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自由主義と共産主義の間、グローバリズムとナショナリズムの間の今は何処? <外道たちの最中で> 切ない事情 
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Posted by - 2025.05.06,Tue
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Posted by 残心 - 2015.12.21,Mon
我々日本人は、「終戦」という言葉に騙されているようである。
先の大戦の呼称について  (ねずさんのひとりごと)

《 勝手に要約 》

大東亜戦争    始期 昭和12年 7月7日
第二次世界大戦 始期 昭和14年 9月1日
太平洋戦争    始期 昭和16年12月8日
―――――――――――――――――――――――――――――――
ポツタム宣言受諾  昭和20年8月14日
帝国臣民への告知  同    8月15日
休戦文書調印     同    9月 2日
戦争の終結     昭和27年4月28日
―――――――――――――――――――――――――――――――
イタリア降伏  昭和20年 4月28日
ドイツ降伏   昭和20年 5月 7日
日本降伏    昭和20年 9月 2日
日独以外の講和 昭和22年 2月10日
西ドイツ講和  昭和26年7月〜10月
日本講和    昭和27年 4月28日
東ドイツ講和  平成 3年 3月15日
独へのソ連撤兵 平成 6年 8月31日
日からの米撤兵 継続中
―――――――――――――――――――――――――――――――
1 戦争の始期は、大東亜戦争、太平洋戦争、第二次世界大戦、それぞれの呼称によって
  異なる

2 戦争の終期は、まだ確定していない(戦争は継続中である)

単純に8月15日を終戦記念日と呼ぶことは、実は、重大な「めくらまし」であるということです。        
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
戦争の 歴史は常に 勝者の具    他国に敗者を称える文化はない
敗者には 寄ってたかって 好き放題    そういう文化の国々
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「日中戦争」という時の「中国」って、何を指してるの?
当時の中国は、内戦で群雄割拠。
PKOのような形で日本も治安維持のために駐留していた、という事実はどうするの?

とにかく戦後の占領政策で、事実も歴史もねじ曲げられて訳わからない。
イメージやレッテルに惑わされず、事実を見ていく作業が必要。

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Posted by 残心 - 2015.12.20,Sun
「国の借金が~~」と騒ぐ人たちがいるので、スッキリ返してしまうとどうなる・・?



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銀行が お金で世の中 乱してる    色眼鏡を外せ!
現金は 実は1割 動くのみ     9割は銀行の数字情報  
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「信用創造」!
借金が増えれば、お金が増える!

銀行がマジックでお金を何倍にも増やしているようである。
これはある意味、「合法的なサギ」ではないか・・・?

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Posted by 残心 - 2015.12.19,Sat
イメージに騙されそう・・・。
国家間戦争ではなく、民族間生存競争の時代。  (坂東忠信 太陽にほえたい!)

《 勝手に要約 》
難民を受け入れることで潤う一部の財界人や人権屋が受け入れを煽っていますが、

「マイノリティ(少数派)=善なる人」
「弱者=耳を傾けるべき人」

ではないんです。

そういう人もいる、という程度のお話です。

事情を分析できないのに、知ったかぶりで簡潔に社会を語って箔を付けたい人たちが、利を得たいスポンサーで成り立っているテレビなどで、騙されやすいバカにわかりやすく語りかけるための情緒的イメージパターンに引っかからないように。

他にもたくさんありますよ。

「警察官=権力の犬」
「自衛隊=戦争」
「官僚=悪」
「政治家=癒着」
「資産家=悪いことをしてお金をためている」
「国=権力」
「政府=弱者切り捨て」


そして「難民=願いを聞いてあげるべき人」という、バカにはわかりやすく感情的に説明しやすいイメージが追加されようとしています。

現実に直面したヨーロッパは今、これを脱しようとしていますよ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
悪意持ち レッテル貼って 扇動す     マスコミ
イメージを 何気げに造って 事実化す   捏造と歪曲
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テレビも新聞も安心して見れなくなってしまったなぁ・・・。

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Posted by 残心 - 2015.12.18,Fri
恩に報いず・・・。
【東日本大震災】津波で74人が犠牲となった南三陸町病院が再建され診療開始 総工費56億円のうち約22億円が台湾からの寄付 →NHK、台湾について報道せず   (保守速報)

《 勝手に要約 》
山際澄夫 ‏@yamagiwasumio 
東日本大震災で74人が犠牲になった南三陸町病院が再建され開業したが、NHK7時のニュースはこれを延々と報じながら総工費56億円のうち
約22億円が台湾からの寄付であったことには一言も触れぬまま。
触れては都合の悪いことでもあるのですか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
台湾を 正統評価 できないの?    日本のマスコミ
不自然に 隠そうとして ボロが出る     〃
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
コメント不要。ばかか。

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Posted by 残心 - 2015.12.17,Thu
訳が分からなくなってきそう・・・。
反シナ性を利用して、チベット、ウイグル問題から保守層・保守系政治家を左翼に取り込むカラクリ  (日本の面影)

《 勝手に要約 》
いろんな愛国層がいますが、それぞれに向けて左翼のプログラムが用意されてます。反シナ層向けに用意されてるのがウイグルやチベット問題反フェミ層になら共同親権を訴えてるのとか典型。共に本来の日本を守るどころか日本を壊していくことにつながってます。左翼の洗脳プログラムはそれだけ巧妙。

地球、平和、人権大好きの左翼が本来やるべきウイグル、チベット問題への抗議を左翼がしないのは、保守層を左翼イデオロギーに引き込むための策略。反シナさえ掲げれば、おバカな保守層は「ウイグルの人権を守れ!」って、保守風の政治家も一緒になって地球人左翼と同じように叫んでくれるわけですから。

左翼がそれまでやってしまったら、保守層を左翼イデオロギーに引き付ける口実を他に探さなきゃいけなくなるし、保守にやってもらう仕事がなくなっちゃいます。自称保守層が、左翼の策略にまんまと乗せられて、ウイグル、チベット問題で勝手に大騒ぎしてくれるから奴ら左翼にとっては大助かり。それを考えるとピエロにされてんだって、皆さんも早く気づいてくださいね。

日本を守るためチベット、ウイグルを守ろう!」なんて詭弁は、「日本を守るため、シナを守ろう!」と言ってるに等しい暴論、妄言。
―――――――――――――――――――――――――――――――
それと日本にまともな策士がいるなら、シナに対して「チベット人やウイグル人への弾圧をやめろ」なんて直接言ったりしませんからね。
シナと笑顔で接しながら、裏ではチベットやウイグルに武器支援したりで内乱を引き起こさせ、ウイグルやチベットとシナの双方が疲弊したところで、サーッと入り込んで両方からブン捕る
それこそ国益に結びつける本物の外交施策というものでしょう。こういう発想すら出来ない日本の官僚・政治家はもう完全に寝惚けてます。今の外国に対する日本の態度なんか、戦前の人たちが見たら呆れ果てることでしょう。

「チベット、ウイグル人が可哀そう」なんて言って、仮に日本が彼らを助けてあげたとしても、彼らは日本のピンチには必ず裏切ります。なんせ、自らも武装して命かけて独立勝ち取ったわけではないわけで、そのような者らがましてや日本のため命をかけていくこともありえません。チベット、ウイグル人が本気でシナと戦争してるなら、密かに支援する価値も少しはありましょうが、今のところ彼らがそれほど勇敢にも見えません。
「チベット、ウイグルを守れ!」なんて騒いでる人々も、武器を供給して支援してるわけではないし、彼らも本気でチベットやウイグルを守ろうなんて、これっぽっちも考えてないことでしょう。本気で支援するなら、武器を供与し、戦い方を教えるからです
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ちょっとした 同情のみで 国救う?    中途半端な抗議のみ
国防は 命をかけて 当たり前      本気しか信用できない
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この辺の考え方は、人それぞれ。
チベット・ウイグルなどは大問題に違いないが、同情だけだと朝鮮のようなこともあり得るのか?

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Posted by 残心 - 2015.12.16,Wed
古事記の読み方はこういうふうなのか。
大昔から日本には神聖な、哲学というか宗教というか、伝統的な考え方があったのに・・・。



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魂は 身は滅ぶとも 生き続く     魂は永遠
現世の利 求めるの愚は 現世のみ    生き方に余裕
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
肉体は死ぬと無くなり、黄泉の国へ行き、帰ってこない。
魂は死んで、根の堅洲国(ねのかたすくに)へ行き、また帰ってこれる。
大国主命がスサノオに会う、根の堅洲国というのは、魂の世界だったとは・・!

日本人の考え方というのは、「肉体と魂は別物」というのが当然だったのですね。
魂は汚さない、というのが基本だった・・・。

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Posted by 残心 - 2015.12.14,Mon
「貨幣の扱い」というのは、世の中を全く変えるのですね・・。
みんなが食える世  (ねずさんのひとりごと)

《 勝手に要約 》
「損得」ではない、施政者が共有すべき価値観とは何でしょうか。
古事記はそれを
──────────
天下の政
────────── と書いています。

古事記が「天下の政」としている価値観は、「みんなが安心して食べて行かれる社会を築くこと」にあります。

どこまでも、みんなが「食える」ことが大事だというのです。
逆にいえば、ごく一部の少数の人達だけが腹いっぱい飯を食べることができ、他の圧倒的大多数の人々が飢えに苦しむような社会は、天下に正しきを行うことではない、つまり「天下の政」ではないし、価値ある政治に値しないということです。

バブル崩壊後の日本の政治は、格差社会を生み出し、企業のトップが年収何千億円も得る一方で、末端の従業員たちは、どこまでいってもパート扱いであったり、正社員であっても4〜5年勤務したら定期昇給によって賃金があがるので、様々に辱めてお払い箱にする。
日本人の雇用がなくて、町に失業者が溢れているのに、外国人を雇用するように政治の舵をとる。
これは、みんなが食える社会ではなくて、一部の利得者だけが食える社会を目指しているという意味において、「正しい道」とはいえない、ということになります。

日本は、選挙制度を小選挙区制にしました。
これは、白か黒かで議員を選ぶ方式ですから、そもそもが政治の対立を前提とした選挙制度ということができます。「みんなが食える」ということが、最大の価値判断の基準であるはずなのに、最初から、半分の意見を切り捨てるということころからスタートしているのです。
これで「天下の政」が可能だと思うなら、よほどのアホとしかいいようがありません。
―――――――――――――――――――――――――――――――
誰しも、祖先があるから、いま生きているわけで、現代人ひとりが生まれるためには、鎌倉時代に、現代のひとりにつき、1億2千万人の祖先を必要とします。
現代人2人のためには、2億4千万人の祖先が必要です。
3人なら3億6千万人です。
けれど、鎌倉時代の日本人の数は700万人です。

つまり、誰もが祖先がどこかで重なっているわけです。
日本は何千年もの歴史を持つ国ですから、ルーツを辿れば生粋の日本人なら、すべての日本人が、すべて天皇を祖として、みんなどこかでつながる親戚です。
それを、氏や姓という縦軸で分類し、地域という横軸の苗字で分類したものが、姓氏であるわけです。

まさに日本人は、天皇を共通の祖として、誰もが親戚なのです。
そして誰もが天皇の「おおみたから」としてきたのが日本です。
ですから、誰が上、誰が下ということもない。
みんなが人として対等です。

対等は平等とは異なります
みんなの暮らしに責任を持つ人と、自分の仕事にだけ努力すれば良い人では、世の中における役割が異なります。
それぞれがそれぞれのポジションで、自分の役割をきっちりと果たして生きる。
互いの役割を尊重していく。
それが古来の日本社会のあり方でした。
―――――――――――――――――――――――――――――――
先日の倭塾で、陰陽師で有名な安倍晴明は、年収4億円くらいあった、というお話をしました。
それだけ聞くと、まるで安倍晴明は、リッチでゴージャスな大金持ちみたいです。
けれど、その4億円の収入は、お金ではなく、お米でもらいました
お金なら貯めこむことができますが、お米は貯めこむことができません。
置いといたら、痛んでしまうのです。

どんなに頑張っても、人間一人で年に100万円分もお米を食べれませんから、安倍晴明は4億円分のお米で、それだけたくさんの人々を養い、食べさせなければならなかったということです。
つまり、当時における年収4億円ということは、個人が贅沢をするためのお金が4億円ではなくて、今風にいうなら、4億円の人件費の支出が義務付けられていた、ということに近いのです。

要するに、どこまでも「天下の政」、つまりみんなを食えるようにすることが、政治における最大の命題ということが、日本のまさに太古の昔からの知恵です。
そしてこの「みんなが食えるようにしていくこと」のお役にたてる人材となっていくことを、成長するという言葉で表したし、聖徳太子はこのことを十七条憲法の第15条で「向公私背」と書きました。
私にそむいて、おおやけに向かえ」と読みます。
これが日本的価値観の根幹です。
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皆がみな 助け合って 生きてた世     近代以前の日本
欲得が さも正しくて 廃れる和     壊れていく和の国
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近代以前の日本において、公務の収入が莫大ならば、それだけ大勢へ人件費の支出が必要だった・・・!

今の基準で考えると、過去を見誤ってしまうことになる。

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Posted by 残心 - 2015.12.13,Sun
奈良・平安時代では、死刑の執行がほぼなかったらしいが・・・。
刑法と法治主義  (ねずさんのひとりごと)

《 勝手に要約 》
大昔の日本では、大宝律令、養老律令のように、律令制度が敷かれていましたが、律令というのは、律が刑事法令が民事法です。

律令制度自体は、支那の王朝の制度に倣(なら)ったものです。
支那では日本と逆で、むしろ律令は刑罰のための「」が中心でした。
令は補完的なものにすぎないし、むしろ政治によって破られるのがあたりまえのものでしかありませんでした。

ところが日本では、「律」は、ほとんど施行されず、むしろ「」ばかりが、広がったわけです。
どうしてでしょうか。

たとえば盗人が、ある家に強盗に入った。捕まった。そこで処罰するのに、刑期を何年にする、と決めたのが刑事法の「律」です。

そして、そうした不幸が起きてからでなければ裁けないということなら、その国はとっても不幸な国です。
なぜなら、犯罪を未然に抑止していないからです。

日本では、もし、天皇の民が不幸な事態に巻き込まれる、つまり強盗や強姦や殺人事件などに巻き込まれたなら、それは「加害者の責任ではなく、臣の責任」と考えられたのです。

なぜそのように考えられたのかといえば、答えは明白です。
「責任と権限」は一体だからです。
権限があるから、責任があるのです。
責任があるから、権限があるのです。

権限のある者が、総力をあげて犯罪を未然に防いだのです
だから犯罪のない、安定して安心して暮らせる世の中が生まれました。

奈良・平安時代には死刑が執行されなかったという話は、学校でも教わることですが、死刑が非人道的だから死刑を執行しなかったのではありません。
死刑の執行など起きないように、つまり重大犯罪が起きないように、総力をあげて犯罪を未然に防いでいたから、結果として死刑を執行する必要がなかったのです。

この点、現代の日本は、奈良平安の昔の日本よりも、はるかに遅れた社会を営んでいると言わざるを得ません。

道徳心を養い、権限と責任が明確であること
それが実現できないのが法治主義だというのなら、法治主義は、極めて退廃的かつオクレタシステムと云わざるをえないのではないかと思います。

支那のように、次々と起こる犯罪に厳罰をもって対処する国と、
昔の日本のように、世を挙げて犯罪そのものを発生させない国と、
どちらが安心して住める、住みよい国といえるのでしょうか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
権限が あれば責任 ついてくる     以前の日本の統治
犯罪が 起きる以前に 防いでる        〃
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今の韓国などは人治主義だと言われているが、法治主義でさえも遅れているのか?
以前の日本のように、犯罪を未然に防げる社会に戻すのは不可能かも・・・。

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