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自由主義と共産主義の間、グローバリズムとナショナリズムの間の今は何処? <外道たちの最中で> 切ない事情 
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Posted by - 2025.05.06,Tue
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Posted by 残心 - 2015.06.14,Sun
気を付けてないと、分からなくなってしまう・・・。
奴隷だって飼い主次第、奴隷自身の心の持ちようで幸せにも不幸にもなる<br>~ 対して欲に際限ない現代人は不幸にしかなれない  (日本の面影)

《 勝手に要約 》
昔の奴隷への扱いは今のペットやサラブレッドに近いものが多かった

でも、要するに現代人ってのは拝金主義の奴隷にされてるってことなんだよね。お金がもらえない家事イヤ、子育てイヤ、家族への奉仕だってまっぴら・・・目先のお金にだけはこだわる。加えて、いつも不満ブーブー。

だからこういう人ってのは、お金をもらうことが自己の尊厳を守ってるかのよう勘違いしてるだけで、既に無意識のうちに目先のお金の奴隷に成り下がってるわけだけど、本人にはそんな自覚なんてまるでなく、自分が自由だと信じきっている。つまりこの状態は自分が奴隷状態である認識なんてまるで持たない飼い慣らされた家畜と同じなんだよね

ただ、犬や猫ら動物に自分がペットや家畜だって認識はないけど、奴隷には自分が奴隷だって認識がある。そして犬猫、動物とかには、人間に対する洗脳のようなものを施す必要はなく、単に飼い慣らせばいいだけ。
奴隷は力で従わせてるけど、完全に洗脳されてるのかというと、それはちょっと違う。でも拝金主義の奴隷は洗脳され、完全に家畜として飼い慣らされてる。お金という餌付けで調教されたサルやイルカと同じ

ペットなんてそもそも動物なんだから、野生でいるのが本来の姿であって、人間に飼われた状態というのは、本来の左翼的発想でいけば動物が野生で生きていく権利を侵害してるわけで、犬権だの猫権だのの重大な侵害に当たってるはずなわけ。だけど奴らは今のところ、そこまでの糾弾はしていない。
人間については、女の権利主張に続いて子供の権利主張への流れが既に出来上がっちゃってるし、次はこれに倣って動物の権利主張していくのは奴らの習性からして当たり前。
左翼的な人権主張の次は動物の権利を強力に主張する流れは当然であって、いつそっちの方に奴らが大きく踏み込んでいっても不思議ないと思う。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
知らぬうち 拝金主義が 浸透し      現代社会
餌付けされ サルやイルカと 同じなり   お金の奴隷の現代人
幸福は お金の量で 決まる世か      立ち止まる日本人
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
現代では「お金を稼ぐことがかっこよくて正しいこと」なのが当然で当たり前。
「お金を稼げないのはかっこ悪くて悪いこと」なのは常識か。

お金を稼げないのがいいこと、とは言わないけれど、日本は元々こんな心情の国だった?
お金を稼ぐのが良いことであるとして、何をしたって金儲ければいいのか?

自分のことしか考えない、贅沢富裕層が増えて、乱れた世に。
世のため人のため、という富裕層が増えることは難しいようだ。
そんな人は金儲けできないシステムなんだろうか。

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Posted by 残心 - 2015.06.07,Sun
あまり教わってないけれど、百人一首の歴史は壮大なようだ。
百人一首の日  (ねずさんのひとりごと)

《 勝手に要約 》
百人一首 --- 藤原定家 選
世の中が、平安から鎌倉へと激動し、明察功過などどこへやら、短慮と短慮が対立し衝突して、すぐに武力衝突になる。
人の生命が奪われ、世が乱れ、悲惨な殺人事件が頻発する。
女達が安心して生きられた時代はどこへやら、武器をつきつけられて着衣を奪われ、強姦され、他人の子を孕ませられたり、あるいは殺される。
毎日のように、悲惨なニュースがもたらされる。

そんな世の中がなぜ生まれるのか。
世の中の価値観が狂い、世の中の秩序が乱れ、日本人が日本人としての文化性を失っている。
だからこそ、考えられないよな短慮な事件が頻発する。
「ならば」、その日本人の文化の根源を、どうやって世間に知らしめ、定着させていくのか。
どうやって日本を取り戻すべきなのか。
そのために何が必要なのか。

理論や理屈をいくら説いてもダメなのです。
頭でわかっても、それは行動にならないからです。
理屈では人は動かないのです。

ではどうしたら良いのか。
人は感じて動くものです。
だから「感動」といいます。

そうであれば、感動のなかに、取り戻すべき日本の姿を浮き彫りにする。
和歌には感動があります。
ならば、その和歌を効果的に配置することで、和歌を順に読み解いて言ったら、誰もが感動し、日本の文化を取り戻そうとする決意を新たにする。
そういう歌集を創ろうではないか。
それは、勅撰和歌集のような長大なものではなく、そうだ。百首くらいがちょうどよい。
百人の歌人から一首ずつ、百首の歌で、大和の文化を全部語り尽くしてはどうだろうか。

いやまて。
せっかく歌集にしても、その歌集自体が歴史の中に埋没してしまってはなんにもならない。
それに、五百年続いた平和な日本が、いまこうして音を立てて崩れた今、その日本が、再びもとの美しい姿を取り戻すには、いったいどのくらいの歳月がかかるだろうか。
もしかすると、それは五百年?、いや千年はかかるかもしれない。

であれば、千年の間、歌の意味さえも失われてしまったとしても、その歌だけは生き残る。
そうだ。歌には言霊がある。
その言霊の美しさだけは生き残る。
そしていつの日か、きっとその歌の意味を理解する者が現れるに違いない。
それがいつのことかはわからない。
けれど、その日まで、歌集が生き残ってくれなければならない。
そのためには、たとえどんなに歌が貶められたとしても、あるいは言葉が失われてしまったとしても、それでも音の美しさだけで口承され、人々に愛され続けるだけの歌を、選ばなければならない。

定家は、それまで自分が学んだ全ての知識と情熱を傾け、晩年最後の仕事として、百人一首の編纂を開始しました。
たった百首の歌を選び、配置するのに、まる4年の歳月がかかりました。
―――――――――――――――――――――――――――――――
900年前の大化の改新からはじまる日本の大きな改革。
それを成し遂げた天智天皇、それを完成させた持統天皇が、天皇として自ら政治権力を揮うのではなく、むしろ権威というお立場となって、民衆を大御宝(おおみたから)とし、自らは農作業やお洗濯をして、民とまったく同じように労働に精を出されていたこと。

そして平安中期になると、安全で安心な社会の中で、数多くの女流歌人たちがのびのびと人生を謳歌していたこと。

その平安な時代が音を立てて崩れ去ろうとしたとき、どんな気持ちで人々が時代を取り戻そう、時代を支えようと努力したのかということ。
それはまるで、神秘の扉を開けて冒険するような、たいへんな刺激に満ちたものでした。
―――――――――――――――――――――――――――――――
(戦国時代、百人一首の伝播がきっかけとなり)
積極的に天子様(天皇)を仰ぎ、その天皇のもとで日本をあらためて統一する。そのために働く、という選択を彼らにもたらしたのです。

戦国大名たちは、その中期までは、まるで文化性を失ったかのような状態でした。
けれど後期になりますと、ものすごく深い文化の香りが高くなり、そして関が原くらいの時代になると、女性たちも武将の妻として、たいへんな気丈さをみせる女性たちになっていきます。

日本が、大和人としての文化を取り戻したのです

そして一度、文化の香りを取り戻した日本は、そのまま一気に江戸270年の太平の世を築いています
日本は、変わったのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
荒れた世を 正す役割 百人歌       藤原定家
世を正す 百人一首 再評価        乱れた世の民
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
百人一首というのは、荒れた時代に「古き良き日本」を顧みさせてくれるものか。

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Posted by 残心 - 2015.05.29,Fri
長いがいいことが書かれているよう。
・身近に感じる江戸時代  (加瀬英明のコラム

Date : 2015/05/18 (Mon)

 今日の東京には、江戸の遺産が多く残っている。

 いまでも、路地に入ると家の前に花や、植木の鉢が置かれている。わが家も御多分に洩れず、植木を並べている。日本の原風景の1つだ。

 私は都心の麹町に住んでいるが、銀座まで30分ほどかけて歩くと、途中に屑籠が1つもないので、西洋人を当惑させている。

 アメリカや、ヨーロッパの都市なら、屑籠が30メートルおきぐらいに、置かれている。日本では芥(ごみ)を外で捨てずに持ち帰ったし、物を大切に使ったから、芥がほとんどなかった。

 幕末に日本を訪れた西洋人は、貧寒な村を通っても、人々が笑みを絶やさず、親切、丁重で純朴なことに、申し合わせたように感嘆している。道も家のなかも清潔で、身なりがこざっぱりしているのに目を見張った。
―――――――――――――――――――――――――――――――
 江戸時代は治安がきわめてよかった。江戸は百万都市だったといわれるが、人口がつねに百万人を越えていた

 江戸は当時の世界で、最大の都市だった。増減があったが、武士とその家族が50万人と、70万人あまりの町人が住んでいた。

 テレビ・ドラマや、講談によって知られているように、南北2つの町奉行所が町民を治めていた。南北に奉行所があったから、行政的にいえば、2つの市が存在していた。奉行は、市長に相当した。

 通称を南番所、北番所と呼ばれた奉行所には、332人の町方役人といわれた武士が働いていた。この数は江戸時代を通じて、変わらない。2人の奉行のもとに、管理職に相当する与力が50人いた。その下で、283人が働いていた。

 そのうえ、両奉行所の役人は月番制で、隔月交替して働いた。2つの奉行所には半数の166人しか、詰めていなかった

 そこで、江戸の町民人口を75万人として、166人の役人で足りたのだった。この他に、地方から商家に働きにきた人々や、出稼ぎや、訴訟などのために滞留していた者が多くいた。

 332人の役人のうち、64人が司法と警察業務を担当していた。このなかで、警察官に当たる奉行所付同心定廻(じょうまわ)りは、江戸時代を通じて両奉行所を合わせて、12人しかいなかった。定廻りは町方同心とも、町同心とも呼ばれ、「八丁堀の旦那」として知られた。自分の収入のなかから、それぞれ5人あまりの目明しというと、岡引(おかっぴ)きを抱えて私的に使用した。

 目明(めあか)しは御用聞とも呼ばれたが、同心の手先として、裏世界を内偵した。さらに岡引きが、それぞれ5人あまりの下引(したっぴき)を、自前で雇っていた。

 同心も隔月で勤務した。そこで岡引きと下引きを加えても、70人あまりの警官が、70万人以上の治安を維持していたのだった。

 これは、町民が高い自治能力をもち、公徳心がきわめて強かったことを、証している。日本人は世界で、もっとも道徳心が高かった

 今日の東京都には都民310人ごとに、警察官が1人いる。江戸では町民4700人ごとに、1人で足りた。江戸時代の日本人は、道徳性が高かったのだ。町民が礼節を重んじていたことが、社会に秩序を与えていた。
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 西洋人は家や部屋に鍵も錠もなく、誰でも侵入できるのに、金銭や物が盗まれることがけつしてない、母国では貧しい者が粗暴で、暗い表情をしているのに対して、日本では誰もが明るく、人々が口汚く罵りあうことがないことに、驚嘆した。

 アメリカの初代領事だったハリスに仕えたヒュースケンは、「この国ではどこにも悲惨なものを、見いだすことができない。人々の質実な習俗と、飾りけのなさを賛美したい」と、記している。

 日本の人口は江戸中期から幕末まで、ほぼ3千万人だった。鎖国が日本に固有の文化を創りだして円熟したが、食糧をはじめ自給自足することが可能だったために、鎖国を行うことができた。

 江戸時代の日本人は上から下まで浪費を嫌い、倹約を旨として生きた。公徳心が高く、内面を律する心の働きによるものだった。

 金持が高ぶらず、贅沢をみせびらかすことがなく、誰もが控え目で、貧乏人は卑下しなかった。江戸には貧乏人が存在したが、西洋や、中国、朝鮮にみられた惨めな貧困がなかった。

 江戸時代の日本の水緑土の景観は、すばらしかった。どこへ行っても、神社や小さな祠(ほこら)があった。人々の崇神の心が篤く、自然を汚すようなことがなかった。

 仏教と儒教が7世紀に大陸から伝来して、日本の文化に大きな影響を与えた。土着の信仰である神道と混淆したといわれるが、神道の心のうえに積み重ねられたにすぎなかった。
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 神道は心と身の回りを、清明に保つことを求める。

 江戸は当時の世界のどの都市よりも、飲料水に恵まれていた。

 家康が江戸を都市として建設するまでは、伝染病をもたらす蚊やボウフラが涌く湿地が、ひろがっていた。

 家康は江戸を本拠地として定めると、良質の飲料水を確保するために、小石川上水神田上水の造営を命じた。

 幕府には神田上水奉行や、玉川上水奉行などの水道奉行が置かれていたが、貴重な水質を守るために、水源に番人が詰める水番屋水衛所が設けられ、高札が建てられて、洗い物や水浴び、放尿や芥(ごみ)の投棄を、御法度として厳しく取り締まった

 江戸期に編纂された『慶長見聞録』に、「是(これ)薬のいづみなれや、五味百味を具足(註・十分に備わる)せる色にそみてよし、身にふれてよし、飯をかしひよし、酒茶によし(中略)濁水をのぞき去て、清水を万人にあたへ給ふ」と、述べられている。

 江戸の人口が増すと、今日の東京都羽村市にあった羽村の取水口から新宿御苑にあった四谷大木戸の水番屋まで、多摩川上流から43キロにわたって、石樋、瓦樋、木樋を使って、清水を引き込む地下水路を掘削した。

 これは壮大な計画だった。四谷大木戸の水番所から地下水道を通じて、それぞれの町内に設けられた上水井戸まで、届けられた。

 日本は物心ともに、ひたすら清明を求める文化だった。今日、東京の水道水が世界一だといわれるのも、日本の精神文化が創りだしたものだ。
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 明治が終わるころまでは、日本語のなかで「こころ」が、もっとも多く用いられた。

 日本語のなかには「心尽くし」「心立て」「心置き」「心配り」「心入る」「心有り」「心砕き」「心利(き)き」「心嬉しい」「心意気」「心合わせ」「心がけ」「心延(ば)え」「心回る」「心馳(ば)せ」「心根」「心残り」「心様(ざま)」をはじめとして、心がつくおびただしい数にのぼる言葉がある。

 『コンサイス英和辞書』で、heartをひくと、「ハートアタック」(心臓麻痺)、「ハートバーン」(胸焼け)をはじめ、両手で数えられるほどしか、心がつく言葉がない。

 およそ今日の日本文化の形は、江戸時代につくられたといってよい。私たちは江戸時代の恩恵を、大いにこうむっている。

 平和が幕藩体制のもとで続くなかで、何ごとについても、ことさら精神が重んじられるようになった。

 武士道という言葉が、江戸時代に生まれた。戦う武術が武道となって、精神面が強調されるようになった。

 人々が正座するようになったのも、江戸時代になってからのことだ。それまでは、茶の湯も胡坐(あぐら)をかいて行われた。

 女性の幅広い帯から、落語、俳句、歌舞伎、文楽、花火、寿司、天麩羅まで、江戸時代のものである。落語ははじめは軽口ばなしと呼ばれていたが、中期から落し咄(ばなし)と呼ばれた。

 落語は人情噺(にんじょうばな)とも、呼ばれた。江戸期の日本には、人情が微粒子のように、空気のなかに飛んでいた。ちなみに、西洋諸語には人情に当たる言葉がない。
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 同じころのパリや、ロンドン、ベルリンでは、糞尿は住居に面する路上に投棄されていた。中国や朝鮮も、同じことだった。日本では、糞尿は商品だった。汲取屋が汲取式便所から糞尿を買って農村まで運び、堆肥(たいひ)として売った。このために、街路が清潔に保たれた。

 汚穢屋(おわいや)は立派な職業で、同業組合をつくっていた
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 日本は庶民も、教育水準が高かった。全国に寺子屋が2万軒あまりあった。庶民の少年男女が読み書き、算盤、行儀、農業、漁労など地元の産業について学んだ。今日、当時の教科書であった往来物が、7千種以上残っている。

 寺子屋はすべて、地元の人々の手造りだった。幕府にも藩にも、教育を担当する役人が存在しなかった。私は、今日、文科省を廃止したら、日本の教育の質が向上するものと信じている

 この他に、おびただしい数の私塾が存在した。日本人は身分にかかわらず、向学心が旺盛だった。
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 幕府は社会秩序を維持するために、士農工商の四身分制をとったが、庶民は武家の株を買って武士になれたし、農工商の区分はなかったといってよい。

 私は伊能忠敬の玄孫(やしゃご)に当たるが、忠敬は農民に属していながら、酒をつくって売っていた。

 渋沢栄一は明治の“資本主義の父”といわれるが、今日の埼玉県の農家で、染物の藍(あい)を栽培して、藍玉をつくって売っていたから、農工商を兼ねていた。

 庶民の教養が、驚くほど高かった。江戸期の傑出した経済学者といえば、石田梅岩(1685~1744年)と、二宮尊徳(1787年~1856年)の2人だが、ともに庶民である。

 興味深いのは、同時代のヨーロッパを代表する経済学者で、『国富論』によって知られるアダム・スミス(1723年~1790年)は、グラスゴー大学の倫理学の教授だった。石田も、二宮も同じように、倫理を説いている。東西とも倫理と経済は、1つのものだった。
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 日本は身障者に、やさしい社会だった。

 勝海舟の曽祖父は農家の子で、全盲の按摩師だったが、金貸しをして小金を貯め、息子に最下級の武士の株を買った。幕府は身障者保護に手厚く、盲人だけに金貸しを営むことを許していた

 私は盲人福祉に40年近く携わってきたが、江戸時代は2人の世界的な盲人を生んだ。

 杉山和一(1610年~1694年)は、中国の太く長い鍼を、今日の日本の筒に入った細く短い鍼にかえた、管鍼法をつくった。

 和一は今日の和歌山の武家の子だったが、さまざまな苦難を乗り越えて、5代将軍綱吉の侍医となった。綱吉は和一に求められて、1680年から全国30ヶ所に、盲人に6年以上教える鍼按摩稽古所を開設した。

 ヨーロッパで最初の盲人学校が、フランスで1784年に開校した104年前に当たる。

 もう1人の塙保己一(はなわほきいち)(1746年~1821年)は、今日の埼玉県の農家に生まれ、幼少の時に失明した。人が音読したものを暗記して学び、江戸時代を代表する大学者となった。666冊にのぼる『群書類従』によって知られるが、保己一が取り組んだ『史料』の編纂は、いまでも東京大学史科編纂所が引き継いでいる。

 ヘレン・ケラーが昭和12年にはじめて来日した時に、東京・渋谷の温故会館にまっ先に駆けつけた。女史はここに置かれた保己一の机を、しばし感慨深げに撫でた。

 女史は幼い時から、母親から東洋の日本に塙保己一という、全盲の大学者がいたことを聞かされて、手本にして努力したのだった。
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 今年は日清戦争から、120年目に当たる。5千円札を使う時に、樋口一葉の肖像をよく見てほしい。本名をなつといった。

 なつは日本が日清戦争に勝った翌年の明治28(1895)年に、肺病を患って25歳で、赤貧のなかで死んだ。葬儀には家族と友人が12、3人集まっただけだった。

 なつは明治5(1872)年に、東京府の下級官吏を父として、府庁舎の長屋で生まれた。父は今日の山梨県の甲斐国(かいのくに)の農家の子だったが、当時は長男しか相続できなかったので、江戸に出た。

 なつは11歳で小学高等科を、首席で卒業した。当時の小学校は4年制だった。なつの最終学歴である。幼時から父に古典を教えられて、古典に親しんだ。

 父親は教養人だった。いったい、今日の日本で幼い子に古典を教える親が、いるだろうか

 なつが17歳になった時に、役所を辞めていた父が事業に失敗して、多額の借金を残して病死した。

 なつは母と妹をかかえて、針仕事や洗い張りによって、3人の生活を支えた。そのかたわら、死後、高く評価されるようになった作品を、世に送った。今日の日本で10代の娘が、家族を養うために、身を削って働くものだろうか。あのころは、日本人の覚悟が違った。

 開国してから、文明開化と呼ばれた西洋化の高波が、日本を容赦なく洗っていたが、江戸期の生きかたが、まだ人々を律していた。

 なつは克明な日記を遺したが、しばしば日本が直面した、内外の情況に触れている。

 病没する前年の日記に「安(やす)きになれておごりくる人(ひと)心(ごころ)の、あはれ外(と)つ国(くに)(註・西洋)の花やかなるをしたい、我が国振(くにぶり)のふるきを厭(いと)ひて、うかれうかるゝ仇(あだ)ごころは、流れゆく水の塵芥(ちりあくた)をのせて走るが如(ごと)く、とどまる處(ところ)をしらず。流れゆく我が国の末いかなるべきぞ」と、記した。

 日本が明治に入ってから、まだ30年もたっていなかったが、西洋を模倣することによって、日本人の心がすでに蝕まれるようになっていたのだろう。

 なつが憂いてから、123年たった。

 今日の日本は物の豊かさが満ちあふれているために、心が貧しくなった。人々が満たされることがない。

 そのために、共同体であるべき社会が、急速に壊れつつある。人々が欲望によって駆り立てられて、自分しか顧みないために、苛立ちやすい。

 このところ、日本では高速道路がひろがるごとに、人の心が狭くなった。スーパーやレストランが立派になるのにつれて、家庭の食卓が貧しくなった。機能的なマンションが建てられて、生活がいっそう快適になってゆくのにつれて、家族の解体が進み、隣人への親しみが失われるようになった。

 若者まで心が疲れて若々しさを失って、安易な癒しを求めている。

 欲しいものが何でも手に入るようになったというのに、この国から希望だけがなくなってしまった。

 人々はついこのあいだまで、人生が苦の連続であると、みなした。そこで、少しでも楽しいことがあれば、喜んだ。ところが、今日では多くの者が、人生が楽の連続でなければならないと思って、つねに不満を唱えて、すぐに挫折してしまう

 人生が楽の連続であるというのは、真実から遠い。だから精神がひ弱くなって、傷つきやすい。
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 私はインドに通った。デリーに、マハトマ・ガンジーが暗殺されるまで住んだ、簡素な石造りの家がある。

 ガンジーは、いつも裸足(はだし)だった。私はガンジー財団に案内されて訪れた時に、裸足になって、靴を手に持って構内を歩いた。ガンジーが歩いた大地に触れたかった。

 ガンジーは倫理を重んじて、自ら糸車で糸を紡いで、人々が質実な生活を送るべきことを説いた。

 ガンジーは道徳と、節制を説いたアジアの最後の指導者となった。

 その後のアジアは、鄧小平や、先ごろ亡くなったシンガポールのリ・クワンユーが代表したように、経済成長を最重要な課題とするようになった。

 経済が倫理から切り離されて、欲望の経済となった。邪欲の経済というべきだろうか。

 しばらく前に、漢字の会から私がもっとも好む漢字を、揮毫するように頼まれた。私は「貧」と書いた。漢字が生れた時に、貝は貨幣だった。小さな貝を分かち合うとは、素敵ではないか。「貪(むさぼる)」という漢字は、いま、金をみつめるという、高度成長を表わす字だ。   (若干省略あり)
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失った 強く清らな 大和心        江戸時代人
倫理なる 経済いまや 邪欲のみ    アダム・スミス
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   
良い日本の伝統・文化などの多くは江戸時代に定着したもの。
質素で、清潔で、治安が良く、勤勉だった。

外国から日本を守るために西洋文明を受け入れたが、その代償に日本の精神を失くしていった。
元々、経済学倫理学の範疇だった。
現在では、「欲望の経済」。

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Posted by 残心 - 2015.05.23,Sat
知らずに影響される世間の風潮。
フェミと変態オカマ化を煽るマスコミ ~ “男の娘”凌辱ものまで  (日本の面影)

同性愛者いわゆるLGBTが優秀だとか持ち上げ、グーグルやアップル、マイクロソフト、ヒューレット・パッカード、インテル、オラクル等をはじめとする世界の最先端とされる企業では、なぜか同性愛・同性婚や性同一性障害などへの差別反対をこぞって強く主張しています(くわしくはコチラ参照:2013.6.28 WIRED)。それに併せて、実際にゲイなどを幹部に登用したりもしてます。
尚、同じように同性愛差別に強く反対し、むしろ同性愛を推奨している企業、今の日本では電通やソフトバンクが代表されます

これはどういうことかというと、同性愛者が増えれば少子化にもつながるし、単にモラル破壊を進めてるということもありますが、もっと確信的な目的……それはゲイなど同性愛者というのは、かつての宦官たち(要するに去勢されたエリート)とまるで同じ役割を担ってるということです。
エリート層を牛耳るあっち側の勢力、実質上の支配者たる裏の巨大金融勢力にとって、子孫を残せない彼ら同性愛者というのは、会社の幹部に据えても血縁を残さないので非常に扱いやすいんですね。彼ら同性愛者たちは宦官と同じように未来永劫の子孫のためなんて考えておらず、今しかありません。どんなに権力を持っても、一代限りで終わり。とても効率のいい使い捨ての駒。
同性愛者重用は、“宦官”と同じ。つまり、そういうことなんです。
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そもそも同性愛や美少年は、革命や共和制の象徴であり、この種の連中には、そのDNAが受け継がれてきているというわけ。

この通り、古来から同性愛的なものというのは反王政(反体制・反権威)的なものの象徴として描かれることが多かったし、この種の絵や画家に対する論評とかでも、「当時の画家・芸術家の間では、(少年への)同性愛とかは正常なことで、それが知識人としてススンでる証しだった」と言わんばかりの、いい加減でコジつけ的な主張ばかりなされてることからも明らか。

言われてみると、オカマやオナベ、レズ、ゲイで「天皇陛下万歳!」と叫べる人がいるか、非常に疑わしく感じませんか? ましてや、こいつらが男系継承まで主張するなんて絶対ありえないと、イメージ的には感じてしまう。

同性愛者なんかが知的水準が高いだの、ススンでるだの笑わせるわ。ただの刹那的で未来に目を向けない快楽主義者、自堕落なエゴイストでしかないくせに。
―――――――――――――――――――――――――――――――
集英社、小学館、講談社の漫画大手三社を除くところは、もう完全にエロ系しか頼みの綱がなくなってる。しかも男女逆転の「大奥」は集英社ら一ツ橋系の白泉社からでした。
それと嘗て「少年チャンピオン」で一世を風靡した秋田書店も今はひどいね。「チャンピオンRED いちご」という年齢制限なく子供でも買える雑誌があって、それが青少年規制を加速させたとも言われてるそうで、完全にエロ漫画です。ただのエロでなく、近親相姦とかもあってかなりひどいらしい。 (「チャンピオンRED いちご」について)
―――――――――――――――――――――――――――――――
別にエロ文化を全否定するわけじゃありませんが、コミック系では、もうそれしかないって感じになってるので、日本の漫画・アニメ文化って、やっぱりもう終わってるんですね。
大手三社も後がなくて食いつなぐのに必死なだけで、『ワンピース』や『NARUTO』みたいのをダラダラやってるにすぎません。

まず文化とは、いつも栄えるものではないということをわかってる人が、ほとんどいません。ただの商売と文化の違いすらわかってない。   (抜粋)
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今流行る 海外称賛 過去のもの      近未来の日本人
現状を 維持するだけで 廃れてく     過去にすがる日本人
同性愛 流行ってくれれば 我が天下   特権階級一家
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「文化・伝統の破壊などをやって誰か得をするのか」と思うこともあるが、意図的にやっているフシも見られるのが恐ろしい。
日本の文化は実際のところ、存続の危機なのに誰も気づいていないのか。
日本のマンガも過去の栄光にすがって、いつまでも存続できないはず。

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Posted by 残心 - 2015.05.17,Sun
ちょっと前の話題だが、日本の司法への不信感はこの件でも高まった。
男女観・家庭破壊の行着く先 ~ 夫婦別姓で家族の安心と信頼は消滅  (日本の面影)

婚外子と婚内子の相続差への最高裁による違憲判決をマスコミが絶賛)

今回の判決理由とされる、「外国がそうなってるから日本もそうしなきゃ」って論理がまず、とにかくひどいです。
そして「相続」というのは本来、“家族”や血筋という概念を認めた上で成立しうるものであるわけですが、個人という一点からしか見ない左翼的な平等主義者であるのなら、そもそも自らの努力とは関係ない領域である親の財産を引き継ぐということ自体、おかしいですよね。
これを考えると、家族という単位に否定的な、“個人”を第一に重んじる左翼や共産主義者というのは、親からの相続なんてものは、すべて放棄すべきです。だって財産持ってる親も持たない親もいるのに、各々個人がそれぞれ全然違う財産を親から引き継いでるなんてこと自体が不平等だし、平等を主張しながら個々の親の財産相続を主張するのは矛盾してるわけで、長谷川女史はそこを指摘されてます。

“個人”ではなく“家族”という枠組みで人間をとらえ、その枠組みを大切にしてきた人だけが、同じ価値観を共有してきた親の財産を引き継げばいい。相続先に注文がある時は、相続させる本人が遺言で残しておけばいいだけのこと。

個人主義・平等主義の左翼や共産主義者は、他の人々を巻き込まずに、自分の仲間内だけで勝手に、すべての相続を放棄するようしてくださいね。そうすればあなたがたの仲間は皆、あなたがたの言う“平等”に、より近づけますよ。
―――――――――――――――――――――――――――――――
≪平等原理主義に陥るなかれ≫

そしてそこに、いささか唐突に結論が述べられます--「上記制度の下で父母が婚姻関係になかったという、子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、その権利を保障すべきであるという考えが確立してきている」。だからこの規定は違憲だというのです。
しかしこの結論はおかしい。まず、さきほども見た通り、これは親を同じくする嫡出子と非嫡出子の利害を調整した規定であって、自ら選択の余地のない事情によって不利益をこうむっているのは嫡出子も同様なのです。その一方だけの不利益を解消したら他方はどうなるか、そのことが全く忘れ去られています。またそれ以前に、そもそも人間を「個人」としてとらえたとき、(自らの労働によるのではない)親の財産を相続するのが、はたして当然の権利と言えるのでしょうか? その原理的矛盾にも気付いていない。

ここには、国連のふり回す平等原理主義、「個人」至上主義の前に思考停止に陥った日本の司法の姿を見る思いがします。「法の番人」には本来の「法の賢慮」を発揮していただきたいものです。
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民主主義の完全否定まではしませんが、“民主主義狂信”、これだって実は左翼なんです。
“共産主義”は労働者が主役、“民主主義”だって民衆が主役、という根幹イデオロギーに立っていて、ほとんどの人がわかっていませんが、いわば弱者や愚民が主役に成り得ることで共通しており(衆愚政治)、この二つは非常に似通っているんです。悪平等や拝金主義にも直結してます。
王室(皇室)の存在や貴族・階級制を認めるイデオロギーとは、共産主義も民主主義も共に、真っ向から相対立するということです。
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奴ら左翼・フェミニストは個人の利益、快楽だけを追求
刹那的な性の自由、父親のいない子育てを、自然の摂理に反して推奨
売春婦でもないのに、結婚前に何十人もの男と遊んでるような女が、急に家庭でまともになどやってけるはずない。
その弊害で、家族への安心感すら得られない殺伐とした社会になってしまった。

こんな環境で育つ子供たちはモロにダメージを受け、正常な家族観や愛情を持てないまま大人になる。
この負の連鎖を断ち切らない限り、日本社会の不安定は連綿と続く。

貞淑で家庭的な可愛い女性、強くて偉い男の復活なくして、日本の家庭の再生はありえない!

従来の日本の雇用形態・家族観を破壊した男女雇用機会均等法に続いて、日本を根幹から破壊させる危険性を帯びてるのが夫婦別姓

個人主義の左巻きとフェミニストは、家族解体・家制度の破壊にだけは異常に熱心。

夫婦別姓が子供に与える影響は深刻。
ただでさえ離婚急増してるのに、それにさらに拍車をかけて離婚を激増させる。
子供の気持や将来なんて、まったく考えていない。

今の日本で、子供に不安を与える夫婦別姓に賛成する子供なんて一人もいない。
生まれてくる子供は、お父さん、お母さんが同じ姓の安定感ある家を選べない。
日本の伝統・文化を根幹から破壊する夫婦別姓。

家族は本来、社会の最小単位。
ことの重大性もわからず、安直に夫婦別姓を選択した家の子供は不幸に巻き込まれる。
健全な家族のイメージすら持たない日本人が急増、すぐにそれは日本人全体への影響を及ぼし、悲劇の連鎖を引き起こす。

男女雇用均等法がおよそ20年ほど前。
この頃から日本では、家族への安心感が失われ、家庭内での疎外感、不信感、喪失感がはびこりだした。
急激に離婚が増え、日本全体の社会・家庭がおかしくなった。
株価も20年前の1990年以降、欧米は上がり続けたのに、日本だけが下がり続けた。1990年以後のチャートは見事な右肩下がりである。

昭和の頃は、日本の離婚率なんて1割にも満たなかったが、これ以後の急増で、今では3割に上る。
夫婦別姓導入なら離婚は半数を超え、共産圏だった世界一離婚の多い旧ソ連地域の離婚率と同じになるだろう
日本人は、潰滅的な精神的ダメージを受け続け、希望のない無気力感が蔓延していくこととなる。

夫婦別姓の影響を甘く見てる人が多いが、夫婦別姓の導入は、家庭や未来から明るさを奪い去り、男女雇用機会均等法の悪法に匹敵するほど、日本を根幹から破壊することとなる。

いいがげん真の保守に目覚めないと、日本は溶けてなくなるぞ。   (抜粋)
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夫婦別姓 家族団らん 拒否します     家庭を憎む会
壊れてく 家庭見るのが 喜びぞ        フェミ左翼人
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普段、家庭を忌み嫌う左翼が、「親の財産の相続」を利用して家庭崩壊を画策・・?
左翼って破壊が目的のようなので、ある意味羨ましいほど楽なスタンスでは?

男女雇用均等法の成立以降、数字で見ると明らかに離婚増など日本の家庭環境は悪化。
夫婦別姓を導入したならさらにひどくなるのか。

それにしても長谷川三千子先生の話は興味深い。
特に戦後の日本は、憲法・教育・政治・経済などあらゆる分野において歪んだまま放置状態か。

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Posted by 残心 - 2015.05.12,Tue
現代日本は教育もマスコミもこぞってフェミ政策に覆われているが・・・。
ゴルフクラブで30分近く殴りつけて、わが子を殺してしまう母親  (日本の面影)

そもそも、激情にまかせてやりたい放題やってしまうのは、一般には女の方であって、だからこそ、女は暴力的にならず、おしとやかに男を立て、貞操を守り、我を抑えて何事にも耐えうることの大切さを小さい頃から教え込みながら育てなきゃいけないわけ。そういう躾けがされてないと・・・

事故的なものならともかく、激情にまかせてわが子を殺してしまう・・・もちろんこんな事件まで引き起こすのは少数派であろうけど、父親もおらず他に見てる人もいない母子家庭は、やっぱりハイリスク。シングルママがどっかの男とくっついてその男から子供が虐待受けたりなんてのも、それは女のそれまでの生き様が反映されてるだけであって、自業自得にすぎません。
芸能人など著名人の離婚を喧伝し、やたらシングルマザーや母性の絶対性・優位性ばかり賛美するマスゴミにたぶらかされてはいけません。安易で軽率な行動はわが子と自らを追い詰めることになります。   (抜粋)
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美しい 女子はしつけが あってこそ     戦前までの日本
将来は 母のしつけが 決めるのに      壊れた女性倫理
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なるほど、日本が女子教育に熱心だったのは、女は放っておくと激情まかせでヤリタイ放題になるのが分かっていたからなのか。
今の日本では女は好き放題やっているから、今後の日本はどんでもないことになるかも。
それはきっと女にとっても不幸なことでは?

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Posted by 残心 - 2015.05.08,Fri
フェミ左翼の恐ろしさを早くから見抜いていた石森章太郎。
高慢な女がのさばり、男がバーチャルに嵌った世界の成れの果て<br>~ 『セクサドール』 石森章太郎の世界③  (日本の面影)

ボーカロイドはセクソロイドへの試金石
究極のバーチャル セクソロイドが普及した未来


中に出てくる話、問題提起されてるのは、今の日本社会そのまま。
フェミニズムの行く末、女が強くなっての未来、父なし児や児童遺棄が増えた現代が予言され、そしてその先のセクソロイドが普及していった未来、きっとこの通りになっていくでしょう。
初音ミクのようなボーカロイドはセクソロイドの試金石にすぎず、私がボーカロイドや男のバーチャル・オタク化に対する警告を発してるのには、こういう論拠があるから。

驚くべきは、当時からシングルマザーや未婚の母をマスコミが煽って工作活動やってることまで、この漫画で石森氏が見抜いていること。要するにマスコミのせいでこうなると、石森氏はとっくの昔から予見していたんです。
レインボーマンの川内氏も恐ろしいほどの情報強者であったわけだが、同じように石森氏も卓越した先見の明を持っていた。

さらに、当時の全共闘などの学生運動家が茶番のようにコキおろされてるシーンがあるのですが、やがては彼らが漫画に寄生し、社会を動かしていくことまで見据えている。漫画やアニメが社会を支配していく存在になりうることまで予期されてるんです。

ちなみに主人公のライバルで、アパートの隣に住む男がいて、そいつが人格破綻してからは同性愛に走り、後に獣姦に嵌っていきます。同性愛の次は獣姦が来る流れ、どう考えても、やっぱり決まってるんですね。

マスコミの洗脳工作、学生運動家の脅威、同性愛から獣姦、女は高慢で強く厚かましくなるが、男はバーチャル・セックスに嵌って抜け出せなくなりフヌケ化で精子もなくなる・・・こんな世界を描いた石森氏は正に天才だと思います。
しかし、これらは全部、私がここで警告し続けていたことと全く同じですよね?

さらに当時の偏狭なフェミニストの理論である、「男は女より遅れていて劣り、男は女のツケタシの付属物にすぎない・・・」云々などの話まで引用され、女こそが人類そのものであり、男は女の変種にすぎないとか、奴ら狂ったフェミニストたちのイデオロギー論拠やその由来までピンと来るようになっていて、当時の時代背景までとってもわかりやすい。
奴らフェミニストが言う、どっちの方が古いから偉いとか、それじゃあ人間よりアメーバのような単細胞生物の方がずっと古くから存在してるから偉いとか言ってるに等しい愚論なんですけどね。

この『セクサドール』は今の日本に見事につながってるし、この先の未来にまでピッタリつながっていくことでしょう。
未来から過去へロボットが送られるという、そういうタイムマシンの話だけはヌキにして、今まで当たってるんだから、これから先も外れることはないでしょう。きっとセクソロイドの実用化も間近。  (抜粋)
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セクソロイド バーチャルばかりで 文化滅す   石森章太郎
メス強し 男逃げ出し 人滅ぶ          22世紀人
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1970年代初めにもう今の状況を見通していたのか。
女が強くなり、男が弱くなり、同性愛が増えて、最後は獣姦だとさ。
伝統と文化、誇りある人生とは真逆の話。

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Posted by 残心 - 2015.04.23,Thu
なんと「部落差別につながるからと、廃止が進められる“お清めの塩”」とのこと。
仏教も乗っ取る、反日・フェミ・同和・在日朝鮮人勢力の猛威 (日本の面影)

『奴らはこうやって、昔からの伝統的価値観、習わしを、差別的で非科学的だなどと批判をなし、日本の精神的儀礼をとめどなく破壊していってるわけです。』
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『本来、宗教というのは時代の流れに左右されない確固たる精神基盤を築くためのものであるはずなのに、キチガイ フェミや左翼の推し進めた、日本解体政策の最たるものである男女雇用機会均等法男女共同参画法がやたら持ち上げられてます。“セクハラ”なんて、人々の対立を煽って、日本分断工作を推し進める国際フェミ左翼勢力に押し付けられた造語、なんでこんな、本来なら仏教教義とは何の関係もないようなことを、デタラメなコジツケ解釈なして、公式見解として認める必要があるのでしょう。今の仏教界の僧侶たちの精神性の底の浅さ、幼稚で近視眼的な主張を繰り広げる暴力的な勢力に容易に取り込まれてしまう危うさを如実に示しています。』
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『このように浄土宗のサイトは、どこの左翼・反日団体? どこの同和・在日朝鮮人団体のサイトかと思えるような、ア然とする内容で満ちてます。』
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『浄土宗や禅宗や日蓮宗とかも、きっとどこも同じでひどいことになってるのではないかという気がします。浄土真宗はさらにひどく、同和・部落団体の主張に同調して、清めの塩廃止に早くから熱心に取り組んでたとか。』
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差別とは なんでも壊す 理由なり      同和関係者
無くなるよ いと古き良き 風習が       歴史研究者
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「清めの塩」すらも文化破壊が行われているようだ。
なんでも部落差別につながるという理由らしい。
仏教ですらもう宗派を問わず惨憺たる状況のよう。

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