自由主義と共産主義の間、グローバリズムとナショナリズムの間の今は何処? <外道たちの最中で> 切ない事情
Posted by 残心 - 2014.09.17,Wed
経済危機ということについて、藤井聡先生が以下のように申しております。(少し長いですが)
普通に考えると、やっぱりそうなんですよね。
民間が借金できる環境にするために、国がとりあえずの間借金するはずが、ずぅ~と国が借金している。
国が借金してでも、まずデフレ脱却しないと景気が良くなるわけはない。
増税なんていう話になるはずもない。
学者さんたちって、ほんとはバカなのか、わざと騙そうとしているのか?
そして政治家さんたちは、騙されているのか、騙されたフリをしているのか?
・【藤井聡】問題なのは「政府の借金」ではない,「民間の借金」である.
(三橋貴明の「新」日本経済新聞)
<一部抜粋>
「つまり,経済危機というものは,政府の借金ではなく,民間の借金によって引き起こされるものなのである.
これこそが,過去のデータによって示されている真理なのだ
具体的に翻訳しますと,このコラムでは,次のように述べられています.
「1929年の大恐慌の直前も,
1997年のアジア通貨危機の直前も,
1991年の日本のバブル崩壊の直前も,
いずれにおいても「政府の借金の対GDPは比較的低かったのであり,かつ,その増加率も低いのが,実態だったのである.
2007年のリーマンショックの直前についても,アメリカでは,中東での戦争や社会プログラムのために支出が大幅に増えていたにも関わらず,政府の借金の対GDP比率は10年前に比べて特に増えてはいなかったのである.
1991年の日本のバブル崩壊の直前,1997年の韓国のアジア通貨危機の直前においては,政府の借金の対GDP比率の五年間の増加率はほぼゼロだったのである.
最近のスペインの経済危機の直前において言うなら,借金の対GDP比率は16%も減少していたのである.」」
「さらに言えばこのことは,バブル崩壊は,「政府の借金の対GDP比率の伸び」で引き起こされたのではなく,「民間の借金の対GDP比率の伸び」によって引き起こされた可能性を含意していますよね.
理屈で考えても,それは簡単に合理的説明が可能です.
民間の借金がうなぎ登りに増えた,という事実は,「土地転がし」に代表される,「投機」の加速的な過熱化を反映したものと考えられます.
つまり,民間人のカネをたくさん持ってる人たちが(個人,法人問わず),さらに,カネを増やそうと考え,土地や株に「投資」するのではなく「投機」していったのです.事実,その頃は,投棄すればするほどにカネを儲けることができたのです.だから,そのカネ儲けのために,銀行から大量のカネを「借金」し,投機を重ねていった訳です.
こうしたことを,「一部」のカネ持ち達(決して,全員ではありません.バブルの時代にも真面目に暮らし,真面目に投資していた人が多数いたことを忘れてはなりません!)が,さながら気でも違ったように繰り返していったのが,皆さんご存じの通り「バブル」というものだったのです.
そしてそうした過剰な投機のための過剰な借金によって,「民間の借金の対GDP比率」は増えていきました.
ところが,バブルが崩壊すると「投棄すれば儲かる」という前提が崩れてしまいました.同時に,「カネ儲けのために投機を繰り返していた一部の人々」は返済できない程の多額の借金を背負ったが故に,彼らは今度は,借金を全く,ひたすら借金を返済する方向へと向かっていったのです.つまり彼らは,「(正常な資本主義経済を回すために不可欠な)正常な投資活動」を全くやめてしまったのです.
その結果,このグラフに示してある通り,民間の借金の対GDP比率は,今度は逆に,「右肩下がり」に,ひたすら減少していくこととなったのです....
こうなったとき,政府もまた,借金を増やさなければ,GDP,つまり,国民の所得(!)は,坂道を転げ落ちるように低下していくことになります.
したがって,GDP,つまり国民所得を守るために,政府は致し方なく,ニューディール的な財政支出を行ったり,そしてそれ以前に,制度として定められている失業対策や生活保護などの社会保障費が増やしていくことになりました.そしてその結果として,経済危機後,政府の借金の対GDP比率は右肩上がりに伸びていくことになっていく訳です.
このことは次のように言うこともできます.
すなわち,
1)GDP=国民の所得が伸びていくためには,誰かが「借金」をしなければならない,
2)健全なる資本主義では,その「借金」を「民間」がやり,それをサポートする格好で「政府」もまた借金をするものである,
3)ところが,経済危機が生じ,民間経済が不況となれば,民間が,十分に「借金」をして,GDPの水準を維持していくことができなくなる....
4)だから,結果として,経済危機後においてGDPの水準を維持していくために,政府は,
「民間がやらない借金の肩代わり」
をしてやるようにして,借金を増やしていかざるを得ない....
これが,このグラフに示されている,バブル崩壊後の政府の借金の急伸と,民間の借金の縮減です.
ちなみに,こうした経緯は,アメリカのリーマンショック前後においても,全く同じプロセスが生じていることが確認できます(このコラムの一つ目のグラフをじっくりとご確認ください).
さらには,先に直接翻訳した部分にも明記されているように,同様のプロセスは,1929年の世界大恐慌や1997年のアジア通貨危機,最近のユーロ危機においても認められる...ということが考えられます.
いずれにしても,こうして繰り返されてきた歴史的事実が含意しているのは,次の二点です.
第一に,「日本経済に多大なる影響を及ぼしうる要人達」の多くが危惧しているのとは裏腹に,経済危機は政府の借金の増進によってもたらされてきたのではなく,民間の借金の増進によってもたらされてきた,「客観的事実」です.
そして第二の,そしてさらに重要なポイントは,政府の借金を減らすために必要なのは,「民間の借金を増やすこと」という一点なのだ,というものです.繰り返しますが,GDP=国民の所得を守っていくためには,誰かが借金をせねばならず(それが,資本主義,というものの本質なのです),その借金を,民間が担わなければ,政府がそれを担い続けなければならない,という構造が,存在しているのです.
この第二の理論解釈が直接的に含意しているのは,次のような(多くの人々にとっては当たり前とすら思える,自明の)命題です.すなわち,
「日本政府の財政の改善を心から願う人々は,
デフレ脱却に,文字通りの『全力』を投入しなければならない」
いわずもがなですが,この命題は,今日の日本経済の状況における「緊縮財政」(すなわち,デフレ脱却の妨げとなる増税+政府支出の削減)の妥当性を,根底から覆すものであることは間違いありません.
....
以上は,当該コラムで紹介されている実証データを踏まえた上での,理論的結論です.
この結論に賛同されるか否かはもちろん,それぞれの個人の自由ではありますが,少なくとも藤井個人はこの結論を絶対的に確信しているという一点は,申し添えておきたいと思います.
一人でも多くの論者に,その「知性」を(自分自身の立ち位置を守るためではなく)真理に到達するための努力にご活用いただきたいと思います.
さもなければ,日本の未来は限りなく暗い最悪のものとなることを回避することは,不可能となるでしょう.」
普通に考えると、やっぱりそうなんですよね。
民間が借金できる環境にするために、国がとりあえずの間借金するはずが、ずぅ~と国が借金している。
国が借金してでも、まずデフレ脱却しないと景気が良くなるわけはない。
増税なんていう話になるはずもない。
学者さんたちって、ほんとはバカなのか、わざと騙そうとしているのか?
そして政治家さんたちは、騙されているのか、騙されたフリをしているのか?
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Posted by 残心 - 2014.09.04,Thu
現在、政界・財界・学界・マスコミなどで主流の経済政策(=新古典派・新自由主義・トリクルダウン仮説など)は、唯の仮説なのに、一部の勢力にとって都合がいいから利用されているだけではないのか。
この青木泰樹氏の説は、個人的には毎回納得できるものばかりである。
・ネオリベ経済学の正体 (ASREAD)
「主流派経済学が想定する民間経済は完全無欠なのです。「市場の失敗」のケースはどうなのかと疑問に思われるかもしれませんが、主流派経済学者にとってそれは考慮の埒外です。」 だそうである。
だから、どんな失敗もないそうだ。
しかし「政府の失敗」は悪いと言って誤魔化すそうである。
主流派(新古典派)経済学、ネオリべ経済学(新自由主義)など、現在正しいとされている経済政策の理論は、まことに怪しい根拠に基づいているようだ。
景気不景気の判断が必要で、使う状況によっては逆効果となってしまう。
ここ数十年は、この逆効果が表れているということではないのか。
そして「トリクルダウン仮説」というものがある。
これによって、「1%の富裕層をもっと富ませる」政策が推し進められる。
・トリクルダウン仮説 =
「社会の富を富裕層に優先的に配分することによって、社会全体も豊かになる」
・トリクルダウン政策 = 「99%の国民の犠牲の上に1%の富裕層をより富ませる」
↓
金持ちを豊かにすれば、いずれその恩恵は一般庶民へも滴り落ちる → 実証されていない
またここ数十年ぐらい、規制緩和ということが叫ばれるが、これもピンキリである。
・規制緩和 → (緩和するのに、適切・不適切なものがあるが)→ 全て不適とする(ネオリべ派)
日本を貶めるために「吉田清治」や「河野談合」を嬉々として利用した韓国のように、1%の富裕層をより富ませるために、政界・財界・学界・マスコミなどの主な勢力は、「主流派経済学」、「ネオリべ経済学」、そして「俗情経済学」を嬉々として利用しているように見える。
「主流派経済学」、「ネオリべ経済学(新自由主義)」、「トリクルダウン仮説」、および「規制など公的権力全てが悪」という考え方は、「間違っていました」と誰か言ってくれないだろうか。
経済学においても、「朝日新聞の誤報報道」のようなものを待望するものである。
できるのは多分、学界の方々なのかな。
誰か、勇気を持ってやってください。
この青木泰樹氏の説は、個人的には毎回納得できるものばかりである。
・ネオリベ経済学の正体 (ASREAD)
「主流派経済学が想定する民間経済は完全無欠なのです。「市場の失敗」のケースはどうなのかと疑問に思われるかもしれませんが、主流派経済学者にとってそれは考慮の埒外です。」 だそうである。
だから、どんな失敗もないそうだ。
しかし「政府の失敗」は悪いと言って誤魔化すそうである。
主流派(新古典派)経済学、ネオリべ経済学(新自由主義)など、現在正しいとされている経済政策の理論は、まことに怪しい根拠に基づいているようだ。
景気不景気の判断が必要で、使う状況によっては逆効果となってしまう。
ここ数十年は、この逆効果が表れているということではないのか。
そして「トリクルダウン仮説」というものがある。
これによって、「1%の富裕層をもっと富ませる」政策が推し進められる。
・トリクルダウン仮説 =
「社会の富を富裕層に優先的に配分することによって、社会全体も豊かになる」
・トリクルダウン政策 = 「99%の国民の犠牲の上に1%の富裕層をより富ませる」
↓
金持ちを豊かにすれば、いずれその恩恵は一般庶民へも滴り落ちる → 実証されていない
またここ数十年ぐらい、規制緩和ということが叫ばれるが、これもピンキリである。
・規制緩和 → (緩和するのに、適切・不適切なものがあるが)→ 全て不適とする(ネオリべ派)
日本を貶めるために「吉田清治」や「河野談合」を嬉々として利用した韓国のように、1%の富裕層をより富ませるために、政界・財界・学界・マスコミなどの主な勢力は、「主流派経済学」、「ネオリべ経済学」、そして「俗情経済学」を嬉々として利用しているように見える。
「主流派経済学」、「ネオリべ経済学(新自由主義)」、「トリクルダウン仮説」、および「規制など公的権力全てが悪」という考え方は、「間違っていました」と誰か言ってくれないだろうか。
経済学においても、「朝日新聞の誤報報道」のようなものを待望するものである。
できるのは多分、学界の方々なのかな。
誰か、勇気を持ってやってください。
Posted by 残心 - 2014.08.31,Sun
◆朝日新聞が誤報を認めたことから感じること
8月5日、朝日新聞が慰安婦問題報道の一部誤りを認めたことで、永く囚われていたGHQによる「自虐史観」や多くの戦後体制にヒビが入ってきたような感覚を微かに感じた。
朝日はその後も謝罪をしないし、英文で明白に外国へも伝達しないが、日本における世間の風はもう明白だ。
反日左翼や韓国が慰安婦のウソを取り繕って悪あがきをすればするほど、自らを窮地に追い込む。
最近、以前に比べて「一般国民の意識」というのが少し「日本寄り」になっているように感じてはいたが、今回の朝日報道後は、よりはっきりとステージが変わった感覚がある。
この「日本寄り」になってきたキッカケはなんだったのかと考えた時に、いくつかあるだろうが個人的には、韓国の李明博大統領が竹島で「天皇陛下に謝罪しろ」と発言したことではないかと思っている。
これがキッカケで、その後徐々にこの「日本寄り」の空気が強まったのではないか。
日本人はどこかの国のようにショック状態に陥っても「火病」にはならず、少しづつ対応していくとても保守的な民族なのでは?、と考える。
やはり「天皇への謝罪要求」は、日本人の奥深いところを鈍く、ボディブローのように刺激したのではないか。
そして日本人の眠っていた怒りに火を点けたのではないか。
気付いてなくても、きっとそうだと思っている。
想えば先の敗戦時も天皇陛下が「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」と仰ったから、日本人は耐えてきたのかもしれないとも思っている。
他の「日本寄り」のキッカケとしては、以下のようなことが考えられる。
・「東日本大震災」は多大の被害を与え、被害に遭われた方々には大変なことであったが、日本人が現在を振り返り目覚める大きなキッカケになったし、時の政権に対する先人たちの怒りだったのではないかとも思っている。
・反日左翼や米中朝韓の露骨なやり方が、時を経てほころび、目立ち始めてきた。
・戦後約70年経ち、日本人のどこかに日本の形を守る限界に来ているという自覚がある。
・今まで保守的な活動を継続して行ってきた一部の方々の活動が、やっと実を結び始めたこともあるだろう。
特に今回の朝日報道は、不買運動や抗議活動を組織的に行っていた「チャンネル桜」あたりの活動がかなり貢献していたのではないか。
この「チャンネル桜」は一部ではかなり不評でもあり、時に首を傾げることもあるが、NHK解体に向けた活動も行っており、こちらも良い結果になることを祈っている。
いよいよ日本人は眠っていた怒りに火を点けられ、戦後すぐの時点まで遡ってやり直すことを国民全体レベルで考え始めているのではないか。
今後もやることは満載であるが、やっと「山が動き出した」ような感じがしているところである。
8月5日、朝日新聞が慰安婦問題報道の一部誤りを認めたことで、永く囚われていたGHQによる「自虐史観」や多くの戦後体制にヒビが入ってきたような感覚を微かに感じた。
朝日はその後も謝罪をしないし、英文で明白に外国へも伝達しないが、日本における世間の風はもう明白だ。
反日左翼や韓国が慰安婦のウソを取り繕って悪あがきをすればするほど、自らを窮地に追い込む。
最近、以前に比べて「一般国民の意識」というのが少し「日本寄り」になっているように感じてはいたが、今回の朝日報道後は、よりはっきりとステージが変わった感覚がある。
この「日本寄り」になってきたキッカケはなんだったのかと考えた時に、いくつかあるだろうが個人的には、韓国の李明博大統領が竹島で「天皇陛下に謝罪しろ」と発言したことではないかと思っている。
これがキッカケで、その後徐々にこの「日本寄り」の空気が強まったのではないか。
日本人はどこかの国のようにショック状態に陥っても「火病」にはならず、少しづつ対応していくとても保守的な民族なのでは?、と考える。
やはり「天皇への謝罪要求」は、日本人の奥深いところを鈍く、ボディブローのように刺激したのではないか。
そして日本人の眠っていた怒りに火を点けたのではないか。
気付いてなくても、きっとそうだと思っている。
想えば先の敗戦時も天皇陛下が「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」と仰ったから、日本人は耐えてきたのかもしれないとも思っている。
他の「日本寄り」のキッカケとしては、以下のようなことが考えられる。
・「東日本大震災」は多大の被害を与え、被害に遭われた方々には大変なことであったが、日本人が現在を振り返り目覚める大きなキッカケになったし、時の政権に対する先人たちの怒りだったのではないかとも思っている。
・反日左翼や米中朝韓の露骨なやり方が、時を経てほころび、目立ち始めてきた。
・戦後約70年経ち、日本人のどこかに日本の形を守る限界に来ているという自覚がある。
・今まで保守的な活動を継続して行ってきた一部の方々の活動が、やっと実を結び始めたこともあるだろう。
特に今回の朝日報道は、不買運動や抗議活動を組織的に行っていた「チャンネル桜」あたりの活動がかなり貢献していたのではないか。
この「チャンネル桜」は一部ではかなり不評でもあり、時に首を傾げることもあるが、NHK解体に向けた活動も行っており、こちらも良い結果になることを祈っている。
いよいよ日本人は眠っていた怒りに火を点けられ、戦後すぐの時点まで遡ってやり直すことを国民全体レベルで考え始めているのではないか。
今後もやることは満載であるが、やっと「山が動き出した」ような感じがしているところである。
Posted by 残心 - 2014.08.25,Mon
ある程度定期的に、「状況を俯瞰して整理してみよう」と考えてのコラムを綴ってみることにします。
(タイトルの「俯瞰抄」は、不干渉と不感症に掛かっているが、そう深い意味はないつもり)
◆(時事に関する)ブログ記事の選択 (ウェブリブログ作成時 http://zansin.at.webry.info/)
記事の選択判断は、タイムリーであること、話題性があること、なども考慮してはいますが、「報道に踊らされないこと」に注意するよう心掛けています。
基本的にマスコミは信用できません。
ウソや捏造報道をするか、または大事な情報は流さないことが非常に頻繁なようです。
新聞では朝日・毎日、場合によっては他紙もすべて、テレビではNHKやTBS、フジ、場合によっては他局もすべて信用できません。
雑誌についても、新聞・テレビなどの批判などをする一方、時には毒にもなり、違った意味で信用できません。
民間企業がスポンサー寄りに報道するのはまだ分かるのですが、NHKのようなほぼ国営放送でさえ「反日」「自虐史観」満載の報道姿勢なのは到底理解できません。
これら国内報道などの問題はGHQの占領政策(ウォー・ギルド・何ちゃろ)によるものが主な原因でしょう。
来年はもう戦後70年になろうとするここ現在に至っても続いているのは驚きですが、何とかすべき時であり、民族的に過去の伝統を守れる限界にきていると思っています。
また、海外報道も同じく信用できません。
日本における報道は言うまでもなく、元の海外でさえウソや捏造報道をするか、または大事な情報は流さないことが頻繁に行われていると考えてます。
結局、情報当局はつかんだ情報を自分たちで選んで編集して脚色して報道できるのです。
多くの場合、スポンサーや圧力団体などの一部勢力の思惑に応じて報道されるものと考えた方がよさそうです。
しかし我々は普段はそれぞれ仕事などに従事しているわけで、個人で情報を得る手段としてはマスコミに頼らざるを得ない状況にあります。
なのにマスコミは信用できない。
我々は初めから不利な立場であることを承知したうえで、その都度、情報の真偽を検討しながら付き合っていくしかないようです。
これらを考慮して、当ブログの報道記事は以下のことを基準に選択しています。
最近のもので例をあげると、ウクライナ問題、イラク情勢、イスラエル情勢、マレーシア航空機、STAP細胞、飛鳥麻薬事件、猪瀬都知事公職選挙法違反などです。
もちろん全部が全部信用できないと言っているわけではなく、一部の真実のみしか伝えていないとか、大事なことを報道してないなどがあると思っています。
このような考えを基に記事を選択しているため、タイムリー性を欠いたり、話題になっていることが出てこない、ということがよくあると思いますが、ご了承いただきたいと思っています。
(タイトルの「俯瞰抄」は、不干渉と不感症に掛かっているが、そう深い意味はないつもり)
◆(時事に関する)ブログ記事の選択 (ウェブリブログ作成時 http://zansin.at.webry.info/)
記事の選択判断は、タイムリーであること、話題性があること、なども考慮してはいますが、「報道に踊らされないこと」に注意するよう心掛けています。
基本的にマスコミは信用できません。
ウソや捏造報道をするか、または大事な情報は流さないことが非常に頻繁なようです。
新聞では朝日・毎日、場合によっては他紙もすべて、テレビではNHKやTBS、フジ、場合によっては他局もすべて信用できません。
雑誌についても、新聞・テレビなどの批判などをする一方、時には毒にもなり、違った意味で信用できません。
民間企業がスポンサー寄りに報道するのはまだ分かるのですが、NHKのようなほぼ国営放送でさえ「反日」「自虐史観」満載の報道姿勢なのは到底理解できません。
これら国内報道などの問題はGHQの占領政策(ウォー・ギルド・何ちゃろ)によるものが主な原因でしょう。
来年はもう戦後70年になろうとするここ現在に至っても続いているのは驚きですが、何とかすべき時であり、民族的に過去の伝統を守れる限界にきていると思っています。
また、海外報道も同じく信用できません。
日本における報道は言うまでもなく、元の海外でさえウソや捏造報道をするか、または大事な情報は流さないことが頻繁に行われていると考えてます。
結局、情報当局はつかんだ情報を自分たちで選んで編集して脚色して報道できるのです。
多くの場合、スポンサーや圧力団体などの一部勢力の思惑に応じて報道されるものと考えた方がよさそうです。
しかし我々は普段はそれぞれ仕事などに従事しているわけで、個人で情報を得る手段としてはマスコミに頼らざるを得ない状況にあります。
なのにマスコミは信用できない。
我々は初めから不利な立場であることを承知したうえで、その都度、情報の真偽を検討しながら付き合っていくしかないようです。
これらを考慮して、当ブログの報道記事は以下のことを基準に選択しています。
・信頼性が高く、社会的に重要だと思われる内容のものよって、いくら話題性があっても信用できない報道にはノータッチとするか、あるいは「単なる個人的な意見」としてしか記事にしておりません。
・マスコミはあまり伝えないが、重要だと思われる内容のもの
・マスコミの報道が偏向していると想われる内容のもの
最近のもので例をあげると、ウクライナ問題、イラク情勢、イスラエル情勢、マレーシア航空機、STAP細胞、飛鳥麻薬事件、猪瀬都知事公職選挙法違反などです。
もちろん全部が全部信用できないと言っているわけではなく、一部の真実のみしか伝えていないとか、大事なことを報道してないなどがあると思っています。
このような考えを基に記事を選択しているため、タイムリー性を欠いたり、話題になっていることが出てこない、ということがよくあると思いますが、ご了承いただきたいと思っています。
Posted by 残心 - 2014.07.31,Thu
◆中国 周永康氏失脚
周氏が失脚するようである。
・【周永康氏失脚】親族ら拘束300人超 (産経)
中国のことだから出てくる情報のどこまでが本当かわからないが、「親族や部下ら300人以上が拘束され、差し押さえられた資産は900億元(約1兆5千億円)を超える」って、さすが、半端じゃない。
あまりの不平等に、最近では、中国に今必要なのは「共産主義」だ、などとも言われているようだ。
個人的には日本の政策には注目していても政局はあまり興味がない方であるが、どうも最近の中国共産党は政局のみで動くのではないかと思われる。
世界の二大体制として「資本主義」と「共産主義」という時代があったが、どちらも同じような結末となってきているようである。
「資本主義」は新自由主義によって一部の企業および資産家に富と権力が集中することになっている。
「共産主義」は自ずから共産党内部に富と権力が集中することになっている。
どちらも少数の一部に富と権力が集中し、激しい不平等な社会を形成するということが共通した結果のようである。
プラトンが言うように「哲人」による政治が理想なのかもしれないが、「哲人」も一代限りであり何代もそんな「哲人」は現れないであろう。
現在の民主主義と呼ばれるものはすぐに衆遇政治に陥りやすく、共産党も推して知るべしである。
世界は未来に向かって目指すべき体制を見失ってしまったのではないのか。
もしも日本の歴史から体制を考える軸として用いることができるとすれば、「シラス」と「ウシハク」の違いであろうか。
日本は天皇を戴く「シラス国」であり、他の国々は権力者が国を私物化できる「ウシハク国」である。
日本の現状はかなり危うい状態であるが、辛うじて「シラス国」のままのようである。
その歴史があるからその状態なのであるから、他国がすぐに「シラス国」になれるかは難問ですね。
この話はまた改めていつかやりたいと思います。
◆「談合」は悪なのか?
土木チャンネルで藤井聡氏による、「「談合」は、悪なのか?」という話が興味深かった。
昔の仕事でしばらくの間、工事契約の仕事に携わっていた関係で、個人的にちょっとウルサイ分野である。
現在は国や地方公共団体の少し高額な工事になると、WTO(世界貿易機関)によって政府調達契約を行うこととなっている。
条件などを英文も併せて官報に載せ、入札までにかなりの期間を取って、それについての専門委員会などの運営も必要となる。
業者の方もたくさんの書類作成が必要となる。
これによって、最も安価で、条件を最低限満たす企業が落札することになる。
もっとも、条件はある程度発注者側で示せるのだが、それが最低の条件になるのである。
条件を満たせるなかで、コストをなるだけ絞っていった価格が入札価格となる。
こんなことを何年もやっていたら、デフレになるのは当たり前でしょ。
業者も落札しても喜んでいるのやらって感じである。
当時仕事として係わっていたが、誰のためにもなっていないというのをひしひしと感じていた。
こんなやり方でイイワケない、と思ってましたが、今回の藤井先生の話はとても腑に落ちるものでした。
やはり日本式で、良い方法があったのですね。使えずにもったいない。
ちなみに同じくWTOの政府調達契約で、清掃契約(そうじ)などは以前契約していた業者が落札できなくなって、代わりに落札した業者が明らかに雑で非常識なやり方だったが、契約した仕様書の範囲でしか指導できないため、かなりのレベルダウンだったが、当時は安ければ良い、という風潮だったのでどうしようもなかった。
業者側にも積み上げてきた技や技術があったのですが、最低限の仕様の範囲を越える(書類上出てこない)ため考慮されない。
こうやって、日本では当たり前にあった素晴らしい技の数々が、安い方が良いってことでたくさん失われていったと思われます。
周氏が失脚するようである。
・【周永康氏失脚】親族ら拘束300人超 (産経)
中国のことだから出てくる情報のどこまでが本当かわからないが、「親族や部下ら300人以上が拘束され、差し押さえられた資産は900億元(約1兆5千億円)を超える」って、さすが、半端じゃない。
あまりの不平等に、最近では、中国に今必要なのは「共産主義」だ、などとも言われているようだ。
個人的には日本の政策には注目していても政局はあまり興味がない方であるが、どうも最近の中国共産党は政局のみで動くのではないかと思われる。
世界の二大体制として「資本主義」と「共産主義」という時代があったが、どちらも同じような結末となってきているようである。
「資本主義」は新自由主義によって一部の企業および資産家に富と権力が集中することになっている。
「共産主義」は自ずから共産党内部に富と権力が集中することになっている。
どちらも少数の一部に富と権力が集中し、激しい不平等な社会を形成するということが共通した結果のようである。
プラトンが言うように「哲人」による政治が理想なのかもしれないが、「哲人」も一代限りであり何代もそんな「哲人」は現れないであろう。
現在の民主主義と呼ばれるものはすぐに衆遇政治に陥りやすく、共産党も推して知るべしである。
世界は未来に向かって目指すべき体制を見失ってしまったのではないのか。
もしも日本の歴史から体制を考える軸として用いることができるとすれば、「シラス」と「ウシハク」の違いであろうか。
日本は天皇を戴く「シラス国」であり、他の国々は権力者が国を私物化できる「ウシハク国」である。
日本の現状はかなり危うい状態であるが、辛うじて「シラス国」のままのようである。
その歴史があるからその状態なのであるから、他国がすぐに「シラス国」になれるかは難問ですね。
この話はまた改めていつかやりたいと思います。
◆「談合」は悪なのか?
土木チャンネルで藤井聡氏による、「「談合」は、悪なのか?」という話が興味深かった。
昔の仕事でしばらくの間、工事契約の仕事に携わっていた関係で、個人的にちょっとウルサイ分野である。
現在は国や地方公共団体の少し高額な工事になると、WTO(世界貿易機関)によって政府調達契約を行うこととなっている。
条件などを英文も併せて官報に載せ、入札までにかなりの期間を取って、それについての専門委員会などの運営も必要となる。
業者の方もたくさんの書類作成が必要となる。
これによって、最も安価で、条件を最低限満たす企業が落札することになる。
もっとも、条件はある程度発注者側で示せるのだが、それが最低の条件になるのである。
条件を満たせるなかで、コストをなるだけ絞っていった価格が入札価格となる。
こんなことを何年もやっていたら、デフレになるのは当たり前でしょ。
業者も落札しても喜んでいるのやらって感じである。
当時仕事として係わっていたが、誰のためにもなっていないというのをひしひしと感じていた。
こんなやり方でイイワケない、と思ってましたが、今回の藤井先生の話はとても腑に落ちるものでした。
やはり日本式で、良い方法があったのですね。使えずにもったいない。
ちなみに同じくWTOの政府調達契約で、清掃契約(そうじ)などは以前契約していた業者が落札できなくなって、代わりに落札した業者が明らかに雑で非常識なやり方だったが、契約した仕様書の範囲でしか指導できないため、かなりのレベルダウンだったが、当時は安ければ良い、という風潮だったのでどうしようもなかった。
業者側にも積み上げてきた技や技術があったのですが、最低限の仕様の範囲を越える(書類上出てこない)ため考慮されない。
こうやって、日本では当たり前にあった素晴らしい技の数々が、安い方が良いってことでたくさん失われていったと思われます。
Posted by 残心 - 2014.07.26,Sat
大東亜戦争が終結してから70年が経とうとしているが、いまだに中国は「南京大虐殺」を、韓国は「いわゆる従軍慰安婦」を世界に訴えて日本へ圧力をかけており、ともに捏造であるのは明らかとなっているが、日本としてはどう対応すればいいのかが問題となっている。
これらの中韓の主張は、日本へ圧力をかけるための道具でしかなく「ウソ」であるが、このような歴史認識は何も中韓のみがオカシイのではなく、西欧諸国などが植民地政策の中で行ってきたこと、米国が戦時中日本にしてきたことなど、日本以外の先進国などはほぼ全てが、本当の歴史は語れないであろう「残忍な歴史」を持っている。
日本と植民地にされて歴史を奪われた国々ぐらいしか、まともに「語れる歴史」を持っている国はないようだ。
日本では内戦においても庶民を大虐殺したなどということは、あっても稀であり、まして他国で戦争はしても大虐殺を行ったという事実はない。
確かに島原の乱などでは日本史上稀な虐殺があったようだが、これらは特殊事情があったレアケースと見てよさそうである。
西欧諸国が植民地時代に南米やアフリカ、およびアジア諸国で行っていたことなどは、以前のそれぞれの国の文化文明を消し去ってしまったことが示しているとおり、現在において決して語れないことばかりだと考えられる。
中国の歴史は「征服の歴史」と言ってもいいほど、戦争による残虐な過去を持っており、韓国はその属国であったのである。
よって、「歴史」というのは日本人が思っているものと、世界で認識されている「歴史」とは「別のもの」と考えた方がよさそうである。
日本は中韓がウソの歴史を広めようとするのを、「おかしい」と思っているが、それは世界的には「普通のこと」であり、戦勝国が有利なように歴史は書き換えられ、不利でおぞましい過去はなかったことにされるのが普通のことなのである。
日本人は「歴史に学ぶ」などと言って、過去の歴史に対して謙虚に向き合おうとするが、それは過去の歴史がマットウな歴史だからできるのであり、世界ではそんなことはどこもやっていない。
これは日本のすばらしさであり、また日本人が「世界の常識」を間違って認識させる原因となっているようである。
日本と世界の「歴史認識についての違いを認識」しなければ、どこまでも議論がかみ合わない。
これらの中韓の主張は、日本へ圧力をかけるための道具でしかなく「ウソ」であるが、このような歴史認識は何も中韓のみがオカシイのではなく、西欧諸国などが植民地政策の中で行ってきたこと、米国が戦時中日本にしてきたことなど、日本以外の先進国などはほぼ全てが、本当の歴史は語れないであろう「残忍な歴史」を持っている。
日本と植民地にされて歴史を奪われた国々ぐらいしか、まともに「語れる歴史」を持っている国はないようだ。
日本では内戦においても庶民を大虐殺したなどということは、あっても稀であり、まして他国で戦争はしても大虐殺を行ったという事実はない。
確かに島原の乱などでは日本史上稀な虐殺があったようだが、これらは特殊事情があったレアケースと見てよさそうである。
西欧諸国が植民地時代に南米やアフリカ、およびアジア諸国で行っていたことなどは、以前のそれぞれの国の文化文明を消し去ってしまったことが示しているとおり、現在において決して語れないことばかりだと考えられる。
中国の歴史は「征服の歴史」と言ってもいいほど、戦争による残虐な過去を持っており、韓国はその属国であったのである。
よって、「歴史」というのは日本人が思っているものと、世界で認識されている「歴史」とは「別のもの」と考えた方がよさそうである。
日本は中韓がウソの歴史を広めようとするのを、「おかしい」と思っているが、それは世界的には「普通のこと」であり、戦勝国が有利なように歴史は書き換えられ、不利でおぞましい過去はなかったことにされるのが普通のことなのである。
日本人は「歴史に学ぶ」などと言って、過去の歴史に対して謙虚に向き合おうとするが、それは過去の歴史がマットウな歴史だからできるのであり、世界ではそんなことはどこもやっていない。
これは日本のすばらしさであり、また日本人が「世界の常識」を間違って認識させる原因となっているようである。
日本と世界の「歴史認識についての違いを認識」しなければ、どこまでも議論がかみ合わない。
Posted by 残心 - 2014.07.07,Mon
●情報の視方について
情報の捉え方について自分の頭を整理する意味もあって、例えば「集団的自衛権」で考えてみようと思う。最近マスコミ等でこの問題がカマビスシイが、この行方によって今後の日本の防衛を大きく変えるそうである。
勝手な解釈で大きく捉えると、以下のような図を考えるとわかりやすいのではないかと考える。
かなり無理がある分類であるが、「例え」としてこらえていただきたい。
これを前提としたところで話を進める。
上記の分類のうちメディアを通じての情報発信者は「反対派の確信犯」と「賛成派の利権組」であろう。
その他ネットなどを通じての発信者も近年影響力が増大しているが、ネットの影響力はまだ少ないのではないだろうか。
通常の社会人は多忙であり、情報を集めて分析するような余裕は有していないのが実状であるはずだ。 そして一般に情報の受け止め方というのは、意外と第一印象が大きいと考えている。
ゆえに新聞・テレビ等で見た情報が、その人の見識を形成してしまう。
メディア等はその道のプロであるので、この「反対派の確信犯」と「賛成派の利権組」の記事または映像を見るとさすがに見せ方が上手く、分かりやすさを重視している。
よって少ない時間の中でこれを見て判断するとなると、その見た側の意見に染まってしまうのは仕方がないことである。
たまたま見たテレビで、「自衛隊が戦争に参加させられてしまう」などと煽られると、「それはいけない」なんて思う瞬間があったりする。
何が言いたいのかというと、常に「自分なりの視点」を持っていないと、結局見たり聞いたりした情報にただ翻弄されるだけになってしまう、ということである。
だから問題に関わる以前に、「基本的な考え方というのがないと流されるだけですよ」ということである。
自分は集団的自衛権の問題に関して言えば、その議論自体にあまり関心がない。
「戦争できない国」であれば攻めた国に蹂躙されるがままであり、その攻撃国は外国の批判をどうかわすかだけが問題になる。
攻める国にとっては、「戦争できない国」があるのは大変幸運なことであろう。
悲惨な目に遭いたくなければ「戦争できる国」は当たり前で、それを戦争するという行動に移すかどうか、それが各国の問題なのである。
「憲法改正」「核武装」そして「平和主義」というのが、当ブログの基本的な考え方である。
そして「自分なりの視点」は、「困ったら大事なものを守る方を取る」ということである。
これを一般的に「保守」というのではないかと思います。

情報の捉え方について自分の頭を整理する意味もあって、例えば「集団的自衛権」で考えてみようと思う。最近マスコミ等でこの問題がカマビスシイが、この行方によって今後の日本の防衛を大きく変えるそうである。
勝手な解釈で大きく捉えると、以下のような図を考えるとわかりやすいのではないかと考える。
集団的自衛権 (自衛権は個別的自衛権と集団的自衛権に分かれているらしい)
<確信犯>戦争できない ― 中.朝.韓.在日.左翼系 =マスコミままにしたい リベラル・左派系
〇反対派
<情緒派>戦争できる国になる ― 左派的な国民 ・ 一般大衆
<利権組>軍需ガラミなど ― 日本を利用したい勢力.軍需産業
右派・保守系
〇賛成派
<保守派>自国防衛が必要 ― 保守的な国民 ・ 一般大衆
かなり無理がある分類であるが、「例え」としてこらえていただきたい。
これを前提としたところで話を進める。
上記の分類のうちメディアを通じての情報発信者は「反対派の確信犯」と「賛成派の利権組」であろう。
その他ネットなどを通じての発信者も近年影響力が増大しているが、ネットの影響力はまだ少ないのではないだろうか。
通常の社会人は多忙であり、情報を集めて分析するような余裕は有していないのが実状であるはずだ。 そして一般に情報の受け止め方というのは、意外と第一印象が大きいと考えている。
ゆえに新聞・テレビ等で見た情報が、その人の見識を形成してしまう。
メディア等はその道のプロであるので、この「反対派の確信犯」と「賛成派の利権組」の記事または映像を見るとさすがに見せ方が上手く、分かりやすさを重視している。
よって少ない時間の中でこれを見て判断するとなると、その見た側の意見に染まってしまうのは仕方がないことである。
たまたま見たテレビで、「自衛隊が戦争に参加させられてしまう」などと煽られると、「それはいけない」なんて思う瞬間があったりする。
何が言いたいのかというと、常に「自分なりの視点」を持っていないと、結局見たり聞いたりした情報にただ翻弄されるだけになってしまう、ということである。
だから問題に関わる以前に、「基本的な考え方というのがないと流されるだけですよ」ということである。
自分は集団的自衛権の問題に関して言えば、その議論自体にあまり関心がない。
「戦争できない国」であれば攻めた国に蹂躙されるがままであり、その攻撃国は外国の批判をどうかわすかだけが問題になる。
攻める国にとっては、「戦争できない国」があるのは大変幸運なことであろう。
悲惨な目に遭いたくなければ「戦争できる国」は当たり前で、それを戦争するという行動に移すかどうか、それが各国の問題なのである。
「憲法改正」「核武装」そして「平和主義」というのが、当ブログの基本的な考え方である。
そして「自分なりの視点」は、「困ったら大事なものを守る方を取る」ということである。
これを一般的に「保守」というのではないかと思います。

Posted by 残心 - 2014.06.14,Sat
◆年金積立金のリスク運用
GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が株式などリスクをとって運用する方針だそうです。
「運用委員会は、専門家が運用について専門的かつ客観的に検討する場であり、米澤氏をはじめとする有識者はそのために集められている」とのことだが、運用の判断が政治圧力によって歪められるのでは、運用委員会は必要ない。
ナントカ会議が自分たちの利益になる政策を進めるのとは、この件は違っているが、本来の趣旨に沿っていないのは共通するところだろう。
年金自体が少子高齢化で危ないのに、リスクをとって運用しうまくいけばいいのだが、大損する可能性だってある。
その時はどうするのだろうか。
破綻しそう、ではなく破綻決定になる。
やっぱり諦めて年金不払いにしょっかなぁ~。
△今日の踊り場
スピッツ「ロビンソン」です。
ギターのサウンドが抜群。
デビュー当時からなつかしい感じの曲だったのは不思議です。
GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が株式などリスクをとって運用する方針だそうです。
・GPIF、年金積立金のリスク運用増めぐり常識を逸脱 政治圧力で機能停止した運用委員会 (Business Journal )「消費税率引き上げの影響等で株価が低迷した場合、政府がGPIFの資金を「株価対策」「為替レート対策」に使うのではないか」などの憶測がある。
「運用委員会は、専門家が運用について専門的かつ客観的に検討する場であり、米澤氏をはじめとする有識者はそのために集められている」とのことだが、運用の判断が政治圧力によって歪められるのでは、運用委員会は必要ない。
ナントカ会議が自分たちの利益になる政策を進めるのとは、この件は違っているが、本来の趣旨に沿っていないのは共通するところだろう。
年金自体が少子高齢化で危ないのに、リスクをとって運用しうまくいけばいいのだが、大損する可能性だってある。
その時はどうするのだろうか。
破綻しそう、ではなく破綻決定になる。
やっぱり諦めて年金不払いにしょっかなぁ~。
△今日の踊り場
スピッツ「ロビンソン」です。
ギターのサウンドが抜群。
デビュー当時からなつかしい感じの曲だったのは不思議です。
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