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自由主義と共産主義の間、グローバリズムとナショナリズムの間の今は何処? <外道たちの最中で> 切ない事情 
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Posted by - 2025.05.06,Tue
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Posted by 残心 - 2015.01.15,Thu
ネットでよく朝鮮人のことが悪く書かれていますが、実際どうだったのでしょうか。

  ・朝鮮人の戦前戦後  (ねずさんのひとりごと)

このブログを見ると、もうお腹いっぱいです。
その辺にしておいてください。

ヒドスギです。 同じ人間とは思えません。
感覚的にも、心情的にも理解できそうにありません。

やっぱり私は朝鮮人とは相性が合わないみたいなので、ネットの皆さんが言うようになるだけ近づかないようにしますので、朝鮮人の方々も半島へ帰るかなるだけ近づかないようにお願いします。

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Posted by 残心 - 2015.01.10,Sat
ネットなどでよく言われる「Kの法則」について、改めてメモしておきます。
戦争は朝鮮半島がついた方が負ける法則なのに (月夜のぴよこ と 空耳うさぎさんたち)
       
この法則通りに、戦争は朝鮮半島がついた方が負ける法則があります。

 清についたら清が負けた
 露についたら露が負けた
 日本に着いたら日本が負けた
 ふた手に判れてやりあったら勝負つかず
 米に着いたら米が負けた

こういうのが半島がらみの戦争の歴史です。

    http://www.h3.dion.ne.jp/~duke/politics/hosoku1.html
これは歴史上の事実のようですので、差別とか偏見だけでもないかもしれません。

結果がたまたまそうだったのか?
必然的にそうなってしまったのか?

まあそういったものが、「Kの法則」と言われるもののようです。

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Posted by 残心 - 2015.01.05,Mon
桑田圭祐氏が紅白でやらかしたらしいです。
ちょっと長いですが、かなり年下の娘さんからのご忠告です。



中途半端な政治思想を持ってパフォーマンスをするからこんなことになるんですよ。
よく分からないなら政治的なことはやっちゃだめです。

若い頃からサザンの歌を聴いてきた50代のオヤジとしては、桑田氏がず~っと年下の娘からこんなに怒られているのを見ると、自分が怒られているような気持ちになってしまいました。

そういえば毎週楽しみに新日本プロレスも見てましたが、最近の猪木さんもこの娘にかかると相当怒られるのでしょうね。
桑田氏や猪木さんなどは、中韓・左翼などと関係があるないに関係なく、我々世代はそんなに憎みきれません。
その辺が完全に戦後の自虐史観世代なんだと思いますが、ある面での才能は認めてますからね。

______________

でもまあ、今はこの娘さんが言っていることの方が正しいと思ってますよ。
済みませんでした。 我々世代は間違ってました。

ここらあたりの世代は、正しい歴史とか戦前の日本文化などを教えてもらわぬまま、突っ走ってきたのです。
そのあとぐらいから歪んだ戦後の矛盾が吹き出しはじめてきたのですよ。

この世代には何かかなり分かりやすいショックドクトリン的なものがないと、覚醒できないかもしれないですね。

______________

(参考)

アベローA01.wmv
https://www.youtube.com/watch?v=NoqKQRPCII4#t=17s
アベローB01.mpg
https://www.youtube.com/watch?v=77mUtbOq7H8
アベローB02.mpg
https://www.youtube.com/watch?v=QM646h-5OJc

  ・桑田佳祐「アベーロード」・ 著書の表紙にハングル・サザン、日の丸バツ印&爆発・安倍はヒトラー?
     (coffeeさんのブログ)

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Posted by 残心 - 2014.12.29,Mon
バルカン半島の歴史について、認識が甘かったようです。




  (チャンネルくらら https://www.youtube.com/channel/UCDrXxofz1CIOo9vqwHqfIyg

てっきり中国・朝鮮が世界でも有数の不道徳・恥知らず・犯罪国家だと考え、隣りに日本があって、この海を境にして地球規模の好対照だなあ、と思ってました。

世界には他にもすごい国々が存在するんですねぇ。
このバルカン半島の人々も、互いにいがみ合い、醜い争いを繰り返しているようです。

ホントに日本はアマちゃんなんだ、と改めて感じます。


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Posted by 残心 - 2014.12.29,Mon
敗戦後、GHQが報道機関を統制するためにつくられた規則である。

 プレスコードとは、太平洋戦争(大東亜戦争)後の連合国軍占領下の日本において、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって行われた、新聞などの報道機関を統制するために発せられた規則(新聞紙法)である。これにより検閲が実行された。
______________

1.報道は絶対に真実に即すること
2.直接又は間接に公安を害するようなものを掲載してはならない
3.連合国に関し虚偽的又は破壊的批評を加えてはならない
4.連合国進駐軍に関し破壊的に批評したり、又は軍に対し不信又は憤激を招くような記事は一切掲載してはならない
5.連合軍軍隊の動向に関し、公式に発表解禁となるまでその事項を掲載し又は論議してはならない
6.報道記事は事実に即し、筆者の意見は一切加えてはならない
7.報道記事は宣伝目的の色を着けてはならない
8.宣伝の強化拡大のために報道記事中の些細な事項を強調してはならない
9.報道記事は関係事項や細目を省略する事で内容を歪曲してはならない
10.新聞の編輯に当り、何らかの宣伝方針を確立し若しくは発展させる為の目的で、記事を不当に軽く扱ってはならない
______________

削除および発行禁止対象のカテゴリー(30項目)

1.SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
2.極東国際軍事裁判批判
3.GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
4.検閲制度への言及
5.アメリカ合衆国への批判
6.ロシア(ソ連邦)への批判
7.英国への批判
8.朝鮮人への批判
9.中国への批判
10.その他の連合国への批判
11.連合国一般への批判(国を特定しなくとも)
12.満州における日本人取り扱いについての批判
13.連合国の戦前の政策に対する批判
14.第三次世界大戦への言及
15.冷戦に関する言及
16.戦争擁護の宣伝
17.神国日本の宣伝
18.軍国主義の宣伝
19.ナショナリズムの宣伝
20.大東亜共栄圏の宣伝
21.その他の宣伝
22.戦争犯罪人の正当化および擁護
23.占領軍兵士と日本女性との交渉
24.闇市の状況
25.占領軍軍隊に対する批判
26.飢餓の誇張
27.暴力と不穏の行動の煽動
28.虚偽の報道
29.GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
30.解禁されていない報道の公表

昭和27年(1952年)4月28日、サンフランシスコ講和条約発効により失効していることになっている。
しかしこの中の多くは国内のある勢力によって、いまだに自己統制されたままのようである。

新聞・テレビ・ラジオ・雑誌・書籍、日本の言論空間はいつまで閉ざされたままなのか。
まずは日本人自身が、このことに気付くことから始まるのではないか。


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Posted by 残心 - 2014.12.13,Sat
戦後の日本は、自国では政策を決められなかったために、いろんな悪い政策が執行されました。
「在日特権」というのも、その一つです。
日本が強制連行したというのは事実ではないようです。
それに朝鮮戦争の際に南朝鮮から逃げてきた人が多数いたはずです。
そして彼らは、日本にいるのに日本人より特権があるのです。

在日特権(といわれている項目)

「地方税]  固定資産税の減免

[特別区]  民税・都民税の非課税

[特別区]  軽自動車税の減免

[年 金]   国民年金保険料の免除
        心身障害者扶養年金掛金の減免

[都営住宅] 共益費の免除住宅
         入居保証金の減免または徴収猶予

[水 道]  基本料金の免除

[下水道] 基本料金の免除
       水洗便所設備助成金の交付

[NHK]  放送受信料の免除

[交 通]  都営交通無料乗車券の交付
       JR通勤定期券の割引

[清 掃]  ごみ容器の無料貸与
       廃棄物処理手数料の免除

[衛 生]  保健所使用料・手数料の滅免

[教 育]  都立高等学校・高等専門学校の授業料の免除
       国公立大学に「帰国子女」の枠で入学できる
       国公立大学の大学院に「留学生」の枠でも入学できる

[通 名]  なんと、公式書類にまで使える。( 会社登記、免許証、健康保険証など )
       民族系の金融機関に偽名で口座設立 → 犯罪、脱税し放題。
       職業不定の在日タレントも無敵。
       犯罪を起こしてもほとんどの場合、実名では報道されない。

[生活保護]家族の人数 × 4万円 + 家賃5万円
       在日コリアンは、ほぼ無条件で貰えます。
       日本人は孤児だろうと病気だろうと、絶対に貰えない。
       予算枠の大半を、人口比率1%未満に過ぎない在日が独占。
       ニートは問題になっても、この特令は問題視されない。


[住民票] 「外国人登録原票」は通常、一般人では閲覧できない。
       ( 日本人の場合、債権関係の係争で住民票を閲覧される )
                                 (my日本 ダジャさんの日記より)
                                                                                                                  

先日、在特会のヘイトスピーチに対する裁判で、在特会側は敗訴し、1220万円の賠償を言い渡されました。
在特会の行動には理由があるのです。

もう戦後70年が経とうとするのに、「外国人に与えた特権を通常に戻すことも許されない」状態はやはり変でしょう。
せめて、上記の「在日特権」のことをメディアがもっと伝えてくれれば、状況は変わってくるはずなのですが・・・。

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Posted by 残心 - 2014.12.13,Sat
日本が漢字を受け入れる時、意味と内容を相当吟味していたようですね。
「訓読み」と「音読み」の話:音訓で意味が逆転する!→「こっち見るな、愛さないで!」
    (井口さんのブログ)

<一部抜粋> (途中省略、一部説明追加)

(あ)「君が代」の「君(きみ)」意味

我が国の古来からの訓読みでは、「君」=「きみ」=「き・み」となり、その意味は「き=男」、「み=女」、すなわち、「きみ=男女」となる。つまり、「きみがよ」とは、「日本男女の子子孫孫の唄」という意味になる。

漢字の「君(くん)」とは、「手にムチを持った人が「お前たち働け〜!」と大きく口を空けて、民衆をムチでしばいている姿をあらわした字」


(い)「民主」の「民」の意味

大和言葉由来の「訓読み」では、「民」=「たみ」。この意味は、「田畑で働く人々」

(古代中国の漢字由来の「民」は)つまり城塞都市の塀の内側で、針で目を潰された人たちが「民」です

その「民」に、「働け、働け〜!」と口を大きく空けて大声をあげてながら、「民」をムチでしばきあげている人たちが「君」です
「君」は、ムチでしばきあげている人たちですから、「民」より上の人です
だから「君」は偉い人、人に命令する人を意味します

つまり、奴隷商売の時に、逃げられないよう縄につながれた奴隷が「民=みん」であり、それを鞭打つものが「君=くん」

したがって、同じ「民主」という言葉でも、日本人は「民主=みんしゅ=たみが主=たみが上=男女が上→社会の上につくものは、社会に下につくものたちのためにある」という意味になる。

しかしこれが、半島人や中国シナ人には「民主=みんしゅ=みんが主=みんが上=エリートが上→官僚や両班が奴隷大衆を鞭打って痛い思いをさせて従わせる」という意味に変わるのである。


(う)日本の政治団体名は「民主」を取り除くべきだ!

正しく使っているのは、「民主党」だけだろう。もちろん、日本の民主党は在日韓国人主体の韓半島系の帰化人のパチンコ政党だから、この場合の「民主党」=「みんしゅとう」=「エリートが一般人を奴隷扱いする党」という意味で、古来の中国の漢字の意味を正しく使っているということになる。


(え)政界再編はこうすべきだ!

これはこうなるべきだと俺は思う。
与党→「自民党+次世代の党」
野党→「公明党+エトセトラ」
民主党→解散消滅→内乱誘致罪→刑務所行きか死刑
共産党→解散消滅→内乱誘致罪→刑務所行きか死刑
社民党→解散消滅→内乱誘致罪→刑務所行きか死刑


(お)あれ〜〜、「愛」も意味が逆転するとか?キモいナ。

昔の人は、この「愛」を「おもひ」、「いとし」と訓読みしました。
ですから日本人にとっての愛は、対象を「いとしく思うこと」です。

ところが漢字の字源の意味する「愛」は、久みたいな部分が足を引きずるで、家の中にある何かに心を惹かれて後ろ髪をひかれる思いで心が寄せられたなら、それを奪うという意味の漢字です。
昔、「愛は惜しみなく奪う」というタイトルの日本映画がありましたが、「愛=奪う」という発想は、まるごと漢字圏の人たちの発想です。                   』

                                      

  (参考)・国歌「君が代」の成立と、その意味   (バックは任せろ!)


同じ漢字でも、「日本人」と「中朝韓の人々」では受けとり方や感じ方が全く違うのですね。

漢字を受け入れる段階で先人たちが、内容を吟味して、日本には存在しなかった意味の漢字は除外したり、より有用な意味で受け入れてくれたために、日本での漢字の使用は混乱もなく有益に機能したのでしょう。

中国人・韓国人などは、日本人が考えもつかない歴史を持っていて、違った意味で使われている漢字しかイメージできないようです。
  
しかし、民主党の「民主」に関しては音読みの意味の通りで、伝わった漢字の意味が正しく使われていたとは?

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Posted by 残心 - 2014.12.13,Sat
「君が代」のことを我々はあまり教えてもらっていないようです。
少し長いですが興味深いものなので、以下のブログを引用します。
君が代のお話  (ねずさんのひとりごと)

<一部抜粋>

『 昨日、ねずブロについたコメントです。
左巻が黙ってしまったようです。

 朝日・日教組系の知識人さんと話すと、いつも同じで、
「君が代」の「君」は天皇崇拝だからケシカラン!と。
 こちらとしては、以前、ねずさんのブログで教えて頂いた
「き」と「み」のお話をしてみたり。しかし、いまひとつ伝わらず・・・。
 で、ある日、ふと思い立ちまして、
 与謝野晶子さんの「君死にたまふことなかれ」の「君」は、
 素直に「家族」と捉えるし、反戦歌として賛美しているのに、
 なにゆえ、君が代はの「君」だけは陛下限定か?
と問いました。
 相手は黙ってしまい、答えは聞けませんでした。
 彼らはいつもそうですね。  』
______________

『 左巻きの人は「君が代は天皇崇拝の軍国主義賛美の歌だと言います。じつに程度の低い話です。
そもそも「君が代」は、戦前からのわずか7〜80年の歴史の歌ではありません。
いまから千年以上もの歴史のある歌です
よくもまあ、軍国主義の歌だとか、デタラメなことを言えたものです。

「君が代」の文字としての初出は、平安時代初期の延喜5年(905年)です。
いまから1100年も昔の歌集に登場しているのです。
この年に編纂された『古今和歌集』の巻7に「賀歌」の筆頭歌として納められています。

その『古今和歌集』は、醍醐天皇の勅命によって編纂された勅撰和歌集です。
いまでいったら政府の公式歌集です。
万葉の時代から撰者たちの時代までの140年間の代表的作品を集めています。
つまり、最大みつもれば、1250年前に、すでに詠まれたいた歌なのです。昨日今日の話ではない。

『古今和歌集』には有名なカナ序文がありますが、これは紀貫之(きのつらゆき)が書いたものです。
そして『古今和歌集』巻7「賀歌」の筆頭に、「題しらず、読人しらず」として、

 わが君は 千代に八千代に
 さざれ石の巌となりて苔のむすまで


と歌が掲載されています。
この冒頭が「君が代は」ではなく、「わが君は」となっているところは注目です。
「君が代」の初出は、『古今和歌集』ですが、次の『古今和歌六帖』にも、歌い出しは「わが君は」となっています。
ところがその後に編纂された『新撰和歌集』や『和漢朗詠集』では、歌い出しが「君が代は」となり、以降、ずっと君が代のままです。

実はこのことは、日本文化を考えるうえで、とても大切なことなのです。
というのは、時代は異なりますが、戦時歌謡(軍歌)の「同期の桜」は、知らない人がいないくらい有名な歌ですが、この歌も、作詞が誰なのかわかっていません。
昭和13年に西条八十が「少女倶楽部」に発表した詩が元にはなっているようなのですが、ところがその後、歌詞がさまざまに変化し、また3番、4番なども追加されていって、いまのカタチになっています。
つまり、多くの人が歌っているうちに、歌詞がどんどん補強され、追加され、歌いやすいカタチとなって変化していったのです。

「君が代」の場合も同じで、賀歌、つまりお祝いの席での、めでたい歌として、広く貴族から庶民の間にまで普及していた歌であったからこそ、さまざまなバリエーションが生まれ、その歌いだしも「わが君は」であったり、「君が代は」であったりしていったわけです。

このことは「君が代」が「読人しらず」の歌であることに加えて、和歌がひろく一般庶民の間にも普及していたということを示すと同時に、どれだけ千年前の日本人が一般庶民に至るまで高い教養を持っていたかの証拠でもあります。そんな国、世界中、どこを探したってないです。
和歌が庶民の間にまで普及していたということは、『万葉集』にも、また『古今和歌集』にも、一般庶民の歌とされる数多くの歌が掲載されていることからもあきらかです。

そもそも「和歌を詠む」ということは、相当の言語感覚と、文字を扱う能力がなければできることではありません。
そうではないというのなら、いまこの場で、もみじを題材に、歌を一首詠んでくれ、と言ってやったら良いです。
即興ですぐに詠める人など、おそらくごくわずかです。
ちなみに、大学で国文の和歌を教えている多くの教授さんたちは、和歌を詠むのが実に下手くそです。まるで歌になっていない。
つまり歌の心、言いたいことを隠して、上の句と下の句でその真意を相手に察してもらうという、その文化性を失い、また国文の教授でありながら、日本人としての言語感覚に乏しいからです。日本語は、支那語や英語とは段違いの深みをもっている言葉なのです。

そして、もっと大事なことがあります。
それは、「君が代の歌詞が変化している」ということです。
そしてその変化をもたらしたのは、「間違いなく」日本人の一般庶民であるということです。

なぜ「間違いなく」といえるかといえば、この歌が施政者である貴族の歌とするならば、「わが君は」で良いからです。ご皇室の弥栄を願って貴族たちが国の体制を寿ぐ歌というのなら、歌い出しは「わが君は」であるべきです。
ところがそれが「君が代は」となっているということは、単に君が「わが君」をあらわすだけでなく、賀歌として、「別な意味」にも歌われていたということを示すのです。

では、その「別な意味」とはいったい何でしょうか。
その意味が実は「きみ」にあります。
それが「男と女」です。

漢字で書けば「きみ」は「君」です。
これを音読みの「クン」ではなくて、訓読みで「きみ」と読んでいることがポイントです。

もともと漢字というのは、支那で生まれたものを日本は輸入しているのですけれど、その漢字に、わたしたちの祖先は「訓読み」を充てていたと、私達は教えられています。
けれど、これが実はパラドックスなのです。
そうではなくて、もともと「大和言葉」があり、その「大和言葉」を書きあらわすのに、あとから私達の祖先は漢字を取り入れたのです。順番が逆なのです。訓読みのために漢字を取り入れているのです

たとえば「民(みん)」という漢字があります。
もともと支那漢字というのは、その字源をたどれば、ろくな意味のないものがほとんどです。
この「民」なども、その筆頭です。

どういう意味かというと、「民」の文字の上にある長四角のところが、実は人間の目を意味します。
ところが目なのに、長四角の中に目玉がありません。
なぜ目玉がないかの理由が、下にある「十」の部分で、これは古代の支那にあった、人の黒目を突いて目を見えなくするための道具です。
針で刺されて目を見えなくされているから□の中に目玉がないのです。

そして「民」の字の左側にある「|」は、城塞都市の塀を表します。
つまり、城塞の塀の内側で、民衆の目を針で突いてつぶして、民衆に無理やり言うことをきかせる。
目の見えない人々は上の人の言うことを聞かなければなりませんから、無理やり服従させられる。つまり隷属させられる。その隷属民のことを「民」という漢字であらわしたのです。
つまり支那漢字でいう「民」とは、隷民、つまり奴隷のことを指します。
奴隷というのは、古今東西、人であって人ではありません。豪族や権力者の私有民、つまり持ち物です。モノであり、所有物です。
そして所有者は、生殺与奪の権を持ちます。モノはいくら殺しても怪我をさせても目を潰しても罪になりません。なぜなら「人」ではないからです。

そしてこのことから派生して、「民」は、民衆から教育を奪うこと、つまり「ものごとを見えなくする」ことの意味にも使われます。
民衆を無教養なバカにしておくことで、有能な者が民から収奪する。
収奪されても収奪されたことがわからないようなアホに民衆を据え置くことが、施政者の徳(利得)だとされたという思想的背景が、この「民」という漢字のもともとの意味になっています。

その「民(みん)」から収奪する人が「君(くん)」です。
「君」は、「口」ヘンと「尹(イン)」を組み合わせた文字ですが、「尹(イン)」というのは、は、「手」と「|」(棒)が組み合わさってできています。
ものの本には、体裁よく、また子供達への教育的配慮から、手に杖を持って口を開けている姿が「君」だから、これは「聖職者」をあらわします、などと説かれています。つまり、モーゼのような立派な姿をイメージさせようと躍起になっていますが、実は、そうではなくて、手にムチを持って「オラオラ、お前たち、働け働け」と、「民」をしばきあげている役人を示します。

奴隷たちが強制労働させられている横で、ムチをもって奴隷たちをしばきあげている人、なんとなくイメージできようかと思いますが、あれが「君」です。もともとの漢字の意味は、そういう意味です。
支那の漢字というのは、ほんとうに、ろくな意味がありません。

その「民」や「君」を私達の祖先は漢字文化として古代にこれを取り入れました。
その前は、神代文字と呼ばれるシュメール文字のような文字が使われていたようですが、渡来仏教の影響で、寺子屋が普及し、いつの間にか漢字が文字の主流になりました。

ただ、わたしたちの祖先の偉いのは、その漢字をただ輸入しただけではなくて、わたしたちの国が持つ文化に、漢字を染めなおしたことです。
それが「訓読み」です。

ですからたとえば「(みん)」は、目の見えない隷民という意味ですが、わたしたちの祖先はこれに「たみ」という和語(大和言葉)を充てました。
というより「たみ」という大和言葉に、あとから「民」という漢字を充てています。
そして「たみ」というのは何を意味するかといえば、「田んぼではたらくみんな」です。だから「たみ」です。
そこに上下関係や支配と隷属の関係はありません。
みんなが共同する仲間たちです。
そして私達は、いまでも、「民」といえば「田んぼではたらく仲間たち」を語彙としてイメージしています。

ですけれど同じ漢字でも、渡来系の方は、そこに見る文字の意味は被支配層としての「隷民」です。
帰化系といわれる議員のセンセイと、国会でのやりとりをみても、どうにも会話になっていないという印象を強く受けることが多々ありますが、それもそのはずです。彼らは、もとからの日本人と言語感覚が異なるのです。

ちなみに、民主という言葉がありますが、支那文化、あるいはその支那文化だけに染まっていて訓読みをもたない朝鮮文化では、「民」の意味は上にお示しした通りで、「主」は、下の「王」の部分がろうそくの燭台です。そして上にある「丶」が、ろうそくの炎です。
燭台やロウソクは、明るいところでは役に立ちません。
部屋の奥まった暗いところにあって、じっと動かずに、人に「ああせい、こうせい」と命令する。それが「主」です。

つまり支那朝鮮文化では、「民主」とは、「自分は部屋の奥にいて何も動かず、他人に命令ばかりする人が、民衆から教育や視力を奪い、民衆にものを見えないようにしたうえで、民衆から収奪すること」、それが「民主」の意味になります。

一方、日本人は「民主」と聞けば、「田んぼではたらく仲間たち(たみ)が主(あるじ)となる社会の仕組み」、
田んぼではたらくみんなが、その田んぼの主(あるじ)となる社会体制」をイメージします。
これは日本語に「訓読み」がある、つまり漢字を輸入する以前から、固有の日本文化が根っこにあることに由来します。

同じ「民主」という言葉を口にしていても、その語彙は、支那朝鮮文化圏の人たちと、古来からの日本人では、まるで受け取る感じが違います。
ですから、少年時代に、支那朝鮮文化で育ち、後に帰化した人や、在日となった人達からすれば、「君が代」と聞けば、「民衆をムチでしばきあげて言うことを聞かせる時代」に見えるし、そういうことと戦争を結びつければ、彼らの言語感覚としては、「君が代」の意味は、「民衆が奴隷としてムチでしばかれながら戦場に送られた時代」にしか見えないわけです。

同じ日本語を話し、同じ漢字を使っていても、元になる文化が異なれば、そこから受けるイメージも、まるで違うのです。
これでは会話になるはずがありません。
現実の問題として、
民主主義」と聞けば「田んぼの仲間たちが主(あるじ)となって主役となる思想や体制」という語感にとらえる日本人と、
「隷民たちの目を潰し、自分はロウソクの燭台のように屋敷の中の奥まったところににて、自分ではなにもしないで、人に指図しながら、人々から収奪する主義」と捉える人々が、同じ国会の中で「民主主義」をめぐって議論しているわけです。議論が噛み合うはずがないのです。

さて、では日本人にとっての「君が代」とは、どういう意味なのでしょうか。
発音は「きみがよ」です。「君」という文字は使っていますが、読みはあくまで和語(大和言葉)の「きみ」です。

この「きみ」の「き」と「み」は、実は、男女を表します。
「き」が男、「み」が女です
ですから、「おきな(翁)」、「おみな(嫗=女)」と言います。
その男女のいちばん最初の神様が、イザナキ、イザナミの二神です。

ちなみに、イザナキ、イザナミのお二柱の神様の前の神様には、性別がありません。
ですから、最初の男女が、このお二柱の神様となります。
そして「イザナキ」とは、「いざなう男」、「イザナミ」は「いざなう女」という意味の大和言葉です。

そしてこの二柱の神様が結ばれて、日本の国土を産み、そしてさらに風の神・木の神・野の神といった自然にまつわる神々が産まれ、最後にお生まれになられたのが、天照大神、月読命神、須佐之男神の三貴神です。
天照大神は太陽の恵みの神様、月読命神は農業に必要な暦の神様、須佐之男神は眠りと育ちの夜の神様です。

そしてこの天照大御神様からの直系のご子孫が、代々の天皇のお血筋です。これを万世一系といいます。
万世一系の神様のお血筋にある方が、代々天皇となり、そしてその天皇から分かれて派生した血縁者が、日本人、つまり日本の民衆です。

ちなみに、現代人ひとりが誕生するためには、父と母の二人が必要ですが、その父と母が誕生するためには、さらに4人の祖父母が必要です。さらにその祖父母の誕生のためには、8人の曾祖父母が必要になります。
こうして数えますと、700年前(それは鎌倉時代頃ですけれど)には、現代人一人が生まれるために、1億2600万人のご先祖が必要になります。これはいまの日本の人口と同じです。

現代人ひとりが産まれるのに、鎌倉時代に1億2600万人が必要なのです
ということは、現代人二人のためには、鎌倉時代に2億5200万人の人口が必要になります。
現代人100人のためには、鎌倉時代に100億の人口が必要になります。現代の世界の人口さえも超えてしまいます。
それにそもそも、鎌倉時代の人口は700万人しかいません。
これが何を意味しているかというと、日本人は、誰もが「ご先祖がかぶっている」ということです。どっかで血がつながっているのです。
しかも日本の歴史は、有史以来でも2700年、縄文時代から起算すれば2万年の歴史があります。
日本人は誰もが、ちょっとご先祖をたどれば、必ず親戚同士なのです。

そしてその血筋は、かならず歴代の天皇とつながります。
そしてその天皇は、天照大御神からの直系の血筋として、日本の最高権威にあります。
そしてその最高権威が、日本の民衆を、天皇の宝物、としてくれたのが、日本の国のカタチです。
これを昔は「国体」と言いました。

よく戦時中の書物などに、「国体を守れ」という言葉が出てきますが、その意味は、「天皇が最高権威であり、その最高権威によって民衆が宝物とされる体制を守れ」という意味なのです。
そしてそのために、多くの先輩達が、戦地で尊い命を犠牲にしてくれたし、そのおかげで、いまの私達の命があります。

わが国最高権威の天皇が、わたしたちを「おおみたから」としてくださっている。
そのおかげで、わたしたちは豪族や権力者たちの隷民にならずに済んでいます。
それがわたしたちの国のカタチです。
だからこそ、わたしたちは、わたしたち自身の自由のためにも、わたしたち自身が目を潰されてムチでしばかれる隷民とならずにいるためにも、そういう国のカタチの中心核におわす天皇の存在をありがたく思い感謝する。
天皇がわたしたちを「おおみたから」とし、わたしたちが天皇に感謝する。
それが昔の言い方をしますと「君民一体」の意味です。

そしてその「君民一体」の世を、「千代に八千代」に、つまり千年も万年も未来永劫、さざれ石の巌となって苔のむすまで、みんなで守りぬいていこうじゃないか、それが君が代の歌の意味です。

そして君(きみ)は、男と女でもあります。
その男女が結ばれて、子が産まれ、孫が産まれ、曾孫が産まれ、子孫が繁栄する。
だから「君が代」は、おめでたい賀歌なのです。

「君が代」が戦争の象徴だとか、そんな意味にしか受け取れないというのは、日本に住みながら、日本語の意味を解することができない、哀れな痴れ者でしかありません。
そういう人には、もういちど小学校から勉強をしなおしてきなさいと言いたい。
まして、そのような人に日本の国政を云々するような資格は、まったくありません。

「君が代」は、そういうおめでたい歌であるからこそ、明治時代に国歌として採用になる前までは、一般的な結婚式でのお祝いの定番曲でした。
結婚式の歌としては、「♬高砂やぁ〜、この浦、船に帆をあげてぇ〜」という「高砂」が有名ですが、昔は「君が代」もそれと同じくらい歌われたのです。

そういう歌が、千年の時を越えて、人々に祝歌として歌い継がれている。
そこに、日本の計り知れない文化の深さがあります。
そしてそういう歌を国歌としているということ自体、すごいことですし、もっといえば、「きみ」の持つ深い意味と、その深い意味が千代に八千代に続く、さらに「苔のむすまで」という男女の愛に、私は、とてつもない日本文化の愛の深さと、あたたかみを感じます。 』
______________

『 さて、君が代の歌詞のことを書きましたので、せっかくですから曲(旋律)のことも書いておこうと思います。
いま歌われている君が代の旋律ができたのは、明治の初めの頃のことです。
その頃横浜の英国大使館に、ジョン・ウィリアム・フェントン(John William Fenton)という、音楽隊長がいました。

フェントンは、薩摩藩の依頼を受けて、薩摩の青年たちに吹奏楽を教えていました。
薩摩軍楽隊です。
実はこの吹奏楽団が、日本初の西洋式吹奏楽団です。

なにせ楽器といえば、お琴や三味線、和太鼓、和笛くらいしかなかった時代のことです。
言葉も通じない、五線譜も初めて目にするという日本人に、西洋式楽器の指導をされたフェントンは、さぞかしたいへんなご苦労だったことと思います。

ちなみにフェントンが教えた「薩摩軍楽隊」は、明治元年(1871年)には「日本海軍軍楽隊」へと発展し、これがいまに続く海上自衛隊吹奏楽団に至っています。


そのフェントンが大山巌に、「明治新政府になにか儀礼音楽が必要です」と進言したのが、明治2年(1872年)10月のことです。
「なるほど」とうなづいた大山巌は、数人と相談して、平素、彼自身が愛唱している「薩摩琵琶歌の蓬莱山」に引用されている「君が代」を歌詞として選び、作曲をフェントンに頼みました。

薩摩琵琶歌「蓬莱山(ほうらいさん)」は、薩摩藩でおめでたい席で歌われた定番曲で、歌詞は次のようになっています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
めでたやな 
君が恵みは久方の 光り長閑き春の日に
不老門を立出で 四方の景色を詠むれば
峰の小松に雛鶴棲みて 谷の小川に亀遊ぶ
君が代は千代に八千代に
さざれ石の、巌となりて苔のむすまで
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
まさに「おめでたい」歌です。

ちなみに「蓬莱山」というのは、道教の神仙思想にある支那の山東半島のはるか東方の海にあるとされている、不老不死の仙人が住む架空の島です。(一説によると日本)
かぐや姫の物語(竹取物語)にも「蓬莱山」は、「東の海に蓬莱という山あり」とされ、そこは不老不死で金銀財宝ざっくざくのたいへんおめでたい島として登場しています。

つまり「鳳来山」の歌は、そんなおめでたい島に住んでいるかのように、美しい景色とおいしい食べ物恵まれ、病気になることもなく、人々が不老不死で、互いの幸せが永久に続きますように、という願いを込めた、たいへんにおめでたい歌というわけです。

そしてこの「おめでたい歌」に引用されているのが、まさに平安時代に誕生した「君が代」であるわけです。

フェントンは早速、この歌に旋律をつけたのですが、出来上がりはイマイチ評判が悪い。
コラール風で、アイルランド民謡ぽかったのだそうです。

で、明治9(1876)年に、海軍楽長だった中村裕庸が「君が代」楽譜を改訂したいという上申書を海軍軍務局長宛に提出しました。



中村裕庸は、その上申書にこう書いたそうです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(西洋諸国において)聘門往来などの盛儀大典あるときは、各国たがいに(国歌の)楽譜を謳奏し、以てその特立自立国たるの隆栄を表認し、その君主の威厳を発揮するの礼款において欠くべからざるの典となせり。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

要するに、西洋では大典などの際に、国歌を演奏しているから、日本も国歌を持つべきである、というわけです。

ところがこの上申は、普通に考えるととんでもないことです。
なぜなら、中村裕庸はフェントンの弟子です。
その弟子が、師匠であるフェントンが作曲した君が代はイマイチだから改善したい、と上申したということだからです。

ところが、そこが師匠のフェントンです。
フェントンは、むしろ自分が作曲した君が代よりも、日本が日本文化に適した国歌を、自分たちの手で作曲するということに、逆に深い意義を感じてくれた。
そして、むしろ中村の上申をフォローさえもしてくれたといわれています。
なぜならフェントンは、日本人と親しく接し、日本文化に深く触れるにつれ、日本が好きで好きでどうしようもなく日本を愛するようになっていたのです。

こうして明治政府は、明治13(1880)年、宮内省雅樂課に、君が代の新たな作曲を命じました。
宮内庁雅楽課の奥好義は、フェントンの作曲した作品にさらに改良を加えていきました。

その旋律を、当時最高の雅楽演奏家とされていた一等伶人の林広守が、さらに荘厳しました。

するとこんどは、音楽教師として日本に滞在していたドイツ人の音楽家フランツ・エッケルトが、「和音をつければ、もっと素晴らしいものになりますよ」と、曲に和音を加えてくれました。

つまり「君が代」の旋律は、日、英、独の、いわば合作によって生まれた旋律なのです。

その「君が代」について、次のようなエピソードがあります。
日本の代表的作曲家山田耕作氏が、若い頃ドイツに留学していたときのことです。

ドイツの大学の音楽教授たちが、世界の主な国歌について品定めをしました。
結果、第一位に選ばれたのが日本の「君が代」だったのです。

理由は、まず曲の素晴らしさがあったことでしょう。
そして君が代の歌詞に込められた古代の日本人の心を知ったとき、まさに「君が代」は賞賛の嵐となったのです。

「君が代」は、平成11(1999)年に、国歌として法制度化されました。
実は、それまで「君が代」は、明治大正昭和にかけても、国歌とする法はなかったのです。

それでもみんなが「君が代」を国歌と思ってきた。
法があろうがなかろうが、関係ないのです。
幾百年にわたって、多くの人々によって、祝い歌として歌い継がれてきた謡曲が、稀世のメロディを得て、素晴らしい曲となったからです。
法なんてなくても、意味を知れば誰しも自然とこの歌が国歌と思う。それだけのことです。
そして、法があるかないかの問題ではなく、「自然にみんながそう思う」ということが、世の中においてとっても大切なことなのではないかと思います。

君が代は
  千代に八千代に
  さざれ石の
  巌(いわお)となりて
  苔(こけ)のむすまで


私は、胸を張って「君が代」こそが我が国歌であると申し上げたいと思います。
そして、それがわからないような無教養な人を、野蛮人として軽蔑します。 』

                                    

このようなことは本来小学校で習うべき事柄のように思いますが、教わった記憶が全くないのは単に私の記憶力がない所為でしょうか。

メディアに作られたイメージ(印象操作)を一度取り去って、「君が代」の意味を見直すのも良いようです。

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