隠蔽、敗戦利得維持、などなどテンコ盛りである。
最近、朝日新聞の捏造謝罪があったが、これはほんの一部に過ぎないだろう。

しかも彼らは「良いことをしている」という意識でやっていたりする。
もちろん一部は完全に意識的に行っており、ほかを扇動している。

この「ジャーナリスト」という呼び方は、日本では変な優越性を持ってしまっているので止めてしまったほうがよくないか
実際の「日本のジャーナリスト」は、昔で言う「羽織ゴロ」でしかないように思われる。


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