自由主義と共産主義の間、グローバリズムとナショナリズムの間の今は何処? <外道たちの最中で> 切ない事情
Posted by 残心 - 2015.01.10,Sat
青木先生が今年の見通しをズバッと斬り込んでます。
・財政均衡主義 ------ 財務省
・通貨の信認論 ------ 日銀
・新自由主義的政策論 --- 政財界
これらが邪魔をしていて、デフレから脱却できないようです。
経済的にはこれからさらに悪い結果が出てくるらしいので、早く間違いを認めて方針転換してもらいたいですが無理でしょうか?
・【青木泰樹】日本経済の行方 (三橋貴明の「新」日本経済新聞)「デフレ不況の3モーメント」
<一部抜粋>
「失われた10年ないしは20年」と言われた日本経済の長期的停滞は、三つの経済思想が各々の経済権力と結びついたことによって生じた人災であったと私は考えております。
具体的には、財務省と結合した財政均衡主義、日銀と結合した通貨(もしくは国家)の信認論、政財界と結合した新自由主義的政策論(ネオリベ政策論)です。それらを経済に逆回転を与える「デフレ不況の3モーメント」としておきましょう。
(http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/01/10/aoki-10/)
・財政均衡主義 ------ 財務省
・通貨の信認論 ------ 日銀
・新自由主義的政策論 --- 政財界
これらが邪魔をしていて、デフレから脱却できないようです。
経済的にはこれからさらに悪い結果が出てくるらしいので、早く間違いを認めて方針転換してもらいたいですが無理でしょうか?
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Posted by 残心 - 2015.01.08,Thu
日本人は気付いてないかもしれませんが、格差があるのは当たり前で、むしろ格差がある方が良いと思っている人たちは以外とたくさんいるようです。
安倍政権の経済政策は、どうもおかしいような?
政策の意図がいま一つ分かりませんよね。
・日本の格差問題の本質 (田村秀男の「経済がわかれば世界が見える」)ことしは日本でも格差是正に向けた議論が高まりそうだが、問題の本質はどこにあるだろうか。まず、仏経済学者のトマ・ピケティは世界的なベストセラー「21世紀の資本」で「資本収益率が産出と所得の成長率を上回るとき、資本主義は自動的に、恣意的で持続不可能な格差を生み出す」(邦訳本=みすず書房刊=の内容紹介から)と断じている。それを「ピケティの定理」と名付けよう。最近の日本はどうか、さっそくデータを調べてみた。まずは、法人企業統計(財務省)からとった総資本経常利益率を「資本収益率」に、国内総生産(GDP)の実質成長率を「産出と所得の成長率」にみなして、それらの推移を追ってみた。すると、興味深いことに1997年度以降、資本収益率が実質成長率を一貫して上回っているではないか。それまではおおむね成長率のほうが収益率を上回ってきた。下回ったときは石油危機、プラザ合意による急激な円高、90年代前半のバブル崩壊というふうな「ショック効果」と言うべきで、成長率は1,2年で元通り収益率を上回る軌道に回帰している。ピケティの定理を前提にするなら、日本経済は97年度以降、「格差」の時代に突入したことになる。
97年度と言えば、橋本龍太郎政権が消費税増税と公共投資削減など緊縮財政路線に踏み切り、日本経済は一挙に慢性デフレ局面にはまりこみ、今なお抜け出られないでいる。経済の実額規模である名目GDPは2013年度、97年度に比べて7.3%、38兆円のマイナス、国民一人当たりで年間3万円も少ないのだ。
「デフレは企業者の生産制限を導き、労働と企業にとって貧困化を意味する。したがって、雇用にとっては災厄になる」と、かのケインズは喝破したが、格差拡大所得の元になるGDPが縮小してみんな等しく貧しくなるわけではない。デフレは格差拡大の元凶である。一般に現役世代の賃金水準が下がるのに比べ、預金など金融資産を持っている富裕層はカネの価値が上がるのでますます豊かになる。給付水準が一定の年金生活者は有利だし、勤労者でも給与カットの恐れがない大企業や公務員は恵まれている。デフレで売上額が下がる中小企業の従業員は賃下げの憂き目にあいやすい。デフレは円高を呼び込むので、生産の空洞化が進み、地方経済は疲弊する。若者の雇用の機会は失われる。慢性デフレの局面でとられたのが「構造改革」路線である。モデルは米英型「新自由主義」である。1997年の金融自由化「ビッグバン」で持ち株会社を解禁した。2001年に発足した小泉純一郎政権は、日銀による量的緩和とゼロ金利政策で円安に誘導して輸出部門を押し上げる一方で、郵政民営化で政治的な求心力を高め、米国からの各種改革要求に応じた。製造業の派遣労働解禁(2004年)など非正規雇用の拡大、会社法(2006年)制定など株主中心主義への転換などが代表例だ。法人税制は98年度以降、2002年度までに段階的に改正され、持ち株会社やグローバルな企業の事業展開を後押ししている。小泉政権までの自由化・改革路線は外国の金融資本の対日投資を促す一方で、日本の企業や金融機関の多国籍化を促すという両側面で、日本経済のグローバル標準への純化路線であり、それを通じて大企業や金融主導で日本経済の再生をもくろむ狙いがあった。結果はどうか。全企業が従業員給与100に対してどれだけ配当に回しているかを年度ごとにみると、1970年代後半から2001年度までは3前後(資本金10億円以上の大企業は7台)だった。この比率は、02年度からは徐々に上昇し、03年度は11.5(同32)と飛躍的に高まった。小泉改革路線は伝統的な従業員中心の日本型資本主義を株主資本主義に転換させたのだ。この構図は、従業員給与を可能な限り抑制して利益を捻出し、株主配当に回す、グローバル標準の経営そのものである。このパターンでは経済成長率を押し上げる力が弱い。GDPの6割を占める家計の大多数の収入が抑えられるからだ。名目賃金上昇率から物価上昇率を差し引いた実質賃金上昇率は97年以降、ほぼ一貫してマイナスである。賃金はマイナス、配当はプラスという、株主資本主義は機関投資家や海外の投資ファンドを引きつけても、実体経済の回復に貢献するとは考えにくい。需要減・デフレ・賃金下落という悪循環だけが残る。そこで、安倍晋三首相が追求する一部の政策には重大な疑問が生じる。まず、法人税実効税率の引き下げだが、巨大な配当収入に対する課税を免れる多国籍大企業や金融大手の法人諸税の負担率は極端なまでに低い。これらの法人向け減税は、配当を求める株主資本主義の欲望を満たすだけではないか。首相が経団連首脳に賃上げを求めるのは悪くない。だが、首相が口先介入して、おいそれと応じる企業の経営者はこれまで一体何をしてきたのか、と外部からは不思議がられるだろう。安倍首相が本格的に取り組むべきは、これまで20年近くに渡って日本経済の路線となってきた新自由主義に決別し、格差社会の勝者を太らせる政策を廃棄し、旧世代や新世代を支え、養う現役世代を勝者にさせる政策への転換ではないか。
安倍政権の経済政策は、どうもおかしいような?
政策の意図がいま一つ分かりませんよね。
Posted by 残心 - 2015.01.03,Sat
三橋氏が、シンプルに必要な経済政策を提案してくれてます。
現在、安倍政権で行われている経済政策は、規制緩和を強化して、外国人受入で賃金切り下げして、公共投資を縮小する、ということのようです。
これでは、デフレ脱却どころかデフレ推進政策では?
安倍さんが悪いのか、まわりの連中が悪いのか、我々には判断できませんが、このままで良いはずはありません。
本気で景気を良くしようと思っている政治家は、実はいないのか?
・【三橋貴明】経済時事 (三橋貴明の「新」日本経済新聞)
<一部抜粋>
『 我が国にとって必要な政策は、三つ。
「外国移民受入や労働規制緩和に代表される、賃金切り下げ政策は実施しない」
「デフレから速やかに脱却する」
「人手不足に端を発するインフレギャップを、日本国民の【生産性向上】によって埋める」
これだけなのです。
______________
現在の日本政府が採るべき政策、
「不要な労働規制の緩和は実施せず、将来の生産性向上のために民間や政府が投資を拡大し、現在のデフレギャップを埋める」
が導き出されるわけです。 』
現在、安倍政権で行われている経済政策は、規制緩和を強化して、外国人受入で賃金切り下げして、公共投資を縮小する、ということのようです。
これでは、デフレ脱却どころかデフレ推進政策では?
安倍さんが悪いのか、まわりの連中が悪いのか、我々には判断できませんが、このままで良いはずはありません。
本気で景気を良くしようと思っている政治家は、実はいないのか?
Posted by 残心 - 2014.10.13,Mon
税金というのは、公共サービスと所得分配のためにあるのではなかったか?
こんなことは一般には知られることはないだろう。
日本は何か以前とは違う国になってきているように感じる。
一方では、以下のような報道もあった。
・在日特権の1つ所得税なし(6割が海外親族の扶養控除制度を悪用し全額還付)がようやく見直しへ
(COFFEEのブログ)
「大企業と外国人は優遇されて、一般庶民からは絞り取る」という政策が現在行われているということか?
とりあえず、「企業長者番付の復活」、および「外国人の扶養控除制度の見直し」をしてもらうことから始めましょうか。
・ソフトバンクの税負担は利益の0.006%! 大企業は法人税を払ってなかった (LITERA)
1位:三井住友フィナンシャルグループ、2位:ソフトバンク、3位:みずほフィナンシャルグループ、4位:三菱UFJフィナンシャル・グループ、5位:みずほコーポレート銀行
これらは、2013年3月期の税金の負担率が低かった大企業の上位5社だ。通常、企業の所得に対してかかる法人税、法人住民税、法人事業税の合計の割合「法定実効税率」は決まっており、2013年事業年度は一律38.01%(資本金1億円超の場合)だった。
しかし、すべての企業が単純に利益の38.01%の税金を払うわけではない。各社は租税特別措置による優遇税制や国際的な節税スキームを駆使することなどにより、課税べースである課税所得を大幅に縮減させている。このため、実際に払っている税金は想像以上に少なく、その実際の負担割合である「実効税負担率」は名目の「法定実効税率」38.01%の何分の一、何十分の一という企業も少なくない。
たとえば、税負担率の低い大企業1位の三井住友フィナンシャルグループは税引前純利益1479億8500万円であるにもかかわらず、法人税等支払額はなんと300万円。実効税負担率は0.002%にすぎない。
また、税負担率の低い大企業2位のソフトバンクは税引前純利益788億8500万円をあげながら、法人税等支払額は500万円。実効税負担率は0.006%。
他にも、税負担率の低い企業は有名企業が目白押しだ。冒頭であげた三井住友やみずほ、三菱UFJといった金融系の大企業のほかに、7位にはカジュアル衣料品のユニクロを手掛けるファーストリテイリングが名をつらねているが、同社の税引前純利益756億5300万円に対して、法人税等支払額は52億3300万円で実効税負担率は6.92%。8位はプロ野球チームも所有する金融サービス会社・オリックスだが、税引前純利益1725億1800万円であるにもかかわらず、法人税等支払額は210億100万円で実効税負担率は12.17%である。
こうした事実を明らかにしたのは『税金を払わない巨大企業』(富岡幸雄/文春新書)。中央大学名誉教授である著者は「税の専門家」として、企業負担が軽すぎる日本の税制の不公平さを指摘してきた。
「大企業がこれらの税金を支払っていれば、消費税を増税するどころか、そもそも消費税の導入さえ必要なかったでしょう。日本の財政赤字もこれほど巨額にならなかったと私は考えています」(同書より)
こうした優遇を受けているにもかかわらず、さらに、経済界や大企業の経営者たちは「国際競争に打ち勝つために法人税減税が必要不可欠」と引き下げ要求をしている。
たとえば、「法人税を下げ、国内雇用につなげる政策が必要だ」(みずほフィナンシャルグループの佐藤康博執行役社長、13年1月の産業競争力会議で)、「企業の競争力をそぐような議論さえある。日本では法人税の実効税率は40%にもなる。ドイツ、イギリス、中国や韓国は20%台。(略)企業に『日本から出ていけ』といっているのと同じだ」(ファーストリテイリングの柳井正代表取締役会長兼社長、10年5月「朝日新聞 be」)などといった声だ。
しかし、みずほフィナンシャルグループは実効税負担率の低い大企業3位で、税引前純利益2418億9700万円であるにもかかわらず、法人税等支払額は2億2600万円で実効税負担率は0.09%にすぎない。
「(ファーストリテイリングも実効負担率は)柳井氏が例としてあげた『ドイツ、イギリス、中国や韓国』の法人税率(20%台)の3分の1以下なのです。『競争できるはずがない』とおっしゃるわりには、(略)柳井氏は日本でトップの大富豪です。一般の人は、今の法人税でも、『充分すぎるほど競争できている』から、大富豪になれたと考えるでしょう」(同書より)
ところが、こうした財界の声を受けて、安倍政権はさらに法人税を引き下げるらしい。経済財政運営の基本方針「骨太の方針」(14年6月)に「法定実効税率」を15年度から数年以内に20%台に引き下げることを盛り込んでいる。そして、一方では消費税を10%に引き上げるべく着々と準備を進めている。
つまり、政府はこれから先、さらに大企業を優遇する一方で、そのしわ寄せを消費税という形で消費者に負担させようとしているのだ。そして、大企業やその経営者たちはそれが当然という認識で、自分たちに納税の社会的責任があるという自覚をまったくもたなくなってしまった。
こうした傾向に危機感をもつ著者の富岡氏は、企業の納税行動の透明化を提案する。
「『法人企業の申告所得金額の公示制度』(企業長者番付)を復活させ、あわせて納税額を開示する制度を設けることを提案します。企業長者番付は、2006年、個人情報保護を口実になくされた高額納税者番付とともに廃止されてしまったからです(略)そうすれば、大企業の経営者も、社会的責任について自覚するでしょう。大企業の経営者には、今一度、国家とは何か、企業の社会的責任とは何か、ということを考え直してもらいたいと思います」(同書より)
9月9日には、日本経団連が自民党への「政治献金再開」を表明しているが、政治献金の前に税務署に法人税(法定実効税率)を納めるのがスジだろう。
(小石川シンイチ) 』
こんなことは一般には知られることはないだろう。
日本は何か以前とは違う国になってきているように感じる。
一方では、以下のような報道もあった。
・外国人の扶養控除制度の見直し要求へ (NHKニュースWEB)
『 外国人と結婚した日本人や、海外に家族を残して日本で働く外国人の扶養控除の状況について、会計検査院が調べたところ、扶養する家族が多いために控除額が高くなりすぎて、所得税が課税されていない人が全体の6割近くに上ることが分かりました。
会計検査院は財務省に対して外国人の扶養控除の制度の見直しを検討するよう求めることにしています。
会計検査院は、外国人と結婚した日本人や、海外に家族を残して日本で働いている外国人のうち、扶養控除の額が年間300万円以上と多額のおよそ1400人の扶養控除の状況について調べました。その結果、扶養家族の人数は、平均で10.2人に上り、中には26人が扶養家族になっているケースもありました。
また、扶養家族を年齢別で見てみると、23歳から60歳未満の「成人」の占める割合が半数に上っていました。
さらに、扶養する家族が多いために扶養控除の額が高くなりすぎて、結果的に所得税が課税されていない人はおよそ900人で、全体の6割近くに上ることが分かりました。
会計検査院は、外国人は扶養家族が多くなる傾向があるうえ、その家族の所在確認も海外にいるために難しいとして、財務省に対して、外国人の扶養控除の制度の見直しを検討するよう求めることにしています。 』
・在日特権の1つ所得税なし(6割が海外親族の扶養控除制度を悪用し全額還付)がようやく見直しへ
(COFFEEのブログ)
「大企業と外国人は優遇されて、一般庶民からは絞り取る」という政策が現在行われているということか?
とりあえず、「企業長者番付の復活」、および「外国人の扶養控除制度の見直し」をしてもらうことから始めましょうか。
Posted by 残心 - 2014.10.11,Sat
現在、主流となっている経済政策について、青木先生が解説してくれてます。
経済学を大きく分けると、「需要側」 と 「供給側」 に分けられ、現在は 「供給側」 が主流である。
この「供給側の経済学」は、現状分析ができない上、政府の存在を想定していない。
これを取り繕うために以下の3つを利用している。
1 財政均衡主義
2 新自由主義思想
3 トリクルダウン仮説
現在の主流は、 「供給側の経済学」 を利用してあたかも極めて論理的であるかのように見せかけている「学説らしきもの」であり、我々はそれを見抜かないといけないということであるようだ。
・【青木泰樹】これは経済論理ではありません (三橋貴明の「新」日本経済新聞)
『 From 青木泰樹
小判鮫は大きな鮫やクジラに寄生して生きていますから、吸着相手は生存を左右する大事なパートナーです。
しかし、吸着されている側にとっては迷惑至極でしょう。
全く関係ないにもかかわらず、結果的に小判鮫を養っているわけですから。
意外に思われるかもしれませんが、経済学説間にもこうした寄生関係が存在することを本日はお話ししたいと思います。
以前から強調しているように、経済学は一枚岩的な体系ではなく諸学説の集合体です。
大雑把に言って、ケインズに代表される「需要側の経済学」と新古典派に根幹を置く「供給側の経済学」に大別されます。
両者の最大の違いは、理論と現実の関係についての考え方にあります。理論であるからには、ある程度の一般性を要求されますから、抽象化は必然です。
問題は、一般妥当性と抽象化の程度が正の相関関係にあることです。すなわち、妥当する範囲を拡げたければ、抽象度を高めねばならなくなることです。
例えば、このメルマガの読者の皆様全員に当てはまる理屈をつくるためには、全員の個性を捨象しなければなりません。
なぜなら各人の有する個性こそが他者との違いに他ならず、それが一般妥当性の障害になるからです。
それゆえ、有史以来の全ての社会(事象)に妥当する理論は、必然的に抽象度が高くなります。
経済学説に関して言えば、供給側の経済学がこの方向を辿ってきました。自然科学にできるだけ近づきたかったのかもしれません。
結果的に、国家、歴史、文化、慣習、制度といった各国経済を特徴づける一切を捨象した「市場システム」という架空の場を想定し、それを「経済」と考えることにしたのです。
同時に、そこで活動する人間も没個性の同質的主体と想定することにしました。後は、人間に行動を起こさせる誘因としての価値観をこの中に導入すれば、経済は動き出します。
それが「物欲の充足」です。人間は物欲の充足のために生きるものだと。
もちろん、これは社会関係の一切を捨象したことから発する必然的帰結です。残されたものが人とモノ(資源)だけなのですから当然ですね。
ついでながら言うと、経済学でいう社会における「経済的厚生」とは、構成員の物欲の充足度を指す概念です。
皆の物欲が最大限充足されていることが社会にとっての目標ということであって、言葉からイメージされるような社会福祉とか社会的公正といった高尚な理念的意味はありません。
他方、ケインズ経済学の方はどうかと言えば、抽象度があまり高くないのです。
対象を先進諸国の資本主義経済という狭い範囲に限定しているためです。
あまり大風呂敷を広げずに、「この範囲に妥当すれば良しとしましょう」ということです。
その場合、国家や制度等はどうなったかと申しますと、外的与件として処理されます(ちなみに内的与件は、構造パラメーターや外生的政策変数です)。
経済活動の前提として「既にあるもの」と考えるのです。社会があってはじめて経済があるという考え方です(当たり前のようですが、経済学説の中では少数派)。
その想定によって現実とつながる経路が出来るのです。
与件が変化した時どうなるか、もしくは与件の変化が経済活動に如何に影響するかを考えるのが「与件の理論」です。
私の立脚する経済社会学もこの線上にあります。
さらに、人間の想定も現実的です。ケインズ経済学には、供給側の経済学のように同質的な個人を前提とするミクロ理論はありません。
しかし、それは欠点ではなく利点です。それによって多様な価値観を持った、各々個性を有する人間の集団として社会が構成されていると想定できるからです。
このように二大学説は、現実へのアプローチが根本的に違います。
端的に言って、供給側の経済学は、現実経済とは無縁の学問的構築物です。そこには現実経済を分析する領域がありません。
いわば現実分析は守備範囲外ということです。
しかし、供給側の経済学が現代の主流派である以上、それに立脚する経済学者も現実問題に答える必要に迫られます。
その際、さすがに「無いものはない」と開き直れないのです(正直に言う学者も少数いますが)。
「無いものでもある」と強弁せざるを得ない。そこに無理が生じます。
供給側の経済学の欠落した現実分析を埋め合わせるためには、別の論理が必要になります。
そこが学説間の無理な結合や寄生関係が生ずる温床です。
供給側の経済学のルーツはワルラスの一般均衡論です。現代の最新理論もその発展形です(「動学的一般均衡モデル」)。
実は、そこには政府が存在しないのです。論理の始発点に政府がない(ちなみに貨幣もない)。それゆえ経済政策もないのです。ですから現実分析ができないことは当たり前と言えましょう。
その学説は、民間経済における最適資源配分を達成する諸条件を定立する純粋理論なのです。
政府不在、政策不在を取り繕っている理屈は何でしょうか。
それは供給側の論理とは全く別個の論理であって、便宜上、くっついているだけなのです。
すなわち、供給側の経済論理からは演繹できないものなのです。代表的な吸着物(論理)を三つ挙げておきましょう。
第一に、財政均衡主義です。
「入りを量りて出ずるを制す」という考え方に多くの人は納得するでしょう。
しかし、これは個人や企業にとっての行動指針になるとしても、政府に当てはめることができません。
個人の家計と政府の財政を同一視してはならないのです。
個人の寿命はたかだか百年くらいでしょうが、政府は永続化する存在です。それゆえ財政運営方針は中長期的観点から現実経済に悪影響を及ぼさないように策定されるべきものです。
短期的な財政均衡を目指すために現実経済を疲弊させるなど愚の骨頂です。
目的と手段を完全に取り違えている。
財政均衡主義は、一般的な数学モデルの前提条件である予算制約式の経済的表現に他なりません。
「入り」と「出」が一致しないとモデルが発散してしまうという技術論なのです。
それゆえ財政均衡主義の正当性は論証されておりませんし、今後も論証できません。
当然のことです。単に個人の予算制約式の延長上に政府の予算制約式があるとの想定から発したものにすぎないからです。
政府は単なる家計の集合体ではないのです。
ミクロの家計の論理をいくら積み重ねても、社会全体およびその行く末を考える政府の公共の論理を導き出すことはできないのです。
第二に、ミルトン・フリードマンの提唱した新自由主義思想です。
これは供給側の経済学の中核をなす最適資源配分の達成された一般均衡状態を、「経済的自由が完全に達成された状態」と解釈するイデオロギー(究極的価値判断)です。
簡単に言えば、「完全競争市場においては、誰からも強制されることなく自由に好きなものを取引できるから」というのがその理屈です。
このイデオロギーによって、効率を求める競争は自由を獲得するための社会運動と化したのです。すなわち、競争(効率)と自由は同義となったのです。
構造改革論や小さな政府論のような新自由主義的政策は、全てこの新自由主義思想から発したものです。
政府の活動範囲を狭めれば狭めるほど民間の自由が拡大し、それが望ましいとする短絡的な思想です。
しかし、それは政策不在の供給側の経済学に見事にフィットしたのです。
第三に、前回少しふれましたトリクルダウン仮説(政策)です。
金持ちに所得移転すれば貯蓄が増えて経済は成長するという話でしたね。
これは供給側の経済観である「供給側が経済規模を決める(セー法則)」および「貯蓄は全て実物投資される(貯蓄先行説。また貸付資金説も同様のことを想定しています)」を前提に、現実経済に見られる貧富の差の存在を結合した論理構造になっています。
その意味で、純粋理論と現実の脈絡なき結合という典型的な経済論理の濫用パターンと言えます。これは理屈として成り立ちません。
供給側の世界には、現実世界のような貧富の差はありません。
全員が現状に満足しているのです(主体的均衡状態)。既に最適資源配分が達成されている状態です。
そこに政府が政策的に所得配分を変更するとどうなるか。パレート最適(効率性)状態が崩れます。非効率な社会になってしまうのです。どう見ても、これは変ですね。
これまでお話ししたように、供給側の経済学には様々な寄生学説が付着しています。
予算制約式にくっついたり、市場均衡にくっついたり、経済観にくっついたりと色々です。
一見すると、寄生関係が分からずに一連の論理として認識してしまいがちですが、セットと見なしてはなりません。それぞれ別個に評価すべきでありましょう。
供給側の経済学は、厳しい仮定の下で成り立つ純粋理論です。その仮定を受容すれば、学問的真理を語っており、異論の差し挟む余地はありません。極めて強固な論理性を保持しているのです。
そうした分野で虚心坦懐に研究に専心している経済学者もおります。彼等は「現実経済に口出ししない」という矜持を保っている学者です。
問題は、供給側の経済学を利用して、自らをあたかも極めて論理的であるように見せかけている「学説らしきもの」が存在することです。
さらにそれを吹聴する学者も多いということです。私達はそれを見抜くことが肝要です。
利益誘導だけを目的とするトリクルダウン仮説は論外としても、供給側の経済学に深く浸透している新自由主義思想との合体形の学説(それを私は「ネオリベ経済学」と呼称しております)の存在は注意を要します。
その政策は経済論理にではなく、イデオロギーに根差すものだからです。
真っ当な少数の供給側の経済学者達は、そうした傾向をさぞ苦々しく思っていることでしょう。 』
経済学を大きく分けると、「需要側」 と 「供給側」 に分けられ、現在は 「供給側」 が主流である。
この「供給側の経済学」は、現状分析ができない上、政府の存在を想定していない。
これを取り繕うために以下の3つを利用している。
1 財政均衡主義
2 新自由主義思想
3 トリクルダウン仮説
現在の主流は、 「供給側の経済学」 を利用してあたかも極めて論理的であるかのように見せかけている「学説らしきもの」であり、我々はそれを見抜かないといけないということであるようだ。
Posted by 残心 - 2014.10.09,Thu
OECDも「貧富の格差が拡大している」との報告をしている。
このような世界的経済状況の中、日本の安倍政権はトリクルダウン仮説に基づく経済政策を行い、さらに消費増税を行うつもりである。
クルーグマン氏も以下のように言っている。
消費税は5%に戻すべきとまで言っているようだ。
消費増税を行えば、誰が得するのだろうか。
間違いなく、普通の日本人ではないはずですよね。
・世界の貧富の格差が拡大、1820年代の水準にまで悪化 OECD (AFP)
【10月4日 AFP】経済協力開発機構(OECD)は2日、世界の富裕層と貧困層の格差の拡大は1820年代と同じ水準にまで悪化しているとの報告書を公表し、こうした変化は過去200年で「最も憂慮すべき」事柄の1つだと警告した。
過去2世紀の世界の生活状態を調べた報告書の中でOECDは、所得の不均衡が急速に拡大したのはグローバル化が進み始めた1980年代以降だと指摘している。
調査では25か国の1820年以降の所得水準を調べ、世界が一つの国であるとみなしてデータを突き合せて比較したところ、世界の所得格差は東欧各国における共産主義の台頭などに代表される20世紀半ばの「平等主義革命」によって急速に縮小した後、拡大に転じ、2000年までに1820年と同じ水準にまで広がったことが分かったという。
調査に協力したイタリア・ボッコーニ大学(Bocconi University)のグイド・アルファーニ(Guido Alfani)氏は、「非常に驚くべき」結果だとして、「過去200年の世界経済の特徴の中で最も重大、かつ憂慮すべき点だ」と警告している。
世界の所得格差についてはフランスの経済学者、トマ・ピケティ(Thomas Piketty)氏が著書「Capital in the Twenty-First Century(21世紀の資本論)」の中で厳しい警告を発して議論を呼び、同書はベストセラーになっている。
オランダの経済学者、ヤン・ライテン・ファン・ザンデン(Jan Luiten van Zanden)氏は今回のOECDの報告書について、「ピケティ氏と同じ問題点を指摘し、世界の格差拡大に対して同じ懸念を持っている」と述べ、 ピケティ氏の著書は主に欧米諸国を扱っているが、世界規模で同じ分析を行うべきだとの見解を示した。(c)AFP
このような世界的経済状況の中、日本の安倍政権はトリクルダウン仮説に基づく経済政策を行い、さらに消費増税を行うつもりである。
クルーグマン氏も以下のように言っている。
・ポール・クルーグマン氏、安倍首相の消費増税に警告 (WSJ)
ノーベル賞経済学者のポール・クルーグマン氏は、日本の消費税が10%に達すれば、デフレ不況に逆戻りし、悲惨な状態になるとみている。
米プリンストン大学教授で米紙ニューヨーク・タイムズのコラムニストも務めるクルーグマン氏は今週発売の「週刊現代」に掲載されたインタビューで、安倍晋三政権発足から12月で丸2年たつにあたり、安倍首相の経済政策について持論を披露した。
週刊現代の記事によると、クルーグマン氏は首相が間違った人々の声に耳を傾けてしまい、日本の景気回復は4月の5%から8%への消費増税で危うくなったと主張した。
首相は2015年10月に消費税をさらに10%にまで引き上げるかどうかを検討中だが、クルーグマン氏は首相が消費税を5%に戻し、インフレ期待を引き上げるべきだと述べた。
こうした意見は、クルーグマン氏の日本の経済政策に対する見方を長年追ってきた人たちにとっては驚きではない。1998年には次のような見解を示している。「構造改革や財政拡大が必要なだけの需要をもたらすという説得力ある議論が展開できないかぎり、経済を拡大するための唯一の方法は実質金利を下げることだ。そしてそれを実行する唯一の方法は、インフレ期待をつくりだすことだ」
10%への税率引き上げについてはエコノミストの間で意見が割れている。本田悦朗内閣官房参与は最近のウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)のインタビューで、1年半先送りすべきだと述べた。一方、ピーターソン国際経済研究所のアダム・ポーゼン所長はWSJに対し、現在の景気減速に人々は過剰反応しているにすぎないとし、将来の社会保障費を賄うために増税は必要だとの見方を示した。
クルーグマン氏は、中国の経済についても「投資バブル」と表現し、懸念を表明。民衆に対する自らの正当性を強化する必要に迫られた中国当局が日本との戦争に踏み切れば、深刻な経済的打撃を両国に及ぼすことになると述べた。
消費税は5%に戻すべきとまで言っているようだ。
消費増税を行えば、誰が得するのだろうか。
間違いなく、普通の日本人ではないはずですよね。
Posted by 残心 - 2014.10.07,Tue
藤井先生がまた吠えています。
民間議員たちは公共事業をさせたくないようです。
ほぼ全て賛成です。
民間議員の人たちは、現状分析を間違っているのか、間違ったフリをしているのか。
官僚も政府も財界もグルなのでしょうかねぇ。
公共事業をさせたくないのは、日本を復活させたくないということなのでしょうか?
どちらの国の方々なのでしょうか?
民間議員たちは公共事業をさせたくないようです。
・【藤井聡】「公共事業による民需阻害」という「事実誤認」 (三橋貴明の「新」日本経済新聞)
政府の「経済財政諮問会議」では,いよいよ次年度予算の内容についての本格的議論が始められました.
http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/minutes/2014/1001/interview.html
これは次年度の予算,すなわち,次年度の政府の取り組みの大枠を決定するための,極めて大切な会議で,その様子は様々に公表,報道されています.中でも,重要論点の一つとして議論されたのが,以下の視点です.
「公共投資への過度な依存、民需主導の成長阻害=諮問会議民間議員」
http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPKCN0HQ3L620141001
実際,会議後の甘利大臣からの記者会見でも,次のようにまとめられています.
『民間議員から、「公共事業は、資材・人件費の高騰もあり執行度が低い...(だから)公共事業によるクラウディングアウト(に)注意が必要である.」』
http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/minutes/2014/1001/interview.html
この発言に対応するのが,政府HPに公表されている「民間議員の提出資料」の中の以下の下りです(民間議員とは,東京大学の伊藤元重教授らをはじめとした,財界関係者とエコノミストら四名の方々です).
公共事業の過度な拡大が民需主導の持続的成長を阻害する可能性
(http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/minutes/2014/1001/shiryo_01_2.pdf のP2の図2あたり)
もちろん筆者は,それがいかなる事業であろうと,それが政府のものである以上,優先順位を決め,絞り込みを行っていくべきである,と考えます.
しかし,上記の「民間議員からの意見」には,これだけ短い文章であるにも関わらず
『いくつもの間違い』
が含まれています.こうした「間違い」に基づいて議論が重ねられ,政策判断がなされてしまえば,「効果的な財政の執行」が阻害されてしまうことにもなりかねません.
以下,それら「間違い」を一つずつ指摘して参りたいと思います.
(1)公共事業の執行度は「低い」 ⇒ 正しくは,『高い』
これは,今回の間違いの中でも,特にシンプル(かつ深刻)な間違いです.
民間議員の意見として,「公共事業の執行度は低い」と断定的に書かれていますが,そういう事実はありません.
実際は,去年よりも,今年(6月時点)の方が執行度が1~2割弱程度も「高い」のです.
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=563863303714617&set=a.236228089811475.38834.100002728571669&type=1&theater
また,いわゆる「不調不落」(政府から募集しても,業者が決まらない現象)については,今年は去年よりも一昨年よりも低いのが実情です.
つまり,「公共事業の執行度は低い」という事実は存在しないどころか,実情は,その真逆に「高い」のです.
(2)資材の高騰もある ⇒ 正しくは,資材は高騰して『ない』
では,なぜ,メディア等でのイメージとは裏腹に,実際の今年の執行度は高いのでしょうか?資材が高騰したり,賃金が高騰したりしていては,執行度が低いはず,であるにも関わらず──.
もちろん新聞やテレビでは,「今日,公共事業のやりすぎの結果,資材が高騰して,建設事業がやりにくくなっている」と言われており,民間議員も,そういう報道にそったご発言,ご提言をしておられます.しかし,こうした報道や指摘は全て「イメージ論」にしか過ぎず,実態においては,そういう事実は,存在してい「ない」のです.
こちらのグラフをご覧ください.
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=569134109854203&set=a.236228089811475.38834.100002728571669&type=1&theater
確かに一部の資材(赤線)が値上がりしていますが,それらは全て「輸入」資材を主体とするものであって,その値段の変動は,「石油価格の高騰」と「円安の進行」によってもたらされています.
国内調達ができる資材(黒線)に至っては,ほとんど値段は変動していません.
つまり,「公共事業のやり過ぎによる資材の高騰」というイメージは,単なるイメージにしか過ぎず,現実には生じていない,という事が,このグラフから読み取れます.
(3)公共事業の拡大が民需を阻害する ⇒ 正しくは,阻害してい『ない』
この諮問会議での民間議員のご提言の最大のポイントは,「公共事業を増やしすぎて,民間の投資が阻害されている可能性がある」というものでした(民間議員発言ではこれを「公共事業によるクラウディングアウト」と表現しています).この主張はもちろん要するに,「だから,公共事業を拡大すべきで無い,むしろ,削減すべきだ」という趣旨を示唆しています.
もちろん,そういう『可能性』が存在することそれ自身には,当方もまた同意します.しかし,可能性があるからといって,そのクラウディングアウトが「本当に今,存在している」とは限りません.
そして事実,実際の状況を考えれば,民間委員の方々が指摘する「クラウディングアウト」なるものは,存在するとは考えがたいのです.
そもそも第一に,「公共事業が増えすぎて,行政の仕事すらまともに受注することができない,これ以上の仕事を受注できる余裕は無い」というイメージそれ自身が,誤りである,ということは,先に指摘した通りです.
第二に,同じく先に指摘したように,「公共事業のやりすぎで,資材が高騰している」というイメージも,必ずしも真実ではありません.
そして何より重要なのは,現在の建設産業の構造を考えれば,公共事業がどれだけ増えても,民間が建設投資をできなくなるということは,考えにくい,という点です.
そもそも,建設には橋や道路,堤防などを作る「土木」と,ビル等をつくる「建築」の二種類の「分野」が存在しており,両者はきれいに住み分けられています.
多くの業者は土木だけを専門に扱ったり,建築だけ扱ったりしています.土木と建築を取り扱うゼネコン各社ですら,土木と建築の部署は,何から何まで分離されているのが実情です.
そして,民間投資の大半は建築で,公共投資の大半は土木なのです.
こうした事実は建設業界の人間にしてみれば,「常識」なのですが,一般のメディア,エコノミスト,経済学者の皆様方にとっては,全く知られていない事実ではないかと思います.
もちろん,この業界の常識は,データからも明白です.
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=569305533170394&set=a.236228089811475.38834.100002728571669&type=1&theater
・・・・
以上,いかがでしょうか?
要するに,公共事業がどれだけ増えても,民間の建築事業が大きく阻害されるとは考えがたいし,資材の高騰や,公共事業の執行率も低い,などという事実はいずれも確認できないのです.
これら以外にも,「人件費の高騰」と言いますが,これについても,大きな誤解があるものと思います.
もちろん,人件費が,上昇してきているのは事実です.しかし,建設の現場従業者の賃金は,製造業のそれよりも1割以上も低いのが実情です.しかも,「かつて」の水準に比べても,まだ2割程度も低いのです.
(出展:http://www.thr.mlit.go.jp/Bumon/B00097/K00360/taiheiyouokijishinn/kasoku1/140927shiryou1.pdf のP31)
つまり,今までデフレのために下がりすぎていた状況があり,それが少しずつ「改善」してきているのが実情です.常識で考えれば,これをして「高騰」と呼ぶ事は難しいのではないかと,筆者は考えます.
さらに「人手不足」とも言いますが,民間議員提出資料にも明記されているように,今年7月時点での労働力不足率は2%にしか過ぎません.
(http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/minutes/2014/1001/shiryo_01_2.pdf のp2)
これは裏をかえせば実は,98%の水準で,つまり「ほとんど」人手は足りている,ということを意味しています.
もちろん,前年よりも今年の方が不足率は高いわけですが,そのピークの時でも4%に過ぎません.これはつまり裏を返せば,「最悪の状況」においても,96%は人手が足りていた,ということです.
さらに言うと,人手不足現象は,主として復興やオリンピック需要などがある東日本において生じており西日本においては,求人倍率は「格段」に低いのが実情です.
(http://www.thr.mlit.go.jp/Bumon/B00097/K00360/taiheiyouokijishinn/kasoku1/140927shiryou1.pdf のP30)
つまり,甘利大臣が記者会見でご報告された,
「公共事業は、資材・人件費の高騰もあり執行度が低い...(だから)公共事業によるクラウディングアウト(に)注意が必要である.」
という民間議員のご指摘には,これだけ短い文章であるにも関わらず,驚くべき量の誤りが含まれている,という次第です.
繰り返しますが,資材の高騰も人件費の高騰も必ずしも存在するとは言えず,公共事業の執行度も「高く」,かつ,構造的に考えてクラウディングアウト(公共事業による民業圧迫)を注意する必要性は必ずしも高くない....のが実情であり,したがって,上記のご指摘は全て「逆が真」なのではないかと筆者には思えるのであります(さらにもう一つ付け加えれば,去年よりも今年の方が,実際上公共事業関係費は1兆円以上も低いのです.....).
是非とも,イメージ論ではなく,きちんとしたデータに基づいた議論が展開され,それに基づいて国の政策方針が定められていきます事を,心より祈念申し上げたいと思います.
ほぼ全て賛成です。
民間議員の人たちは、現状分析を間違っているのか、間違ったフリをしているのか。
官僚も政府も財界もグルなのでしょうかねぇ。
公共事業をさせたくないのは、日本を復活させたくないということなのでしょうか?
どちらの国の方々なのでしょうか?
Posted by 残心 - 2014.09.17,Wed
経済危機ということについて、藤井聡先生が以下のように申しております。(少し長いですが)
普通に考えると、やっぱりそうなんですよね。
民間が借金できる環境にするために、国がとりあえずの間借金するはずが、ずぅ~と国が借金している。
国が借金してでも、まずデフレ脱却しないと景気が良くなるわけはない。
増税なんていう話になるはずもない。
学者さんたちって、ほんとはバカなのか、わざと騙そうとしているのか?
そして政治家さんたちは、騙されているのか、騙されたフリをしているのか?
・【藤井聡】問題なのは「政府の借金」ではない,「民間の借金」である.
(三橋貴明の「新」日本経済新聞)
<一部抜粋>
「つまり,経済危機というものは,政府の借金ではなく,民間の借金によって引き起こされるものなのである.
これこそが,過去のデータによって示されている真理なのだ
具体的に翻訳しますと,このコラムでは,次のように述べられています.
「1929年の大恐慌の直前も,
1997年のアジア通貨危機の直前も,
1991年の日本のバブル崩壊の直前も,
いずれにおいても「政府の借金の対GDPは比較的低かったのであり,かつ,その増加率も低いのが,実態だったのである.
2007年のリーマンショックの直前についても,アメリカでは,中東での戦争や社会プログラムのために支出が大幅に増えていたにも関わらず,政府の借金の対GDP比率は10年前に比べて特に増えてはいなかったのである.
1991年の日本のバブル崩壊の直前,1997年の韓国のアジア通貨危機の直前においては,政府の借金の対GDP比率の五年間の増加率はほぼゼロだったのである.
最近のスペインの経済危機の直前において言うなら,借金の対GDP比率は16%も減少していたのである.」」
「さらに言えばこのことは,バブル崩壊は,「政府の借金の対GDP比率の伸び」で引き起こされたのではなく,「民間の借金の対GDP比率の伸び」によって引き起こされた可能性を含意していますよね.
理屈で考えても,それは簡単に合理的説明が可能です.
民間の借金がうなぎ登りに増えた,という事実は,「土地転がし」に代表される,「投機」の加速的な過熱化を反映したものと考えられます.
つまり,民間人のカネをたくさん持ってる人たちが(個人,法人問わず),さらに,カネを増やそうと考え,土地や株に「投資」するのではなく「投機」していったのです.事実,その頃は,投棄すればするほどにカネを儲けることができたのです.だから,そのカネ儲けのために,銀行から大量のカネを「借金」し,投機を重ねていった訳です.
こうしたことを,「一部」のカネ持ち達(決して,全員ではありません.バブルの時代にも真面目に暮らし,真面目に投資していた人が多数いたことを忘れてはなりません!)が,さながら気でも違ったように繰り返していったのが,皆さんご存じの通り「バブル」というものだったのです.
そしてそうした過剰な投機のための過剰な借金によって,「民間の借金の対GDP比率」は増えていきました.
ところが,バブルが崩壊すると「投棄すれば儲かる」という前提が崩れてしまいました.同時に,「カネ儲けのために投機を繰り返していた一部の人々」は返済できない程の多額の借金を背負ったが故に,彼らは今度は,借金を全く,ひたすら借金を返済する方向へと向かっていったのです.つまり彼らは,「(正常な資本主義経済を回すために不可欠な)正常な投資活動」を全くやめてしまったのです.
その結果,このグラフに示してある通り,民間の借金の対GDP比率は,今度は逆に,「右肩下がり」に,ひたすら減少していくこととなったのです....
こうなったとき,政府もまた,借金を増やさなければ,GDP,つまり,国民の所得(!)は,坂道を転げ落ちるように低下していくことになります.
したがって,GDP,つまり国民所得を守るために,政府は致し方なく,ニューディール的な財政支出を行ったり,そしてそれ以前に,制度として定められている失業対策や生活保護などの社会保障費が増やしていくことになりました.そしてその結果として,経済危機後,政府の借金の対GDP比率は右肩上がりに伸びていくことになっていく訳です.
このことは次のように言うこともできます.
すなわち,
1)GDP=国民の所得が伸びていくためには,誰かが「借金」をしなければならない,
2)健全なる資本主義では,その「借金」を「民間」がやり,それをサポートする格好で「政府」もまた借金をするものである,
3)ところが,経済危機が生じ,民間経済が不況となれば,民間が,十分に「借金」をして,GDPの水準を維持していくことができなくなる....
4)だから,結果として,経済危機後においてGDPの水準を維持していくために,政府は,
「民間がやらない借金の肩代わり」
をしてやるようにして,借金を増やしていかざるを得ない....
これが,このグラフに示されている,バブル崩壊後の政府の借金の急伸と,民間の借金の縮減です.
ちなみに,こうした経緯は,アメリカのリーマンショック前後においても,全く同じプロセスが生じていることが確認できます(このコラムの一つ目のグラフをじっくりとご確認ください).
さらには,先に直接翻訳した部分にも明記されているように,同様のプロセスは,1929年の世界大恐慌や1997年のアジア通貨危機,最近のユーロ危機においても認められる...ということが考えられます.
いずれにしても,こうして繰り返されてきた歴史的事実が含意しているのは,次の二点です.
第一に,「日本経済に多大なる影響を及ぼしうる要人達」の多くが危惧しているのとは裏腹に,経済危機は政府の借金の増進によってもたらされてきたのではなく,民間の借金の増進によってもたらされてきた,「客観的事実」です.
そして第二の,そしてさらに重要なポイントは,政府の借金を減らすために必要なのは,「民間の借金を増やすこと」という一点なのだ,というものです.繰り返しますが,GDP=国民の所得を守っていくためには,誰かが借金をせねばならず(それが,資本主義,というものの本質なのです),その借金を,民間が担わなければ,政府がそれを担い続けなければならない,という構造が,存在しているのです.
この第二の理論解釈が直接的に含意しているのは,次のような(多くの人々にとっては当たり前とすら思える,自明の)命題です.すなわち,
「日本政府の財政の改善を心から願う人々は,
デフレ脱却に,文字通りの『全力』を投入しなければならない」
いわずもがなですが,この命題は,今日の日本経済の状況における「緊縮財政」(すなわち,デフレ脱却の妨げとなる増税+政府支出の削減)の妥当性を,根底から覆すものであることは間違いありません.
....
以上は,当該コラムで紹介されている実証データを踏まえた上での,理論的結論です.
この結論に賛同されるか否かはもちろん,それぞれの個人の自由ではありますが,少なくとも藤井個人はこの結論を絶対的に確信しているという一点は,申し添えておきたいと思います.
一人でも多くの論者に,その「知性」を(自分自身の立ち位置を守るためではなく)真理に到達するための努力にご活用いただきたいと思います.
さもなければ,日本の未来は限りなく暗い最悪のものとなることを回避することは,不可能となるでしょう.」
普通に考えると、やっぱりそうなんですよね。
民間が借金できる環境にするために、国がとりあえずの間借金するはずが、ずぅ~と国が借金している。
国が借金してでも、まずデフレ脱却しないと景気が良くなるわけはない。
増税なんていう話になるはずもない。
学者さんたちって、ほんとはバカなのか、わざと騙そうとしているのか?
そして政治家さんたちは、騙されているのか、騙されたフリをしているのか?
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