自由主義と共産主義の間、グローバリズムとナショナリズムの間の今は何処? <外道たちの最中で> 切ない事情
Posted by 残心 - 2015.11.09,Mon
「日本には漢字渡来まで文字がなかった」というのは、どう考えても不自然だと思っていたが、こう考えるとツジツマが合うのでは?

日本の 結と守りに 漢字利す 統一と防衛に利用
よそ行きの 共通言語 漢字とす 漢字を利用しただけ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
やっぱり漢字渡来まで文字がない、という解釈は無理だと思う。
むしろ、「漢字を文字統一に利用した」という方がしっくり来る。
ホツマ文字も様々な種類の一つだったのか?
・神代文字の時代 (ねずさんのひとりごと)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
《 勝手に要約 》
古事記の序文には、冒頭に書きましたように、「諸家が史書を持っていた」という記述があります。
それらはいったいどのような文字で書かれたものだったのでしょうか。
その答えが実は「神代文字」です。
神代文字というのは、実に様々な種類があります。
みなさまよくご存知のホツマ文字、カタカムナ文字、アヒル(阿比留)文字の他にも、
上津文字、化美津文字、伊予文字、出雲石窟文字、トヨノ文字、山窩文字、豊国文字、春日文字、アソヤマ文字、越文字、アジチ文字、守恒文字、斎部(インべ)文字、惟足(コレタリ)文字、筑紫文字、重定石窟文字、ヤソヨ文字、阿奈伊知文字、マニナ文字、六行成文字、肥人文字、イスキリス文字 、タネマキ文字、種子文字、アイヌ文字、対馬文字、阿比留草文字、日文草書、薩人文字、阿波文字、天狗文字等々、名の知られた文字だけで34種類もあります。
探せば他にももっとたくさん出てくることでしょう。
―――――――――――――――――――――――――――――――
日本は、縄文時代から続く、とてつもなく古い歴史を持った国です、
どのくらい古いかというと、縄文時代のはじまりが今から約2万年前。
弥生時代になるのが約3千年前です。
つまり、縄文時代だけで、1万7千年も続いているのです。
もっというなら日本では、
11万年前には、石器が使われ
3万年前には、加工した石器(磨製石器)が使われ、
1万6500年前には、世界最古の土器がつくられ、
1万3000年前には、人の形をした土偶がつくられ、
1万2500年前には、漆が栽培され、使われていたのです。
漢字渡来とされる西暦552年から今年(現代)まで、まだ、たったの1463年です。
文科省指導による歴史教科書では、日本の近代を明治維新以降、現代を戦後と区分していますが、明治維新から現代まで、たったの150年です。
万年の単位にまでなる日本の歴史からみたら、明治維新はつい昨日のことでしかないし、1500年前もわずか10日前のことでしかないのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――
この時代、地方ごとに異なる文字が使われていた一方で、漢字は外国語として日本全国に共通に普及していました。
だから共通語として、外国語である漢字を使って、全国各地の神代文字で書かれた史書を統一したのだと考えるのは、ごく自然ななりゆきです。
このことがわかると、古事記と同時期に編纂された日本書紀が、なぜ綺麗な漢文で書かれたのかも説明がつきます。
日本書紀が美しい漢文で書かれ、これが子供達の教科書になれば、子供達は自国の歴史や道徳を学べるだけでなく、外国語である漢文を、普通に読み書きできるようになります。
日本に攻め込もうとする唐の人々には、日本語はわかりません。
ところが日本人は、唐の国の文書を誰もが読み書きできるのです。
これは戦略上、国防上、ものすごく有利な国家インフラです。
日本の 結と守りに 漢字利す 統一と防衛に利用
よそ行きの 共通言語 漢字とす 漢字を利用しただけ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
やっぱり漢字渡来まで文字がない、という解釈は無理だと思う。
むしろ、「漢字を文字統一に利用した」という方がしっくり来る。
ホツマ文字も様々な種類の一つだったのか?
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Posted by 残心 - 2015.11.06,Fri
こういうのを虚報、捏造というのかなぁ・・。
良いつもり 挙句の果ては 混乱へ 浅はかな善意
利用する 目的のため うそでさえ 手段選ばず
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
マスコミ、政治家なども、多かれ少なかれこういうことをやっているものと思います。
ムード、雰囲気などで扇動されやすい人々を利用して、自分たちの思う方向へ持って行こうとする。
せめて始まりは「世の中をよくするために」であってほしい。
・【佐藤健志】正義感と自己欺瞞 (三橋貴明の「新」日本経済新聞)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
《 勝手に要約 》
人間とは厄介なもので、正義感やら使命感に駆られると、とかく自己陶酔に陥りやすくなります。
〈世の中を良くするために立ち上がるんだ!〉と思っていたはずだったのが、いつの間にか、〈世の中を良くするために立ち上がっている自分(たち)は、なんて素晴らしいんだ!〉にすり替わっている次第。
すると、不可避的にエゴが入りこむ。
〈世の中を良くするために立ち上がっている自分(たち)は、とても素晴らしい存在なのだから、広く注目を集めて当然のはずだ!〉
という話になるわけです。
この論理的帰結はお分かりですね。
そうです。
〈世の中を良くするために活動しているつもりでいながら、じつは注目を集めたいがために活動している〉状態にいたるのです。
ここまで来ると、自己陶酔を通り越して、自己欺瞞の域に達していると言わねばなりません。
そして正義感や使命感が自己欺瞞に陥ると、いろいろ困ったことが起きる。
とくに問題なのは、〈世の中が本当に良くなったら、「世の中を良くするために立ち上がった人々」は用済みになる〉という厳然たる事実です。
世の中を良くすることを本当にめざしているのであれば、不満を抱くいわれはないはず。
「自分たちの活動が不要になるくらい世の中が良くなった、めでたしめでたし」となるでしょう。
しかし〈世の中を良くしようとしているつもりで、じつは自分たちに注目を集めたがっている人々〉にとっては、これは由々しき問題。
裏を返せばそういう人々は、うわべの主張とは逆に、〈世の中が悪いままでありつづけること〉、さらには〈世の中がもっと悪くなること〉を、ひそかに望みはじめるのです。
むろん、この点を自覚することはないでしょうが、それこそ自己欺瞞の自己欺瞞たるゆえん。
福田恆存さんなど、1950年代の時点で〈日本の平和運動は、戦争の危機が高まると喜ぶ気配がある〉という旨を指摘していました。
なぜか?
もちろん、平和運動への注目も高まるからです。
〈自分たちが相手にされなくても、戦争の危機など起こらないほうがいい〉とはならないのですよ。
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SEALDs、デモでの「臓器売買」発言を撤回、謝罪 「事実確認をしていなかった」
安全保障関連法案に反対する学生団体「SEALDs(シールズ)」の公式ツイッターアカウントが2015年10月21日、デモの中で出た「(日本では)子どもの学費のために裏で自分の内臓を売り、生活をくいつなぐ母親がいます」との発言を撤回、謝罪した。
発言は、東京・渋谷で10月18日に開かれたデモで飛び出した。同団体の男性メンバーが、日本の貧困問題を説明する中、事例として挙げた。しかし同日、同団体公式アカウントが発言を書き起こしてツイートすると、「そんな事実は無い」「本当にあるなら犯罪だ」といった批判が相次いで寄せられた。
21日、団体公式アカウントは発言を事実誤認と認め、「当人は、あるシンポジウムで出た話を勘違いしてしまい、事実確認をせずに発言してしまった」と明かした。同時に、その発言を書き起こしたツイートも削除された。
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シンポジウムで出た話を勘違いしてしまったというのも、分かったような分からないような弁明です。
元の話はどういうものだったのか?
それをどう勘違いしたのか?
こう言っては何ですが、あまり説得力がありません。
とはいえ、これについては脇に置きます。
問題はくだんの男性メンバーがなぜ、そんな勘違いをしでかしたか。
事実確認をしないまま、デモにおけるスピーチで持ち出したのですから、要するに「飛びついた」わけですよね。
今までの話を踏まえれば、理由は明らかでしょう。
このメンバーは、「子供の学費のために自分の臓器を売る母親」に存在してほしかったのに違いない。
なぜか?
そんな事例があるということは、現政権がいかに悪いかの証拠であり、政権を倒そうと活動している自分たちがいかに素晴らしいかの証明となるからです!
論より証拠、「臓器売買」発言の前後はこうなっていました。
安倍首相は日本を〈美しい国〉、〈すべての女性が輝く社会〉、〈一億総活躍社会〉にしたいそうです。しかし現状はどうでしょうか。この国には、進学を諦めキャバクラで働き家族を養わなければならない十代の子がいます。
この国には、子どもの学費のために裏で自分の内臓を売り、生活をくいつなぐ母親がいます。この国には、何度も生活保護を申請したが拒否され、食べるものもなくやせ細り、命を失った女性がいます。この国には、ひとりぼっちで、誰にも看取られることなく、冬の寒空の下、路上で命を落としていく人々がいます。
そしてそんな彼らに対して、〈今まで何してたんだ?〉〈努力が足りないんじゃないか?〉と切り捨てる、それが今の日本の政府です。
(明らかな誤記を修正、および表記を一部変更)
貧困の問題が、深刻なものとなっているのは否定しません。
けれども無視できないのは、上記の論法にしたがうかぎり、現在の政権のもとでこれらの人々が救われたりしたら、SEALDs(ないし、少なくともこの男性メンバー)にとっては不都合なこと。
だってそうでしょう。
その場合、「美しい国」だろうが「すべての女性が輝く社会」だろうが、はたまた「一億総活躍社会」だろうが、大いに結構ということになりますからね。
弱者を切り捨てる政府の姿勢を批判しつつ、そういう自分も、弱者が悲惨な末路をたどることにひそかなメリットを見出している。
これが自己欺瞞でなくて何でしょうか。
そして自己欺瞞とは、自分で自分を騙すこと。
だからこそ事実とウソの区別がつけられなくなり、「子供の学費のために自分の臓器を売る母親」の話に飛びついたりするのですよ!
良いつもり 挙句の果ては 混乱へ 浅はかな善意
利用する 目的のため うそでさえ 手段選ばず
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マスコミ、政治家なども、多かれ少なかれこういうことをやっているものと思います。
ムード、雰囲気などで扇動されやすい人々を利用して、自分たちの思う方向へ持って行こうとする。
せめて始まりは「世の中をよくするために」であってほしい。
Posted by 残心 - 2015.11.04,Wed
これじゃあ庶民には何の恩恵もないじゃないですか・・! (7分後半から)
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国の資産 庶民に回さず 海外へ 誰のサシガネか
吹き溜まる お金の行き場は 海外へ 庶民の需要は皆無
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
近年日本で行われた金融緩和だの増税のお金は、ほとんど「海外投資および企業の内部留保」に消えているそうだ。
国民の資産が国民をスルーして、海外と企業に回っている。
本当か? そのままでいいのか?
日本は国民の需要不足なので、財政政策(公共投資など)が必要だろうけど、公共投資なんて悪者扱いだから無理なのかなぁ・・・。
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国の資産 庶民に回さず 海外へ 誰のサシガネか
吹き溜まる お金の行き場は 海外へ 庶民の需要は皆無
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近年日本で行われた金融緩和だの増税のお金は、ほとんど「海外投資および企業の内部留保」に消えているそうだ。
国民の資産が国民をスルーして、海外と企業に回っている。
本当か? そのままでいいのか?
日本は国民の需要不足なので、財政政策(公共投資など)が必要だろうけど、公共投資なんて悪者扱いだから無理なのかなぁ・・・。
Posted by 残心 - 2015.11.02,Mon
Posted by 残心 - 2015.10.30,Fri
日本の社会も、気が付けば十分グローバルな何処にでもある国になっているような・・・。
乗せられて つながり壊し 改革し みんな裸の個人へ
クールなり 冷たい世の中 グローバル 温かみも豊かさも消え
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
共同体を解体し、改革を推し進めて、巨大グローバル企業の思う壺。
もはや後戻りはできない。
実はかなりの正念場。いや、手遅れか?
・【三橋貴明】裸の個人 (三橋貴明の「新」日本経済新聞)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
《 勝手に要約 》
国民経済とは、日本の場合は、
「国境を意識し、日本語を話し、日本国内で所得を稼ぎ、日本国という共同体に属して生きていく国民が豊かになる経済」
になります。国民経済の対語になるグローバリズムは、
「国境を意識せず、グローバル言語(英語)を話し、利益を最も稼ぎやすい国で所得もしくは資本利益を稼ぎ、共同体に属さず生きていくグローバリストを富ます経済」
でございます。
グローバリストは、何しろ国境にこだわっていませんので、「利益最大化」が可能な国や地域に好き勝手に資本を移していきます。さらに、投資をした際には、投資利益率の最大化を求め、その国の国民の豊かさや福祉、幸福を無視し、政府に制度を変えさせ(規制緩和)、自己利益を大きくしようとするわけです。
特に、中華人民共和国のような共産独裁国は最高です。何しろ、グローバリストにとって最も邪魔な「民主主義」がないのです。
もっとも、民主主義の国であっても、それなりにやりようがあります。アメリカでは、ロビイストを駆使し、日本では産業競争力会議や規制改革会議などの「諮問機関」を通じ、民主主義を飛び越えて「自己利益を最大化する政策」を実現させてしまえばいいのです。
民主主義は、確かに一人一票です。まともに民主主義の機能が働けば、グローバリストの利益に偏重した政策は、少なくとも民主主義国では進めにくくなります。
とはいえ、そんなことはグローバリストは百も承知なので、民主主義を「無視」あるいは「活用」し、自己利益最大化のための政策を実現しようとします。
最近、気が付いたのですが、デフレで国民が貧困化し、ルサンチマンが貯まっていく社会は、共同体が壊されていきます。結果的に、グローバリストが望む「改革」を、大衆が自ら求め始めます。(抜本的な改革が必要だ!とか)
共同体から切り離された「大衆」は、裸の個人です。何の「権益」もなく、何にも所属せず、ただ、個人として存在します。それでも、民主主義における一票を持っているのです。
小泉政権以降、日本では「共同体に属した庶民」が選んだ政治家が「族議員」として叩かれていきました。とはいえ、共同体なり組織なりが「自分たちの代表」を選挙で選ぶのは、民主主義の基本のはずです。
ところが、マスコミを通じて我々日本国民は「何らかの【既得権益】に基づく政治はダメだ。まっさらな、何の共同体にも、組織にも属していない個人の票で政治家を選ばなければならない」という、おかしな発想に染まっていったのです。
何らかの組織、政治団体や【既得権益】とは無関係な「裸の個人」の票で政治家が選ばれる民主主義こそが、善である。特定の組織や団体の票で政治家が選ばれるのは、おかしい、と。
無邪気な裸の個人は、自分が「共同体の一員」であることを喪失し、不幸になっているにも関わらず、共同体の破壊を叫び続けました。結果、実際に様々な共同体が壊され、国民は一人、また一人と裸の個人と化していきました。
よくよく考えてみると、共同体に属さず、他者と価値観を共有しない「裸の個人」は、「あれ」にそっくりです。
「あれ」とは、経済合理性以外の価値観は持たず、経済の基盤となっている仮想の人間、すなわち「経済人」です。
乗せられて つながり壊し 改革し みんな裸の個人へ
クールなり 冷たい世の中 グローバル 温かみも豊かさも消え
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
共同体を解体し、改革を推し進めて、巨大グローバル企業の思う壺。
もはや後戻りはできない。
実はかなりの正念場。いや、手遅れか?
Posted by 残心 - 2015.10.28,Wed
楽だからクセになるのかも。
困ったら それは何でも 人のせい いつでも被害者が得
人権だ 差別だと言い 世を乱す 混乱が目的の左翼
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
困ったもんです。
・「母はハリウッドに殺された!」 ~ 何でも周りのせいの左翼脳とは (日本の面影)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
《 勝手に要約 》
ここに一つ左翼志向的な発想を露呈させたような言葉がある。
映画『オズの魔法使い』(1939)で若くして大スターとなったジュディ・ガーランドは、晩年ドラッグや男、セックスに溺れ、40代の若さで逝ってしまった。
大スター女優の最後は、40代とは思えぬ老婆のような姿形だったという。
そしてジュディの娘であるライザ・ミネリが当時、放った言葉が(ジュディは既に夫のヴィンセント・ミネリと離婚していた)
「母はハリウッドに殺された」
である。 当時、この言葉は話題となったようだが・・・
言葉としては、一見カッコいいようだが、私にはこの言葉こそ、左翼と女の本質を表す言葉に思えてならない。
日本でドラッグやセックスに溺れて死んだ者に対し、
「彼(彼女)は東京に殺された」
と言うような男がはたしているだろうか。
岡村靖幸や清水健太郎らがドラッグに手を出したのは、東京のせいなのか。
間違いなく、本人の責任、問題でしかない。
それを「東京のせいだ」とか言うバカな男など一人もいないと思う。
しかし、左翼の理屈からすると、それもすべて周りのせい、なのである。
そしてこの、すべて周りのせいにしがちな左翼の発想法は、女性的な思考方法そのもの。
離婚会見で、決まって男から出てくる言葉が、「すべてボクの責任です」
しかし、「すべて私の責任です」という女は見たことがない。
「社会が悪い、社会のせい、社会を変えろ!」と言う、
左翼の言葉や志向性とは、女性的な発想法に完全に共通しているのである。
売国左翼 民主党がこれだけ力を持ったのは、日本人全体がヒステリックな女性化傾向が強まってしまったから。
困ったら それは何でも 人のせい いつでも被害者が得
人権だ 差別だと言い 世を乱す 混乱が目的の左翼
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
困ったもんです。
Posted by 残心 - 2015.10.26,Mon
これはひどくないか・・・・・・???
こんなことになっているとは・・!!!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
低俗に 合わせていると 進歩なく わざわざレベルを下げる日本
進歩する 芽さえ摘むこと 虚偽歴史 一部の利益のため捏造
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日本の古代というのは、古墳時代から奈良時代ぐらいまで、と思いきや。
今の教科書では、日本の古代というのは、飛鳥時代から平安時代までだそうである。
飛鳥以前は、古代以前のもっと原始的な時代だそうな。
そして平安時代というのは古代らしいが、どう考えても古代ではないのでは・・???
「近隣諸国条項」とやらで中韓の歴史認識に合わせないといけないらしい。
それがウソでも・・!??
こういうのこそ、新聞やテレビは伝えるべきだが、奴らはやりません。
こんなことになっているとは・・!!!
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低俗に 合わせていると 進歩なく わざわざレベルを下げる日本
進歩する 芽さえ摘むこと 虚偽歴史 一部の利益のため捏造
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日本の古代というのは、古墳時代から奈良時代ぐらいまで、と思いきや。
今の教科書では、日本の古代というのは、飛鳥時代から平安時代までだそうである。
飛鳥以前は、古代以前のもっと原始的な時代だそうな。
そして平安時代というのは古代らしいが、どう考えても古代ではないのでは・・???
「近隣諸国条項」とやらで中韓の歴史認識に合わせないといけないらしい。
それがウソでも・・!??
こういうのこそ、新聞やテレビは伝えるべきだが、奴らはやりません。
Posted by 残心 - 2015.10.23,Fri
イノベーションと言うと、良いイメージしか持ってないようだが・・・。
つぎ込んで 上手くいっても 一部のもうけ 税金を私物化
気付かない イノベーションの 負の側面 良いことのみ意識
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
勝手に良い面だけしか考えていなかったようである。
イノベーションの「負の側面」、そして「成果の分配」のこと。
少しも考えてなかったような・・・。
・【柴山桂太】イノベーションの陰に政府あり (三橋貴明の「新」日本経済新聞)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
《 勝手に要約 》
イノベーションは新商品の出現だけを意味しません。この言葉を最初に経済学に導入した(とされる)シュンペーターは、イノベーションには新商品の他にも、新販路、新生産方法、新組織、新原料など全部で五つのタイプがあるとしています。新しい市場を開拓したり、新しい生産方法を導入したり、企業組織の編成を変えたりと、他の事業者(企業)が行っていない新機軸を導入して利潤を上げる行為はすべてイノベーションです。
シュンペーターがこの概念を導入したのは、経済発展のメカニズムを説明するためでした。しかし、この人は皮肉屋ですから、手放しにイノベーションを賞賛したりはしていません。イノベーションのおかげで巨富を手にする人が出る一方で、失敗者や旧産業の従事者には厳しい現実がやってきます。新商品が出て生活が便利になるという面がある一方で、社会秩序を混乱させる面も確実にあります。新商品が犯罪に使われることもありますし、反社会勢力だって次々にイノベーションをやります(危険薬物の発明とか、販路の拡大とか)から、それによって物理的な被害を受ける人も出てきます。
つまり、イノベーションは人々を幸福にする部分がある一方で、不幸にする部分も少なからずあるという、実に両義的な現象なのです。それでも資本主義社会はイノベーションを続けざるをえない。そうしなければシステムが止まってしまうからです。シュンペーターがイノベーションの概念を用いて明らかにしようとしたのは、資本主義社会のそうした「宿命」とでもいうべき姿だったと、私は理解しています。
―――――――――――――――――――――――――――――――
著者マッツカートが書いた本(”The Entreprenerial State”)の邦訳が『企業家としての国家』という題で出ました。
この本は、特に新商品・新技術開発としてのイノベーションが、政府の産業政策によって生み出されてきたという事実を、豊富な事例で説明したものです。民間が手を出さないような事業に、政府が率先してリスクをとって投資をする。その成果を民間が利用することで、世に言う「イノベーティブ」な新商品が次々と生み出されていくメカニズムが、本書を読むとよくわかります。
一番わかりやすい事例がiPhoneです。アップル社の大成功で、スティーブ・ジョブスの偉大さはことあるごとに語られていますが、iPhoneに使われている技術のほぼすべてが、元は政府投資の産物でした。「アップル社の成功の大部分は政府が支援し、助成金を出して行った研究に基づく多くの技術に依存しているという事実は多くの場合、見過ごされている」というわけです。
問題は、こうした基礎技術が政府投資(すなわち税金を用いて行われた投資)の産物であるにもかかわらず、その見返りを政府が受け取っていないということ。アップル社が莫大な利益を上げたのは確かですが、「アップル社に使われている技術開発に投資した(政府)資金のいくらかでも回収できたかとなると疑問が残る。」リスクをとって政府も投資しているにもかかわらず、その対価を十分に受け取ることができない。ここに、著者が指摘する産業政策の難しさがあります。ではどうすればいいのか。著者の提案は、本書の後半に書かれています。
イノベーションは政府の力だけで起こせるものではなく、民間との(多くの場合無自覚な)共同作業の結果です。これは当然といえば当然のことですが、ともすれば規制緩和一辺倒に流れがちな政策論に風穴をあけるという意味でも、本書の意義は大きいといえます。
イノベーションは資本主義社会の「宿命」であり、民間だけでなく国家ぐるみでその創出を目指さなければならない現実がある一方で、次々に生み出される新機軸がわたしたちの生活を混乱させ続けるという現実もある。政策論として見ても、イノベーションがもたらす負の側面まで見ないと(その穴埋めに別の政策コストがかかるわけですから)、十分とは言えないのではないか。シュンペーターは、イノベーションの両義性に自覚的でした。21世紀のイノベーション論が引き継ぐべきなのも、そうした醒めた眼であるように思えてなりません。
つぎ込んで 上手くいっても 一部のもうけ 税金を私物化
気付かない イノベーションの 負の側面 良いことのみ意識
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
勝手に良い面だけしか考えていなかったようである。
イノベーションの「負の側面」、そして「成果の分配」のこと。
少しも考えてなかったような・・・。
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